祖母に「優しいね」と言われて混乱した話

今日(2021年1月2日)、祖母に電話した。毎年お正月には家族と祖父母と食事していたのだが、今年はコロナ禍で会えないので、電話してみた。

祖母はすごく喜んでくれて、「きほちゃんから電話もらえるなんて夢みたい!嬉しいよ〜涙出てきちゃう」と感激していた。思ったより長く色々と話し、その後祖父とも話し、また祖母と話した。

祖母は何度も何度もお礼を言ってた。そして「きほちゃん優しいね。優しい。きほちゃんの小さい頃思い出す。」と言ってくれた。

これを聞いたとき、私の心の中では混乱が起きていた。『優しい!?え、おばあちゃん、私のこと優しいって言ってくれてる!?いや、そうだよね、私は優しいはず……でも人からしばらく優しいなんて言われてない……私って優しいのかな……。』

なぜなら私の脳裏には、昨年母から泣きながら言われた言葉が染みついているからだ。「冷たくしないでほしい。普通に接してほしい。」というフレーズ。

これを反芻しているうちに、『私は冷たいんだ』『自分は冷たい人間なんだ』という式が私の中に成立してしまった。意識はしてなかったけど、今かえりみるとやはり確実に思っていたし、それに伴う罪悪感も感じていた。30近くなっても、母の発した言葉が新たな呪縛となってしまうとは……。

でも今日祖母の言葉によって、それを塗り替えていいと気づけた。私は優しいんだ。性来優しいんだ!!

そういえば去年、たまたま小学校のときの担任の先生と電話したときも、「きほちゃん優しい子だもんね」と言ってもらえたのだった。

私は気づいた。私は、親から、「優しい」とか「可愛い」とか言われて育ちたかったんだ!うわ〜ん!!!

私が大学生のとき、祖母は「きほちゃん、綺麗よ」とも言ってくれた。ハレの日でもなんでもなくて、普通に大学行く日。(実はこの日も舞い上がってしまって、短歌を詠んじゃったりしちゃったのだった。)

私は優しいし可愛いし綺麗なんだ。母から言われなくても祖母は認めてくれるんだ!今日からこっちを反芻することにする。

(ちなみに父や祖父はこういうことを言わない。照れくさいのだろうか。だとしてもいただけない。絶対配偶者にも言ってこなかっただろうなと思う。そういうところやぞ!)



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