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書いたものをどう届けるか。

できたら股関節に油を注ぎたい。

昨日の夜そう思ったのである。もうすぐ34歳になろうかという妙齢の私なのだが、身体にガタがきていると感じることが多くなった。昨日の夜は妙に腰が痛かったし、そこから派生しているのか、太ももの疲労感というか乳酸がたまっている感じ。

それで家のリビングで柔軟体操をやってみるのである。まずは床に仰向けに寝そべってみる。腰の部分に自分のこぶしを置いて、少し腰があがる体勢をとってみる。気持ちいい。とても気持ちいい。

つづいて太ももにたまっているであろう老廃物的な何かを分散させるために、仰向けのままにヒザを折ってみる。大腿筋の前方がぐいんと伸びる。気持ちいい。すると気持ちいいのだ。

そんなことをやっていると、自分の股関節にも疲労がたまっているのでは? と思ったので、次は立ち上がり、股関節を伸ばすための体操をしてみた。足を肩幅くらいに開き、腰を下ろしてみる。イチローがよくライトでやっていた体操である。

高校生のときは身体のやわらかさで私の右に出るものはいなかった。フィギュアスケートの往年の名選手、イリーナ・スルツカヤやサーシャ・コーエンに匹敵するやわらかさを誇った私である。

しかし34歳になろうとしている私の股関節は、とても硬く、足を開いてもうまく腰が落とせない。落とせないながらもがんばって腰を落として、股関節にあるであろう筋肉を伸ばしてみる。気持ちいい。とても気持ちいい。


この様子を見ていた妻は言う。

「お、旦那も柔軟体操の重要性に気づいたね」

はい。そうですね。


それで私は妻に言うのである。

「ちっちゃい頃に遊んだおもちゃの人形あるじゃん。プラモデルでもいいんだけど」

「うん」

「あれって、両足が股関節からキュポっと抜けたりするじゃん」

「おもちゃだからね」

「俺たちもそうだったらいいのにね。摩耗して使い物にならなくなったら、新しい足に取り替えるみたいな」

「キュポっとね」

「できたら股関節に油を注げたらいいんだけどね」

「ムリだよね」


これを書いていて思ったが、私はこれを書くにあたり、自分に両足があることを前提にしている。なんやかんや足があって、歩けて走れている現状を前提として書いている。じゃあ、そうでない方が仮にこれを読んでいたとしたら。どう思うのだろう。

そういやむかし、こんなことを考えたことがあった。

目が見えない人は文字を読むことが難しいわけだから、このnoteというのは目が見えることを前提としたサービスだな。だったら目は見えないけれど耳は聴こえる方に向けて、いままでずっと書いてきた記事を音声で届ける、という試みをするべきだよな。でもこれもまたちょっと考えが浅いんだろうな。

それから。

ほうぼうに気を遣いつつも、この社会ではそもそもいないことにされている人々もいるのだろうか。かといって、そういうどこかに気を遣って、どうこうするのも違う気がするな。善とも偽善ともちがうのだけど、なんだか難しいな、と思ったりもするわけで。

もしかしたらどこかでは、私たちの文章だったり、だれかの本だったりを目の見えない方のために朗読してくれている人もいるのだろうか。きっといるんだろう。


このあたり、当事者意識が残念ながらなく、考えがとても浅い。

浅い。とにかく浅いのだ。


<あとがき>
股関節に油を注げたらいいのになぁと言いつつも、そんなことを考え、妻には言葉にせず、何かを届けることの難しさばかり考えていました。そういえば私がスタエフを継続的に始めた理由は、一時期読者さんの中に文字が読めなくなった方がいたことでした。音声でどうでもいい日常を届けたかったんだよなぁと思い出したりします。今日も最後までありがとうございました。

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