年金生活者の天職とは
こんにちは、ぱんだごろごろです。
今日は、自分の天職について考えます。
同時に、もうあと三年で定年を迎える身、
昔で言えば、隠居生活に入る年齢ですので、
老後の天職についても考えてみたいと思います。
老後には老後の天職があるはずですものね。
天職とは何か~「生きがいシート」を通して
以前、「生きがいシート」というワークシートを作ったことがありました。
今回、「天職」を考えるに当たって、この「生きがいシート」のことを思い出したのは、「生きがい」を見つける過程の中に、自分の「天職」とは何かを考えるステップが含まれていたからです。
「生きがいシート」の中には、四つの項目が含まれています。
情熱
プロ意識
天職
使命感
この四つの項目が集約されたところに、「生きがい」がある、とされています。
ちなみに、私の「生きがい」は、
▼書く
▼教える
▼もてなす
の三つになりました。
これで考えると、
「社会から需要があって」
「お金をもらえるもの」が、
「天職」だということになっています。
「得意」で「お金をもらえるもの」が「天職」でも良さそうに思えますが、それは「プロ意識」。
あくまで「社会からの需要があること」、
つまり、ひとりよがりではない、他人から必要とされることが、
「その人の天職とは何か」を決めるようです。
私の天職は、「教育」だという結果が出ましたが、
今見直してみると、「社会からの需要があること」の項目の中には、
「教える」に類する内容がありません。
お金をもらうには、「教育」関係の仕事がいいけれど、
周りの人たちから頼まれるのは、
挨拶やスピーチをすることだったり、ちょっとした文章を書くことだったり、来賓の接待をすることだったりするのです。
ただし、そういうことは、ボランティアですることが多く、収入として考えたとき、額が小さいので、この「生きがいシート」を作った際には、「教育」と、まとめたのでしょう。
以前、教育関係の仕事をしていたことは、接客・接遇の仕事をする際にも役に立っています。
子供たちを教育するには、授業だけをするのではだめで、彼らの知的、精神的成熟度に合わせて、様々な知識を与えたり、相談に乗ったり、ケアをしたりする必要があります。
そのときの経験は、イベントで来賓のもてなしをしたり、町内会で、様々な人たちの意見をまとめたり、世話をしたりする時にも、役立っているのです。
今の私の天職は、昔の経験を生かして、磨きを掛け、周りから頼まれる様々な用件を果たしていくことにあるのだと思います。
自分の能力と経験を最大限に生かして、人々の依頼に応えること。
仕事もその一部です。
昔、なりたかったもの
私が中学、高校生時代になりたかったのは、
「高等遊民」でした。
夏目漱石の小説に出てくるような、定職を持たず、親からもらった資産で生活しているような、知識階級の人々のことです。
うっかり母親に言ったところ、こっぴどく叱られました。
今まで受けたきた教育を、どぶに捨てる怠け者だと思われたのでしょう。
私には、資産も何もないので、「高等遊民」になれるはずもなかったのですが、母親からしたら、危険思想の持ち主のように思われたのでしょうね。
結局、受けた教育を生かした、地道な職に就きました。
これから(老後)の天職
あと三年で、私も無職の年金生活者になります。
無職でいながら、天職はあるのでしょうか?
もちろんある、と私は思っています。
なぜなら、時間があるではありませんか。
私の夢は、書いて暮らすことでした。
思い切り読みたい本を読んで、あとは一日一つ、何かを書いて、暮らして行きたい。
世捨て人のような暮らしですが、それが理想でした。
無職になったら、理想の暮らしを天職にするチャンスです。
世間の需要と、見合った収入のあることが、天職の条件でしたね。
収入は、年金があります。
足りない分は、投資でまかないたいと思っています(すでに始めています)。
世間の需要は、書いてと頼まれることです。
相手は、同窓会の会報の編集をしている友人でも、町内会の広報の担当者でも、恩師でもいいのです。
書いて、と頼まれたら、書こうと思います。
それに、noteがあるではありませんか。
発表の場があるというのは、大きいことです。
たとえ誰からも頼まれなくても、読んでくれる人がいる以上、書くことは天職でしょう。
いつか私は、無職の年金生活者になります。
その時、私の天職は、花開くでしょう。
今から、その日が来るのが、楽しみです。
今日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。
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