橘 希依

神奈川の片隅で生きてます。SHOWROOM以外でも、だべり始めました。

橘 希依

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マガジン

  • ボーダーライン人生

    神奈川の片隅から、こんにちは

  • 1week -私がPTSDになった理由-

    東日本大震災の時に、メディア視聴のしすぎで半年後からPTSD症状が出始めました。9年経ち、一旦緩和したので、体調と相談しながら記載はじめることにしました。

最近の記事

心身は覚えている、、

2020年7月30日  午前中 関東では、突然、緊急地震速報が鳴った。 マグニチュードが7の表示。 結果、誤作動だったけれど…… その後、数時間、私はベッドから動けなくなった。 直後から動悸……。逆に動いてはならぬ。 よく、トラウマやフラッシュバックに悩んでます。または持っている人間だというと。 「そんなの気持ちの問題だ。」 「考え方変えれば、平気だよ。」 という方、いるのですが。 今朝の私のように。目の前に起きた場合 それに当てはまる事柄が起きた時に

    • 中学受験サバイバル

      私は、小学校3年生の終わりから 中学受験の勉強をし始めました。 色々塾はあるけれど、「四谷大塚」系列の塾でした。 『四谷大塚』 中学受験経験者や、今まさにお子さんを受験させてる親御さんならご存知かと。 詳細を話すと、他の塾とは異なり、特定のテストに合格しないと、日曜テスト始め、テキスト貰う権利や、サービス利用が出来ないシステム。 今はどうか分からないが、私が受けた時は、それが毎年あって、受験以上にハラハラだった。 もう1つ、ハラハラの理由。 ランクが3つあり、

      • 歴史が繰り返されてる

        2020年2月27日……記。 本当は、東日本大震災の時のことを…… あの1週間の事を時系列で書こうとしたけれど、タイムリーな話と絡めた方がいいなと判断して、記載スタイルを少し変えることにした。 私が、東日本大震災から数年以上、PTSDの症状に悩み、苦しんだ理由の1つと同じ現象が、今、メディアと、世間で起きているからだ。 まず、新型コロナウイルスに感染してしまった全世界の皆様、家族・親戚・友人知人、大切な方が罹患してしまった方。そして、自分も感染しているのではないか?と

        • 『私立』のイメージってなんなの?

          「小学校から高校まで、私立でした。」 または「地元の学校に行かなかったんです。」と述べて、理由を言うと 「お嬢様なんだね。」と言われる。 または「エスカレーターだったの?」 「お受験したの?」 答えは、全部No!!!  だ。 私は、中学受験経験者である。 だから、完全エスカレーターではない。 小学校は、簡単な面接はあったが、テレビドラマとかでやるような堅苦しいのではなかった。 まあ、通ってた小学校が少し特殊だったんだ。 一応いう。 私の、この名前は、仮名

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        • ボーダーライン人生
          6本
        • 1week -私がPTSDになった理由-
          2本

        記事

          もう9年なのか、まだ9年なのか

          『2011年3月11日』 私は、神奈川県内の自宅にいた。 何年か前に再発していた持病は回復していたのだが、前年から生活に支障をきたしていた、片頭痛で寝込む日々が続いていた。 だから、その日もワイドショーをテレビで見ていた。 だけど、都知事選関連の放送だったか 「もう、見たくない!」と思ってテレビを消してリビングでふて寝をしていた。 午後2時46分 あの瞬間、というか長く揺れてた最中のことは今でも忘れない。いや、忘れられる訳が無い。 変な揺れ方だなーと最初は思っ

          もう9年なのか、まだ9年なのか

          「川に沈んだかのような気持ち」

          今、記載出来ることを順に書いていく形式にしていきたいので、時系列がごちゃごちゃになるのはお許しください。 固有名詞は控えますが、これを読んだ人の中で、もしかして?という人がいつの日か現れるかも。 私の正体に気付いても、黙っていてください。 あの時、そう思ってたのね、と流してください。 もう、10年は軽く経つだろうか。 テレビより、ラジオ。 しかも、公開収録や、街角でレポートをする レポーターさんのファンになり頻繁に会いに行っていた時の話しである。 おかげさまで

          「川に沈んだかのような気持ち」

          『世代、そして生まれた年』

          ボーダーライン人生について 色々考え、最初に何を書こうか悩んだ時に 「生まれた年、からしてそうじゃないか」 と気付いて笑ってしまった…… 1981年。 私はこの世に生まれた。 1970年代が終わって間もないこの年。 元号でいうと『昭和56年』 そう、私は、元号が2回変わるのを 経験する事が出来た世代でもある。 しかも、昭和から平成に変わった時 全ては覚えてないものの 亡き小渕さん(当時官房長官)が 『平成』と書かれた色紙を出している中継を 私は覚え

          『世代、そして生まれた年』

          線の上

          「これから何を書こうかな」 と、色々考えていたのだが あまりに自分の「ボーダーライン」ぶりに もはや笑いが止まらなかった。 正確に言えば……。 「どのカテゴリーにも属せない」 「ここにもあそこにも染まれない(入れない)」 というのが正しいだろう。 一匹狼と言ったら聞こえはいいのだが 悲しきかな、生きづらい、ツラい そう嘆くことが多い。 何よりも 「悩みや苦労の理解者がいない」 これ以上、つらいことってなかった。 探せばいるんだろうが策がない。 で

          『ボーダーライン人生』

          初めまして。 橘 希依 (たちばな きい)と申します。 本名ではありません。 『夢に向かって色々やってるんです!』 と言ったら、カッコイイけど 実際は、人生さまよってるだけ… それでも悩むうちに 『夢の形は1つではないこと』 『継続することが大事』 この2つは思いました。 とはいえ。 ありのまま、心の内だったり 人生経験談を書くつもりなので スローペースになること そして、書く内容は 『今、ここまでなら書ける』 という内容になりますこと あら

          『ボーダーライン人生』