青鷺
池の上に並べられた太陽光パネルに一羽のアオサギがとまっている。彼は堂々たる両翼に夏の陽光をさんさんと浴びて放心状態である。
太陽光パネルは休みなくふりそそぐ日の光をせっせと電気エネルギーに変換して人々に供給し続ける。石油石炭は空気を汚すし、原子力に頼ればあと始末が大変だ。ならば今度は太陽から直接エネルギーを奪ってやろうなどと、われわれ人類の探究心は果てがない。
アオサギはこうして羽を広げて日光をさえぎり、人類の文明の発展を少しでも食い止めようと一人頑張っているのである。
だけど彼だってこうしてばかりはいられない。充電完了したアオサギは急に活気づいてふわりと飛び立つと、近くの岸辺に着陸した。
さてと、そろそろひと仕事はじめることにしようか。
無論彼の肩書は漁師である。
その漁法は水辺に立って足元に魚がくるのをじっと待つ「待ち伏せ漁」である。また一名を「無念無相の漁」ともいう。
彼は心を空にしてただじっと水中の動きを見つめる。見れば魚はけっこうたくさん右往左往しているようだが、どんな魚でもよいというわけではないらしい。ある種の魚を待っているのか、それともある大きさの魚をねらっているのか、彼の視線はそんな雑魚たちの上には微動だにしない。
ようやく目的のものがきたらしい。アオサギはぐーっと首を水面に近づけると、目にもとまらぬ速さでするどく水中を突き刺した。
待ちに待った渾身の一突きであるが、しかし彼らはけっこうよく的を外す。一瞬あわてて目茶苦茶にもう一突きするも手遅れである。
かまうまい。
魚の逃げゆく道を眺めるうちに彼のこころはまた無念無相となる。彼らの仕事はじっと待ち続けることなのだ。
カップ麺熱湯五分が長いと感じる私にはとうていアオサギなどつとまらない。
またしばらく経って彼はとうとう一匹の大きな魚をとらえると、それを一飲みにごくりとやって腹におさめた。
ひと仕事終えてアオサギは羽を休める。
風がゆったりと吹いて静かな水面をきらきらとさざめかせ、岸に生い茂る背高い草があおられて翻ってはがさがさと音を鳴らす。彼はそんな様子を眺めるともなく眺め、ただぼーっと立ちすくんでいる。
それなのに実は常に抜け目なくて、人が近づけばすぐさま大きな翼を広げて飛び立ってしまうのだ。アオサギは池の向こう岸まで悠々と舞い上がり、降り立てばまたしばらくは無念無相である。
こうして今日も彼らの一日はゆっくりと流れていく。
アオサギはダイサギやゴイサギなど他のサギ類と集団をつくって木の上で子育てをする習性がある。
樹上はエサをくれろと騒ぎ立てるヒナたちでかしましいことこの上ない。
こんなだだっ子が一体いつどこであの恐るべき忍耐力を身につけるのか…。
体が大きく寿命も長いアオサギであるが、ヒナから大人になれるのはほんの一握りだけなのだという。多くの子は生まれて二年以内に死んでしまうそうだ。
きっとこのそうぞうしい愛欲の世界を捨て去って、無念無相の悟りに至ったわずかな者だけに生き残る資格が与えられるのだろう。
池では次第に日が傾きはじめた。赤みが差した陽光は水面に映る樹木の陰を濃くする。
アオサギは刻々と変わる景色に溶け込むようにして岸辺に立っている。彼はじっと水面を見つめているから、まだひと仕事するつもりらしい。
私はもう帰ろう。
せわしなく過ぎる人間の一日は短い。私の寿命は彼のものよりもずっと長いはずだが、私の一生は彼の一生のように長くはないのだ。
私はどう生きるべきか。
そんな愚かな問いは、きっとアオサギたちの頭の中には無いのだろう。
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