7文字で終わる大学時代のバイトの思い出。
起承転結もなにもないメモのような話だ。はじめてのアルバイトがどうだったかについて、ここに書き残したいと思ったので書く。
人生はじめてのアルバイトはボウリング場だった。実家から車で10分ほどの場所にある油くさいボウリング場。求人誌をみて電話で応募した。深夜割増の時給がそこそこに高かったから。
たしか3年くらい働いた気がする。
先輩の重岡は私より1歳下の男子大学生なのだがやけにアゴが長い。通称シゲ。
西くんは私と同い年のイケメンで東海地方の出身。西くんは私にとって初めての北海道外の友だちで、高校までを地元で過ごし、大学から北海道にきたとのこと。
西くんが当時乗ってた車の名前は忘れたが、どでかいランクルみたいな車で、バイト終わりの深夜にはみんなでしょっちゅうラーメン屋さんに行った。当時はいくらラーメンを食べても太ることはなく、みんなでアブラ多めの味濃いめを頼む。あのころのラーメンは水みたいなもんだった。
スタッフはほかにも、どんな雪の中でも絶対にチャリで通うオッくん、能面のような白い顔にストレートの黒髪が印象的なワッキーさん、赤い眼鏡の母ちゃん系姉さんのコガさんに、社員の岩原くんと付き合っている美人バイトの西条さん。
それからトチカワくんは元アイドルでこれぞ正統派と言いたいガチイケメンで、社員の渋沢さんはやけにバイトの意見を聞いてくれる。支配人のヤジさんは面接のときに開口一番で「で、君はいくらほしいの?」とつっけんどんな態度で聞いてきたからビックリした。
とにかく色とりどりのボウリング狂いがいた。
そう、ボウリング場で働くくらいだから、スタッフはみんなボウリングに狂っていた。中にはプロボウラーもいて、みんなアベレージで200前後は息を吐くように叩き出す。
「ボウリング」のことをたまに「ボーリング」と書く人がいるが、そんなことを書いたらたちまち全員から「正しくはボウリングです。ボーリングは地面を掘るやつです」と突っ込まれる。
スタッフの中でも特に狂っていたのは、土木の仕事とかけもちバイトでここに勤める「パパ」こと寺岡さんである。
スタッフは休憩中であれば無料でボウリングができた。何ゲームでもタダだった。シフトがかぶる私とシゲと西くんにいたっては深夜の営業終了時間を早めてまで無料ボウリングに興じた。
パパこと寺岡さんはさらにすごくて、当時高校生の娘さんをプロボウラーにさせたがっていた。だから娘さんをほぼ毎日ボウリング場に通わせている。もちろん練習は無料で。あれは荒ワザだ。
おかげでテラさんの娘さんはプロ試験でトップ合格を果たし、女子プロボウラーになった。せまい業界であるから、検索すればきっと出てくるが、いまや国内トップクラスの女子プロボウラーになっている。泣きながらボウリングをする女の子だったのになぁ。
私は当時、18時から22時までのシフト、18時から25時までのシフト、18時から27時までのシフトで週5日。これを見た全国のバイト検討中の大学生にアドバイスしたいのだけど、深夜バイトは生活が狂うからやっちゃダメ。
夜のシフトは私と、東海の西くん、あごの長いシゲ、そして「パパ」ことテラさんの4人でこなすことが多かった。
おもしろかったのは来店したお客さんをどこのレーンに入れるかである。
私がいたボウリング場は1番から30番レーンまであって、どのレーンでどれだけの回数のゲームがされたかを裏で管理している。
あまり多い回数そこでゲームがプレーされると、レーンに敷かれた油が伸びてしまう。だからボウリングガチ勢のお客さんは「回数まわってないところにして」と指定してくるのだが、一般客の場合そんなこと気にもしない。
かわいらしい女子大生集団が先に25番レーンにいたとして、あとから誠実そうな大学生の男子集団が来店する。店員としてはぜひ、となり同士で投げてもらい出会いの場としてほしいので24番レーンか26番レーンに入れたりした。
逆に「こいつら気取ってんな」と思うようなマッシュな男子集団が来たとしたら有無を言わさず端っこの1番レーンにぶち込む。
「24番レーンも空いてますけどそこはダメですか?」と聞かれたら「申し訳ありません。24番は予約が入ってまして」とペラをこく悪徳バイトだった。
私はバイトを始めて3ヶ月ほどで業務のすべてを叩き込まれ、レジ締めと売上管理、集客強化の施策立案、ボウリング場ならではの大会運営までさせられるようになっていた。
西くんはことさらに優秀で、私の業務に追加して、併設されているショップのグッズ販売までしており、私と西くんはこの小さなボウリング場における最高のコンビだった。西くんと私が同じ時間帯にいれば、どんな客がきたって怖いもんなし。
ボウリング場だからクソがつくほどのヤンキーも来店した。あの人たちは不思議なもんでお会計のときにお金を投げつけてくる。その対応をするのが私と西くんの役目だった。
西くんは大学を卒業して、のちに外資系企業の最年少マネージャーになったが、何年か前に仕事を辞め、東海地方にある実家のお父さんが経営している会社に入社、いまはその会社を改革しているらしい。西くんは今でもたまに北海道に遊びにくるから、彼がくるたび2人で一緒にご飯を食べる。
アゴの長いシゲはバイト中にサボるのが上手で、しょっちゅうバックヤードでタバコを吸っていた。
「あれ? シゲはどこ?」とインカムで確認すると「裏にいるよ〜ん」と言う。シゲは私と西くんよりも歴が長いのにレジ締めも覚えられなかった。
ふつうならシゲにムカつくところだが、私と西くんはとてもやさしい2人だったので、シゲにもできる仕事を割り振る。シゲがヤンキーを相手にすると接客態度が悪くクレームになることが多かったので、ヤンキーが会計しようとすると私と西くんは「シゲは下がっててね」とよく言った。
代わりにシゲはメカにめっぽう強く、ボールやピンが詰まると一目散に走って直しに行く頼もしい男だった。
いっときシゲは、機械に右手が巻き込まれて骨が見えるほどのケガをしたことがあったが、心配する私たちをよそに血だらけの右手をブンブンしながら「だいじょうぶ! 病院行くから!」と当たり前のことを言った。
「1番レーンの裏側にはお化けが出る」という噂があった。そんなわけないだろ、と言って私が仕事をサボるときはしょっちゅう1番レーンの裏で寝転んでサボった。
「イトーくん、どこにいるの?」とインカムのイヤフォンを通してシゲから確認が入る。「1番レーンの裏だよ」と答えると「そこはお化け出るのにハートが強いね」と言う。
お店の閉店後は社員も支配人もおらず、私と西くんとシゲの3人だけになることが多かった。自販機でコーラを買って、無料のボウリングをよくやった。多いときで10ゲームくらいだろうか。
西くんはマイボウルを持っているようなボウラーで、アベレージは200以上。シゲはただの一般人でアベレージは140くらい。当時の私は180くらいだったと思う。
この3人で「550」というチャレンジをするのが閉店後の楽しみだった。
550というのは3人の合計スコアが550以上になることを目指す遊びである。これを達成するためには単純計算で1人あたり「183」以上のスコアが必要になる。これがなかなかに難しかった。
西くんと私が200を出してもシゲがついてこれない。3人の平均スコアが平等に高い必要があるわけだ。
3年間で最も550に迫ったのは私の最終出勤日の夜である。
私、西くん、シゲのうち、最初に「バイト辞める」と言ったのは私だった。西くんもシゲも「なんで辞めるの!」と止めたが私は「無印良品とか紀伊國屋みたいなオシャレなところで働いてみたいから!」と田舎者丸出しの回答をした。
西くんは「いかにも”オシャレな”イトーくんが言いそうなことだわ」と笑い、シゲは「それなら俺も辞めたい」と言い出す。
「じゃあ、今夜こそ550目指そうぜ」と言って、みんなで協力して閉店時間を早め、また自販機でコーラを買う。だーれもいないボウリング場には私たち3人。
結局最後まで550が達成されることはなかった。最後の日の合計点数は548。あと2点スコアが足りなかった。でも3年間のうちの最高スコア。
「ま、いっか」と3人で帰った朝の4時。
はじめてのアルバイトについて感想をひと言で述べるとしたら「楽しかったです」ということでしかなく、この「楽しかったです」の7文字を表現するために3,423文字も使ってしまったよ。
楽しかったんです。
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