「川に沈んだかのような気持ち」
今、記載出来ることを順に書いていく形式にしていきたいので、時系列がごちゃごちゃになるのはお許しください。
固有名詞は控えますが、これを読んだ人の中で、もしかして?という人がいつの日か現れるかも。
私の正体に気付いても、黙っていてください。
あの時、そう思ってたのね、と流してください。
もう、10年は軽く経つだろうか。
テレビより、ラジオ。
しかも、公開収録や、街角でレポートをする
レポーターさんのファンになり頻繁に会いに行っていた時の話しである。
おかげさまで、土地勘があるエリアがかなり多くなったのは、今となっては強みなのだけれども
ファンが多かった分、楽しいことばかりではなく、つらく悲しい経験もした。
神奈川県は、意外に横に広く。
しかも、東部と西部では気質も違う。
私が傷つく出来事の原因は、そこにあった。
当時、mixiが盛んだった時だった。
ある時、突如
『東部支部』『西部支部』という
2つのグループが作成された。
実は、私は両方に所属していた。
なぜなら
その時に、住んでいたのは西部にあたる場所。
だけれど、頻繁にイベントや、レポーターさんに会いに行っていたのは、横浜や、川崎をはじめ東部エリアが多かった。
東部の方が、心地よかった。何故なら、私は、地元の学校ではなく、電車通学をしていたから、東部エリアの方が馴染みが強かったのだ。
その、私の詳細の話は後日。
でも、私の背景が、奈落に落ちる展開になった。
ある時、メッセージか、直接会った時かは分からないが、東部エリアの方々が、西部エリアのリーダー格の人に、こう述べたのだという。
「お互い、仲良くやりましょうよ!」
ところが、西部のリーダーは勿論。
メンバーのほとんどがNo!!!の回答だった。
無理もない。完全なる田舎気質。
他所ものは受け入れん!身内だけで仲良く精神が強いのだ。
私が、つかず離れずで適度に仲良くしてたのは
その気質に違和感を感じていたからだ。
最初は、少しのいがみ合いだけだった。
でも、エスカレートしていった。
ある日、mixiの西部支部のグループから除外されていた。
そして、風の噂で、聞いた言葉に傷ついた。
『あいつ(私の事)は、スパイだ。』
当時住んでた場所は、西部。
馴染みある場所は、東部。
その境目……。
境界線は、相模川だった。
当時、電車でその川を見る度
川に沈んだ……川に堕ちたい……
そんな心境になった。
今なら言える。
『川を勝手に喧嘩の境界線にするんじゃねー!』
でも、若かった私は、ただ黙り
傷つき、影で泣くことしか出来なかった。
振り返ると、それ以来
人種差別や、障がい差別…
カテゴリー分けで判断する事を嫌うようになった。
ボーダーライン人生。
その後も悩まされ続けるのだが。
人生そのものだけではなく。
悩みも『ボーダーライン』が多かったって話。
人ってさ。
アイデンティティっていうのがあってさ。
それをないがしろにしないで欲しいって思う…