大切なことは、おぎやはぎが教えてくれた。
2009年、iPhone 3GSを手にいれた大学生の私は、とにかく音楽が聴きたかった。iPodを持っていなかったので、携帯音楽プレイヤーに憧れていたからだ。
新品のiPhoneを片手に意気揚々と自宅に帰った私は、iTunesの設定に入る。CDからビートルズの音楽をiPhoneにぶち込みまくるのだ。
が、PC画面に映るiTunesを見ていると、
気になるものがあった。
Podcast。
何だこれは? ラジオか?
と思って画面とにらめっこしながらスクロール。
表示されていたのは、
・爆笑問題カーボーイ
・バナナマンのバナナムーン
・おぎやはぎのメガネびいき
ふーん、と思った私だが、
それまでラジオなんて聴いたことはなかった。
せいぜい聴いたことがあるのは、お父さんの車の中で流れてた地元のSTVラジオくらいのもんで、それがおもしろいと思ったことなんて一度もなかった。
「JUNK Podcast〜♪」と流れたかと思ったら、
爆笑問題の2人の軽快なトークが始まる。私は思った。
誰かのラジオがこんなにおもしろいものだと思わなかった。これは、おもしろすぎる。
カス大学生だった私は、学校にも行かずしばらく爆笑問題のラジオを聴いた。数か月後、やがてほとんどの配信を聴き終えてしまった。
バナナマンのバナナムーンにいってみよう。
まだ本格的に売れる前のバナナマン。
人間的にデキてるけどSっ気のある設楽さん、どうしようもないダメ人間の日村さん。
彼らの日常の会話、これからどうやって芸能界で生きていくべきか、などをPodcastで話し合っていた。
2010年ごろのバナナマンは、笑っていいとものレギュラーも決まっていなかったし、ノンストップもやっていなかった。冠番組はほぼ0だった。
ラジオの中で、どうしたら売れるのかを設楽さんが真剣に考え、日村さんはそれに従うだけ。
日村さんが人間的にあまりにもダメなので、真剣に設楽さんが説教する。その音声が聴けてそれはもう愉快。売れる前の星野源も出てて。
すっかり私はバナナマンのファンになってしまった。
バナナマンが札幌のHMVにきてイベントをやると告知をしたもんだから、大学生の私は札幌のHMVに行き、生のバナナマンを目撃した。
とは叫ばなかったけど、ただ遠くからあの2人を網膜に焼き付けた。私は汗だくだった。でも……やがてしっかりと売れたバナナマンの2人のPodcastを私は聴かなくなった。
…
バナナマンのラジオを聴いていると、度々おぎやはぎの名前が出てくる。バナナマン、おぎやはぎ、そしてラーメンズの3組は若手時代にコント集団として一時期一緒に活動していた。
だから仲がいい。
聴いてみた。なぜなら私はクソったれの暇な大学生だったから。おぎやはぎのメガネびいきを聴いてみる。
どりゃどりゃ。
クッソおもしろかった。
爆笑問題は爆笑問題でおもしろかったけど、やがて飽きた。バナナマンは売れる前の会議と設楽さんの説教が聴きたかったけど、本当に売れてしまって、前ほどラジオに情熱がなくなっている様子だった。
その中で、
おぎやはぎの2人のおもしろさは別格だった。
ゆるいのだ。
小木さんが最近のエピソードトークをする。たいていスピリチュアルな日常の話なんだけど、とにかく聴いてられる。矢作さんが小木さんの話をうんうん聴いて2人で笑う。
彼らのラジオではクソメンという概念が出てくる。
クソメンの特徴はこうだ。
もう、これだけで
クソメンとはなんなのかを説明できる不思議。
「あぁ、あったなぁ」とか「そういう人いたなぁ」という人物描写があって、おぎやはぎ独特のゆるさ、ユーモアがある。おそらくだけど、あの2人は私に大きな影響を与えてくれた気がする。
エピソードトークをするときの話し方、誰かの話を聴くときのマナー。とにかくゆるく、何事にも執着しない不思議な魅力。
モラトリアムで悩む大学生の私にとって、おぎやはぎのラジオは、稲盛和夫の『生き方』、カーネギーの『人を動かす』、司馬遼太郎の『竜馬がゆく』と同じくらいの影響をもたらしてくれた気がする。
…
が、ここ5年くらいはラジオを聴いていない。新しい考え方をインプットできていないとも言える。
現在の私は、ラジオの真似事をやっているが、これまで聴いてきたプロの話術の足元にも及ばない。
別に仕事でもないから、少し真剣にラジオの構成だとかを勉強してみようかなと思ったが、
…
おそらくやらない。
◾️こういう視点の記事は、おぎやはぎの影響
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