蝙蝠
深い藍色に染まった空の下をコウモリたちがせわしなく飛び交う。
彼らはジグザグと軽快に羽ばたきながら、羽音なのか声なのか、ときどき音を発する。その音を文字にするとどうなるか、ということを私は今悩んでいるのである。
例えばパタパタとかカタカタとか、そういう音とは違う。もっと濁った音だ。
ジジジジ…。違う。
ジキジキジキジキ。
そう、何となくゼンマイ仕掛けのような、こんな音がするのだ。
コウモリは哺乳類の仲間では唯一自在に空を飛ぶことができる生物である。彼らの体にはきっと何か機械仕掛けのカラクリがあるに違いない。
ジキジキジキジキ。
ねぐらに向かうツバメたちと入れ替わるように、黄昏の空を小さな獣が飛び交う。
夏らしい風情。
まさか彼らも夏の季語になるためだけに空を飛んだわけではあるまいが…。
コウモリという名は蚊をとって殺すという意味の「蚊屠(かほふり)」からきたといわれる。江戸の頃は彼らも鳥の仲間だと考えられていて「蚊食鳥」とも呼ばれたそうだ。
コウモリの語源は他にもあって、川の上を飛び交って害虫を食べてくれるから「川守」、かわもりがなまってコウモリとなったとする説もある。
昨今では彼らのことを気味悪がる人も少なくないが、元来益獣であるコウモリは東洋では縁起の善い吉祥として大変好まれてきたのである。中国では百年生きたネズミがコウモリとなって空を飛ぶという伝説があり、長寿のシンボルともなっている。
日本にはおよそ百種の哺乳類が暮らしているそうだが、その約三割に当たる数がコウモリの仲間なのだという。もちろんこの繁栄は我が一族にとって未開の「空」という世界に彼らが進出したためであるが、夜の空で活動するコウモリたちは口から超音波を発してその反響で物を察知するという、いささか手の込んだ離れ技を身につける必要があった。
彼らにはどうしても白昼堂々と空を飛べない理由があったのだ。つまりそれは、空に鳥たちがいるからである。
鳥なき里の蝙蝠。
これは「その道に優れた者がいない場所で、大したこともない者が威張ること」を例えた諺だ。
かつてキョウリュウたちが大地を跋扈していた時代、我ら哺乳類は情けなくも彼らに怯えながら、夜間ひっそりと活動せざるを得なかった。天から降りそそいだ一個の隕石は彼らを絶滅へと追いやり、はからずも我々はこの大地の支配権を得て白昼堂々のさくり歩くことができるようになった。
ただしこれはあくまで地上での話であり、頭上には依然として奴らの大帝国が広がっているのだ。鳥は現代まで生き残った恐竜の一族なのである。
小さな体で果敢にも空へと進出したコウモリたちは、確かに一族としては大きな繁栄を得たが、所詮我らは恐竜相手には手も足も出ない。この勇敢な空飛ぶ獣は奴らの寝静まる日の暮れを待って、こそこそと夜の空を舞い始めるしかないのである。
鳥なき里の蝙蝠。
彼らは日中せまい暗がりにぶらさがって身を寄せ合い、悔しさにプルプルと震えている。
風が強い。コウモリたちは川の上流に向かって押しつ戻されつ、必死になってパタパタと翼を羽ばたかせている。そんなけなげな獣をあざけるかのように、一羽のアオサギが大きな羽を悠々と広げ、颯爽と川上に消えていった。
ジキジキジキジキ。
ああそうか、あれはコウモリたちの歯ぎしりであったか。
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