何も成し遂げられないのは気合いと根性が足りないから。
「気合いと根性」と聞くと、どこか古臭い言葉だと感じる。精神論、非科学的、時代遅れだ、と嘲笑いがち。しかし歴史に目を向けると、この「気合いと根性」がいかに人類を前進させてきたか。
偉大な発明や偉業を成し遂げた人々の背後には、必ずと言っていいほど、科学や理論だけでは説明できない「気合いと根性」が存在している。
現代の凡人は、はっきり言って気合いもなければ根性もない。のらりくらりで全てがうまくいけばいいと思っているカス。だから凡人なのだ。
なにごとも結局は根性、気合いであるらしいのだ。
てなわけで、ちょっと紹介してみよう。偉人たちのど根性エピソードである。
れっつ、気合い! 根性!
エジソン:根性の実践者
まず、発明家のトーマス・エジソンを思い出してほしい。ベタすぎるが彼は世界で1,000を超える特許を取得した天才として知られている。
彼の言葉に「成功は1%のひらめきと99%の努力だ」というものがある。彼が電球を発明する過程でも、実験は数千回にもおよび、何度も失敗を繰り返した。
しかし、彼はそれを「失敗」ではなく、「これでうまくいかない方法を一つ学んだ」と捉えた。気合いと根性やろ。エジソンが理論だけに頼っていたら、今私たちは暗闇で生活していたかもしれない。
アインシュタイン:なんやかんや気合い
次に、アルベルト・アインシュタインも「気合いと根性」の実践者だったと言える。彼は相対性理論でノーベル賞を受賞し、物理学の常識を根本から覆したが、その道のりは決して楽なものではなかった。
学校時代には「落ちこぼれ」とさえ言われた彼が、その後どのようにして偉大な科学者になったのか。
アインシュタインはこう言っている。
「私は特別に才能があるわけではない。ただ、非常に好奇心が強いだけ」
彼が天才的な閃きに頼るだけでなく、理論を証明するために膨大な時間をかけ、実験と検証を繰り返したことを忘れてはならない。膨大な時間をかけているのだ。これはまさに気合と根性ではないか。
ヘレン・ケラー:希望と不屈の精神
視覚と聴覚を失ったにもかかわらず、世界中に希望のメッセージを伝えたヘレン・ケラーも忘れてはならない。
彼女は、手話を通じてコミュニケーションを学び、後には著名な講演家となり、多くの人々に勇気を与えた。彼女が残した言葉には、こうある。
「うつむいてはいけない。いつも頭を高くあげていなさい。世の中を真っ正面から見つめなさい」
この名言はひとことで言えば「気合い入れろ」じゃないか。彼女の言葉からは、彼女が逆境に屈せず、むしろそれを越えようとした強い意志が感じられる。根性という言葉を体現した生き方だ。
マイケル・ジョーダン:失敗を乗り越える根性
スポーツの世界なんて「気合いと根性」でしかない。バスケットボールの伝説的選手、マイケル・ジョーダンも気合と根性の人だろう。
彼は言う。
「私は9,000回以上シュートを外し、300試合で負けてきた。何度も信頼された場面でシュートを外してきた。そのたびに私は失敗し続けた。それが成功の理由だ」
彼の成功は天賦の才能だけではなく、失敗を糧にする根性が生み出したものである。ジョーダンは、何度失敗しても諦めることなく挑戦を続けた。
試合での華々しい成功の裏には、何千時間もの努力と、数え切れないほどの失敗があった。気合いと根性が彼をバスケットボールの頂点に導いたのだ。
ライト兄弟:飛行への執念
さらに、空を飛ぶという人類の夢を現実のものにしたライト兄弟もまた、気合いと根性の象徴である。彼らは何度も失敗し、笑い者にされながらも、飛行機の実現に向けた努力を続けた。
彼らの実験の多くは無駄に終わったかのように見えたが、彼らは諦めなかった。最終的に、彼らは初めての有人飛行を成功させ、世界の航空技術を一変させた。
技術的な知識や理論があったことは確かだが、彼らの成功を支えたのは、それ以上に「諦めない」という根性。気合い、根性、根性、気合いである。
ダイソン:発明の裏にある根気
最近では、掃除機や家電製品で知られるジェームズ・ダイソンも「気合いと根性」の象徴的な人物だろう。
彼はサイクロン方式の掃除機を発明するまで5,126回もの試作品を作った。普通なら、数回の失敗で挫折するところだが、彼は失敗を恐れずに改良を続けた。
聞きたい。5,126回も何かにチャレンジしたこと、ある? 俺はないよ?
ジェームズは5,127回目の試作品でついに成功し、ダイソンは世界的な発明家となった。このエピソードは、まさに「気合いと根性」がいかに重要であるかを物語っている。
夏目漱石:文豪の根性
作家の世界でも、気合いと根性で道を切り開いた人々がいる。その一人が、日本の文豪・夏目漱石だ。
彼は、東京帝国大学(現在の東京大学)で英文学を教える傍ら、自らの執筆活動を始めた。しかし、彼の作家人生は決して順風満帆ではなかった。漱石は、英国留学時に孤独と精神的な病に苦しみ、異国での生活に適応することができず、精神的な苦悩を深めていった。
漱石は病みに病んだのである。
そこからの気合いだ。マジで気合い。なんやかんや漱石は気合いと根性でなんとかしたのだ。
彼はその経験を糧に、「我が輩は猫である」や「こころ」といった名作を生み出した。彼が偉大な作家として歴史に名を残すことができたのは、その背後にある強い気合いと根性があったからだ。
フィッツジェラルド:失敗と挫折の中の成功
もう一人、アメリカの作家F・スコット・フィッツジェラルドもまた、気合いと根性で乗り越えた作家の一人だ。
彼の代表作『グレート・ギャツビー』は、現在では20世紀アメリカ文学の最高傑作と称賛されているが、出版当初はまったく売れず、批評家からも冷淡に扱われた。
さらに、彼は私生活でも経済的困窮や妻ゼルダの精神的な病気に苦しみ、酒に溺れた。しかし、彼は書くことをやめなかった。生涯の多くを借金に追われながらも、フィッツジェラルドは最後まで執筆を続け、死後に評価されるまでその根性で乗り切ったのだ。
皮肉なことに
皮肉なことに、現代の効率至上主義やテクノロジー信仰の時代において、「気合いと根性」は軽視されがちだ。多くの人々は、問題解決にはデータやアルゴリズムが最適だと考え、感情や意思の力は無意味だとする。
だが、偉人たちが示してきたように、最も偉大な成果を成し遂げるためには、必ずしも冷徹な合理性だけが必要なのではない。むしろ、気合いと根性が最後の一押しとなり、人類を前進させてきたのだ。
もちろん、単に無鉄砲な努力や無計画な根性論だけでは足りない。どれほどの気合いを注ぎ込んでも、方向性を間違えていれば、それは無駄に終わることもある。しかし、計画と実行を支える根底にあるのは、やはり「諦めない心」。それは、科学的根拠を超えた人間の力、すなわち「気合いと根性」の力だ。
マジで気合い。そして根性。
なにごとも諦めてはいけない。
いま、何事かが叶っていないのなら、それは気合いと根性が不足しているだけである。
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