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闇の向こうに呼びかける。

有名人でもない素人の私が文章を毎日書いている。だれかに読んでもらえるといいな、と願いながら書いている。

この空間では人の顔が見えない。そんな空間で言葉を発する行為は、さながら闇の中でロウソクを持って「俺はここにおるんやで」と呼びかけているかのようだ。


そういや、noteを書こうと思い始めたとき、こんな自分の文章をだれが読んでくれるのだろうか、という心配はあった。闇の中だ。暗い。怖い。


……そうか?


ぶっちゃけ言うと、だれが読んでくれるんだろう、という心配は一切していなかった。だってここは文章に特化した空間だし、みんなそれが好きでここにいるから。読むことが好きな人たちだ。


記事を空間に浮かべれば、きっとだれかが発見してくれる。だから「全く読まれもしない」という心配は不要。


心配していたのはどちらかというと「読者さんが増えるか」ということで、なんだか偉そうなことを言ってるのに、だれにも見向きもされないことが心配だった。


暗がりの中にポッと灯るロウソクがあったとして、心配していたのは、このロウソクの火がどれだけ大きくなるだろうか、という1点だけが心配だった。


なので試行錯誤を重ねて、あーでもない、こーでもない、と色々やった気がする。特に最初の1ヶ月は。どこまでも強欲な人間だよ、私は。


最初は、ただ自分の考えてることを表現する、という自己愛に根づいた目的だった気がするが、いつの間にやら、記事を書き続けるということに、たくさんの目的がくっついてきた。

やがて生まれる自分の子どもに見せるため、読んでくれた誰かをおなぐさめするため、家族を励ますため、友だちを作るため、ためためため。


大学生のときの私は、とにかく自己表現に飢えていた。色々とやってみたものの納得感が得られず、続けることを放棄した。闇の中にいた。ポツンと。ロウソクも持たずに、うだうだ闇の中で体育座りをしていた。


あのころの私がいまの私を見たら「そうそう、それがやりたかった!」と言ってウキウキしていることと思う。




私は時間を巻き戻すことができない。あのころの自分に今の自分を見せてあげることができない。あのころの自分に「君は10年後にこうなってるから安心しろ」と言い聞かせてあげられない。時間は常に前に進むものだから。


noteを書き始めていつのころからか思ったのは、あのころの私のような人にこそ、この文章たちが届いてほしい、ということで。


私は自分の時間を巻き戻せない。時間を巻き戻せた人は、歴史上だれもいない。みんなが前に進んでいく。それぞれの悩みを抱えながら時間を前に進めていく。


あのころの自分のような人。闇の中でロウソクも持たずに、何もかも諦めて体育座りをしているような人。こういう人に、

「立て。大丈夫。絶対大丈夫。立つのだ。心に火をつけろ。ここにいると叫べ。見つけてもらえ。燃やせ。燃やし続けろ。自分だけが自分を変えられる」


と、のたまうことを至上の喜びにしている気配がある。自分の時間は巻き戻せないけれど、他人の時間を前に進めることならできそうだと気づいた。なんだかワープのようでいいじゃないか。

幸いこの空間は完全な闇ではなくて、それこそロウソクを持った人たちが、それぞれの火の大きさで、ポツン、ポツンと立っているようなものだ。怖くもなんともない。



ロウソクの火は、最初にライターやマッチで着火される。火が消えないように守ってあげて、ほかのロウソクに火を移してあげる。


こういう、火を移してさしあげる役まわりってのもあるわけだから、有名人でもない素人の私はこれからも文章を毎日書くことと思う。だれかに読んでもらえるといいな、と願いながら書くと思う。


だから、まだ闇の中で体育座りをしている人には、ぜひ立ってほしい。そして火をつけてほしい。

やがて火が大きくなったなら、また同じように体育座りをしているだれかにその火を移してあげようね。


〈あとがき〉
同じように発見されたくて闇の中で叫んでいる人もおありでしょう。いまの私だって、なんやかんやまだ闇の中で叫んでいるようなものです。疲れてきたらひと休みも重要ですから、休む姿勢もお示ししたいものですが、どうやらまだ休めません。今日も最後までありがとうございました。

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