どんなインプットをしたら、淋しい熱帯魚が出力できるのか?
Winkが『淋しい熱帯魚』をリリースしたのは1989年。私がこの世に登場する1年前だ。
中毒性のある曲というのは、何曲もあり、過去の私の記事では『アジアの純真』がその筆頭と紹介したが、この『淋しい熱帯魚』もまたその筆頭である気がする。
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イントロからAメロ、Bメロ、サビに至るまで、すべてが完璧な気がする。特筆すべきはその歌詞、というかタイトルである。
淋しい熱帯魚。
え、浮かぶ?
どんな人生経験を積んだら、この淋しい熱帯魚という組み合わせが出力されるのだろう。
「淋しい」+「熱帯魚」だよ。
作詞を担当された方を調べてみると、及川眠子さんらしい。及川さんのほかの代表曲は、何を隠そう、あの『残酷な天使のテーゼ』だ。
ふり幅。
淋しい熱帯魚というタイトルを初見でみたときに感じるのは、語呂の良さというか、字面の良さだ。意図を感じるのである。
寂しいではたしかにダメだ。
淋しいでなければならない。
調べれば、熱帯魚にフィットさせるために、あえて「サンズイ」の「淋」という文字をつかったらしい。かつ、この楽曲タイトルは「さびしい」ではなく「さみしい」が正式だそうだ。
「さびしい」にしてしまうと、重くなってしまうかららしい。たしかに「さみしい」のほうがなんだか淋しい。
1989年といえば、この国はバブル真っ只中だったが、当時の女性シンガーがリリースする曲は、前向きで、パワフル、女性らしさみたいなものをとらえた楽曲が多かったらしい。
世相が反映されている。
一方で、Winkの『淋しい熱帯魚』はどこか儚げだ。ユラユラしている。前向きでパワフルとは言えない。で、これも意図的であるらしい。
スキマを狙ったのだそうだ。
時代のスキマを狙わなければヒット作は生み出せない。
見事にスキマにピタリと、というかユラリとはまっている。
それから、
この楽曲の歌詞の中に「熱帯魚」は一切出てこない。
歌詞中で熱帯魚という単語をつかわずに、楽曲それ自体が「淋しい熱帯魚」というワードに引っ張られて、そこに収束していく高度な感じ。
おそろしい。
もっとおそろしいことを書く。
及川眠子さんが、Winkのプロデューサーである故水橋春夫さんから作詞を依頼されたとき「どんな詩にする?」と尋ねたらしい。水橋さんは一言「えっと、くるくるさせて」とだけ答えたそうだ。
で、及川さんが提出したのが「淋しい熱帯魚」であるらしい。
おそろしい。
たしかにくるくるしている。
「くるくるさせて」というオーダーに対して、何をどうしたら「淋しい熱帯魚」が出力されるのか。
私がそう依頼されたとしたら「やばい」となって熱を出す。扁桃腺を赤く腫らす。私の頭の方がくるくるすること待ったなし。
……
昨晩、なぜか忘れたが、妻とWinkの話をして、この曲を歌いながら踊った。妻も好きらしい。で、妻に言ったのだ。
気になったから調べたよ。
調べれば調べるほどに、意図がたくさん隠されていることを知り、その仕事人としての次元の高さに、熱をまた出しそうになった。
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