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#猫のいるしあわせ

こんにちは、ぱんだごろごろです。

今日は、「2月22日は猫の日」ということで、猫にまつわる思い出話をしたいと思います。

ミー

私が初めて飼った猫は、名古屋の実家にやってきた三毛猫でした。

生まれて間もない仔猫で、空き地に放置されているところを、

兄が見つけて、可哀想だからと、拾ってきたのです。

(兄によると、知らないおばさんがやって来て、その仔猫を乱暴に捨てていったのだそうです)

小学校の高学年だった兄は、その時、学習塾の帰り、

塾かばんに仔猫を入れ、家まで持ち帰ったのでした。

最初は、怖がって、部屋の中を走り回っていたミーですが、徐々に落ち着いてきて、

迷っていた母も、飼う気になり、

棄てられていた仔猫は、住み処を見つけたのでした。


私が小学生だった時に、家にやって来たミーは、

私が大学生になっても、まだ生きていましたが、

ある日、名古屋の祖母から、ミーが老衰のため、

部屋の奥、片隅で、ひっそりと亡くなっているのが見つかったという知らせが届きました。


ラビ

東京の私の実家は、板橋区にありました。

もとは大伯母夫婦が住んでいた家で、庭には井戸や、蛙の棲む小さな池がありました。

私と兄とは、どちらも東京の大学に進学したため、

大伯母夫婦が、熱海の老人ホームに越していったあと、

空き家になっていたその家に住むことになったのです。

2年後には、家を建て替えて、両親も移ってくることになるのですが、

大学入学後のしばらくは、その古い、庭の広い家に、兄と住んでいました。


ラビは最初、庭に遊びに来る猫でした。

えさをやっているうちに、だんだん馴れて、家の中にも入ってくるようになりました。

ラビと名前をつけました。

半分飼い猫、半分外猫のような暮らしです。

猫ジステンパーにかかった時には、ボストンバッグに入れて、

獣医さんのところまで、何度か通ったものでした。


面白いことに、ラビは、器用に前足で戸を開けるのです。

私が寝ていた部屋は、1階にあり、庭に面していました。

ラビは、庭から上がってきて、自分で戸を開けて部屋に入り、私が寝ている布団の中までやって来たものでした。


今から思うと、信じられないようなことですが、

私は、ラビのために、庭に面した引き戸には、鍵を掛けず、

朝気が付くと、少し戸が開いたまま、ということも数回ありました。

(防犯上、よろしくないので、皆さんは真似しないでくださいね)


ラビは、布団に入ると、枕に頭をのせて寝るのです。

夜、ふと隣を見ると、向こうを向いて寝ているラビの耳、

小さな三角形がふたつ並んでいるのが見えて、

それはもう、幸せな気持ちになるのでした。

猫のいる暮らし、

猫のいるしあわせ。


チビ

ラビの子です。

ラビの生んだ子だから、チビと名付けられました。

ラビと同じく、きじ猫でした。

この猫は、交通事故で、車に轢かれて亡くなりました。

近所の子供たちが知らせに来てくれて、父が、段ボール箱と軍手を持って、

現場に向かいました。

ミニ


チビがこの世を去ってから、母も私も、猫を飼う気になれない日々が続きました。

しばらくして、父が子猫と一緒に帰宅しました。

歩いていたら、足許にまとわりついてきて離れないのだ、と言うのです。

しょうがないから連れて来た、と。

ラビ、チビがきじ猫だったのに対し、ミニは、白地に茶、黒のぶち模様でした。

母が、これは何かの縁だから、と言って、家で飼うことになりました。

チビの次に来た猫だから、ミニです。

この猫は、私も兄も結婚して、実家にいるのが両親だけになってからも、

しばらくこの世にいて、両親の相手をしてくれていました。

タイトル画像は、新婚旅行のあとの里帰りの時、

私の膝に乗るミニです。

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ありがとう、ミニ。


息子


ミー、ラビ、チビ、ミニに続いて、愛くるしい子猫・・・、

では、当然ありません。

本人は、自分を三毛猫もしくは日本猫だと言明しています。

私の目にのみ、愛くるしく見えます。


休日、穏やかな時間が流れていきます。

そんな時、ふと、目のすみに映った息子の姿(冷蔵庫の戸を開けて、中を覗き込んでいました)に、

思わずつぶやいてしまう言葉は、


「猫のいる暮らし」


それは、しあわせの象徴。

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今日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。

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ぱんだごろごろ
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