vol.7 「今までやってきたこと全て、無駄になっていない。」三重紀北消防組合 淺尾喜之さん
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今回の「しごとカード」インタビューは、三重紀北消防組合消防本部で働いている淺尾 喜之(あさお よしゆき)さん。
体育大学進学のために、紀北(きほく)町から大阪に出た淺尾さん。大学時代、就職を意識し始めた頃に「消防士になりたい!」という強い思いが湧いたそうです。
大学卒業後は地元に帰って消防士になり、東日本大震災の時は、緊急消防援助隊として仙台で活動されました。消防の現場で体験したことや学び、仕事への思いなど、力強い言葉でしっかりと語っていただきました。
※記事内の写真は、読者の方々に消防の仕事を分かりやすくお伝えするために、消防士の方々にご協力いただいた活動デモンストレーション写真です。実際の活動現場の写真ではありません。ご了承下さい。
この記事は「しごとカード」に登場していただく“紀北町で働くひと達”に、地域おこし協力隊・豊川がインタビューしていくシリーズです。
あなたは、どんな風に働きたいですか?どんなところで、どんな人たちと働きたいですか?あなたが、自分に問いかけ、自分の中にある答えと出会っていく。そのきっかけに、この note がなれたら嬉しいです。
※しごとカードは、紀北町でいきいきと働いている人たちが「仕事との出合い方」「仕事の魅力や喜び」「紀北町のスキなところ」等を、これまでの人生のエピソードを交えながら、若い世代の人たちに向けて語ってくれたことをカードにしたものです。
1.地元に帰りたい。
ーー今の仕事に就かれるまでの経緯を教えて下さい。
淺尾さん(以下、敬称略) 昭和57年(1982年)生まれです。相賀(あいが)小学校、潮南(ちょうなん)中学校、尾鷲(おわせ)高校と進み、大阪体育大学に進学するために紀北町を出て、大阪府に行きました。
大学卒業後は、紀北町に帰って三船(みふね)中学校で非常勤講師として働きました。
ーー先生だったのですか?
淺尾 はい、教員免許をもっていたので、1年間、教員をしました。大学卒業後、すぐに地元に帰ったのですが、その年は消防の採用募集がなかったんです。
就職浪人のような形で消防の試験対策をしながら、1年間教員をしました。そして、次の年に消防の募集があったので応募し、採用されて消防士になりました。
ーー消防士になろうと思ったのは、いつ頃ですか?
淺尾 大学3年か4年のときだったと思います。大学に入学した頃は「とりあえず、先生の免許を取っておこうかな。」という感じで、教員免許が取得できる教科を履修しました。
「地元に帰りたい。」という気持ちがずっとあったので、就職を意識し始めたとき「地元で、やりがいのある仕事って何だろう?」と考えた時に「消防士」という答えに辿り着きました。
ーーご家族が消防関係者だとか、消防士に馴染みがあったのですか?
淺尾 家族には消防関係者はいません。それまでは興味も全くなかったんです。
ーー「消防士になろう!」と思い始めてから、色々と調べたり、試験対策はしましたか?
淺尾 特に対策をするということはなかったですが、自分が卒業する年は消防の募集がないと分かっていたので、勉強のために、警察官とか教員の就職試験を受けたりしていました。併せて、消防士の仕事についても少し調べたりしていました。
2.使命を遂行する。
ーー消防士の採用試験を受けて合格した後は、どんな流れで進むのですか?
淺尾 採用試験に合格したら、4月から消防本部に入ります。1週間ほどしたら、鈴鹿の消防学校で8ヶ月間の初任研修を受けます。
ーー消防学校では、どんな勉強をするのですか?
淺尾 消防学校では、消防の消火・救助・救急・予防など、消防の基礎的なことを全て学びます。消防学校での学びが終わったら、所属に戻ります。
ーー消防学校時代はどうでしたか?
淺尾 どうやったかなぁ…あまり覚えてないですね(笑)結構大変だったとは思うんですけど、それはそれで楽しかったり、面白いことがあったので、いい思い出ですね。体育大学出身なので、体力面では困りませんでした。
ーー消防学校から戻ってから配属先が決まるのですか?
淺尾 はい、そうです。最初の配属先は、海山(みやま)消防署でした。
ーー配属されてから、すぐに現場に出るのですか?
淺尾 はい。配属されたらすぐに救急車にも乗りますし、消火活動にも出ます。とは言え、8ヶ月間、学校で勉強したところできちんと出来るわけでもないんですけど…先輩に怒られながら、なんとかやっていました。
ーー消防学校では、人命にかかわる仕事だという心構えなども学ぶのですか?
淺尾 そうですね。授業では、現場でしっかりと仕事できるようになるために、悲惨な現場の写真を見たりして少しずつ免疫をつけていきました。
現場では「仕事だ」という気持ちになって、自分の感情は横に置いて活動に集中します。「自分の感情に飲み込まれずに、使命を遂行する。」という気持ちでいます。
ーー今まで、どんな風に異動されましたか?
淺尾 海山(みやま)消防署、紀伊長島(きいながしま)消防署、尾鷲(おわせ)消防署、消防本部、の4ケ所を異動します。1箇所、だいたい2、3年で異動になります。現在は本部に来て2年目です。
ーー地域によって、働き方に違いはありますか?
淺尾 自分が慣れ親しんだ地域は仕事がやりやすい、という感覚はあります。消火栓の位置もだいたい分かるし、道も慣れていますしね。地域のかたとのやりとりに関しても、顔見知りの方がいたりするので進めやすい部分もありますね。
慣れていない地域だと、道の情報についても勉強が必要だし、大きな車が出入りできるか等の詳しい情報も必要になってきます。
ーー現在、どんな活動をされていますか?
淺尾 簡単にいうと、僕は、3つの業務があります。1つめは、消防に関することの事務。2つめは、指揮隊という所に所属しています。指揮隊は、災害現場において、災害の情報収集、部隊の統制をしています。3つめは、水難救助隊。水難事案に出動します。これら3つの業務に携わっています。
ーー就業時間や休日は?
淺尾 今の部署は、基本的に8時30分から17時15分の就業、土日祝が休日ですが、出動要請があれば出動します。
ーー毎日、どんなスケジュールで動いていますか?
淺尾 僕の場合は、8時15分に引継ぎ(勤務交代)です。前日勤務の人から本日勤務する人へ交代します。その後、車両・無線・資器材の点検。
その後は、事務処理、訓練、勉強、体力トレーニングです。訓練、勉強、体力トレーニングに関しては、当務責任者(課長補佐)が考えたものをおこなっています。
3.目的を見失ったら、あかん。
ーーこの仕事のやりがいは?
淺尾 「感謝してもらえる」ということかな。消防の仕事は「(救急車で運んでもらって)ありがとう。」とか「助けてくれて、ありがとうございます。」という言葉をかけて貰えます。
就職を考えたときに「消防の仕事は、“ありがとう”と感謝してもらえる仕事。それは自分のやりがいに繋がる。」と思ったことが、僕が消防の仕事に就きたいと思った理由でもあります。
ただ、場合によっては「(救急車が来るのが)遅い!」と怒られることもあります。最善を尽くしていても時間がかかることもあります。そして、待つ立場だと、待っている時間が余計に長く感じるのだと思います。
僕自身も救急車を呼んだ時は「待っているのって長いな…」と思いました。そんな経験も踏まえて、少しでも早く現場に到着できるよう、努めています。
ーー仕事をする時に、いつも胸に置いていることはありますか?
淺尾 救助や救急の場において「その人の気持ちになる」ということは、いつも胸に置いています。
早く救助するということはもちろんだけど、「苦しい」というその方の気持ちを忘れずに活動にあたらなければいけないと思っています。
人形を相手に訓練している時でも「これは生きた人だ」と思って、訓練をおこなうようにしています。
訓練時も、現場同様にその人の気持ちを思って、「一刻も早く救出しなければいけない」という気持ちでやっています。
ーー“相手の気持ちになる”ということと、最初の方にお話いただいた“感情を抑えて使命を遂行する”ということのバランスをとるのは難しくないですか?
淺尾 うーん、仕事を始めた頃は、現場で活動するのに必死でした。いろいろ考えている余裕がなかったので、難しいと思ったり、気になるようなことはなかったです。
ーー今、何か思うことはありますか?
淺尾 そうですね、今になって特に思うことは「目的を見失ったらあかんな。」と。
「この人を早く救助することが目的。その目的に対して、僕らが今できる最善のことをやる。」ということを見失わないように心掛けています。
ーーこの仕事を始めてから、印象に残っていることはありますか?
淺尾 嬉しかった場面や辛かった場面は色々とありますが、特に印象に残っていることは、東日本大震災の時に緊急消防援助隊として仙台に行かせてもらった時のことです。
活動が終わって、三重県隊の消防車両が何十台と連なって帰る時に、沿道で住民の方々がおじぎをして下さっている姿を見た時に「この仕事をしていて良かったな」と思いました。そのことは、とても印象に残っています。
一番辛かったのは、子どもの現場に関わったときですかね。本来は現場では自分の感情を出してはいけないのですが、その時は「なんとか助けたい」という気持ちでいっぱいでした。
緊急消防援助隊
大規模災害や特殊災害が発生し、被災地の消防機関では対処できない場合、被災地からの要請を受けて各都道府県の消防本部や航空隊が、空から陸から応援に駆けつけます。この応援部隊が「緊急消防援助隊」です。(総務省消防庁HPより一部引用)
4.好きなことをやっているんだと思うと乗り切れる。
ーー淺尾さんにとって、仕事とは?
淺尾 僕にとって、仕事は「好きなことをやっている」という感覚です。僕は、消防の仕事が好きです。好きなことを仕事としてやれているのは、有り難いですね。
好きなことを仕事に出来ている人って、おそらく少ないと思うんです。自分は好きなことが仕事になっていて良かったなぁと思っています。
仕事をしているといろんなことがありますが「好きなことをやっているんだ」と思うと、乗り切れています。
ーー悩んだときは、どうしてますか?
淺尾 身近な先輩に相談にのってもらっています。
ーー得意なことは、ありますか?
淺尾 ずっと水泳をやっていたので、水泳は得意です。そのおかげで、今、水難救助隊にいます。自分が今までやってきたことが、仕事に活かされています。
好きなことは、筋トレです。現場に、ヒョロヒョロの消防士が来るのと、しっかりした身体の消防士が来るのとでは印象が違う、と僕は思うんですよね。筋トレは、消防署内や紀北健康センターで週3、4回やっています。
ーー苦手なことはありますか?
淺尾 人前で話をすることは、どちらかと言えば苦手だったけど、やっているうちに出来るようになりました。
5.今までやってきたこと全て、無駄になっていない。
ーー紀北町で好きな場所はありますか?
淺尾 銚子川が好きです。あとは、紀北健康センターかな。良く行っています。
ーー二十歳の頃の自分に、今、声をかけてあげられるとしたら?
淺尾 そうですね、「やってきたこと全て、無駄になっていないよ。」と言ってあげるかな。水泳をやってきたからこそ、今、水難救助隊の活動が出来ています。
元々苦手だった“人前で話すこと”も、教員の経験を経て慣れて、今の仕事で人前で話す時に役立っています。
「これまでの人生でやってきたことは、無駄になってないな。」と思うんです。
ーー若い世代のひとたちへのメッセージをどうぞ。
淺尾 「若いときの苦労は、買ってでもせよ」かな。何もしないでいたら、前に進むことは出来ない。
楽しいことも苦しいことも、色々とやってきたからこそ、その後のことに繋がっている。自分のこれまでを振り返ってもそう思うので、この言葉を選びました。
ーー楽しいことも苦しいことも、振り返った時に自分の宝物になるかもしれませんね。人命に関わる仕事をされている淺尾さんの言葉が、深く心に響きました。今日は貴重なお話を聞かせていただき、ありがとうございました。
【三重紀北消防組合 淺尾喜之さんからのメッセージ】
・目的を見失ってはいけない。
・好きなことをやれていると思うと、大変さも乗り切れる。
・やってきたこと全て、無駄になっていない。
・若いときの苦労は、買ってでもせよ。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今回の 三重紀北消防組合 淺尾 喜之さんのお話はいかがでしたか?あなたの中にある仕事に対する思いや大切にしていることを感じるきっかけになったら嬉しいです。
(取材先情報)三重紀北消防組合
http://www.kihokufd119.jp/
〒519-3639 三重県尾鷲市中川28-43 TEL:0597-22-2021
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