2022年映画TOP10

■はじめに

2022年に鑑賞した映画の個人的なメモです。
2014年は35本を観賞。2015年は41本を観賞。2016年は62本を観賞。
2017年は82本を鑑賞。2018年は61本を鑑賞。2019年は74本を鑑賞。
2020年は63本を鑑賞。2021年は90本を鑑賞。
2022年は80本を鑑賞。
※全て劇場で観た映画です。家で観た映画はカウントしてません。

2022年の6月以降、仕事が多忙になり、昨年よりも映画を観る時間を作れなかった。そしてアニメ映画が豊作であり、アニメ映画をよく観ていた。その反動でアニメ以外の新しい映画体験を求めるようなアクティブさは昨年よりかは薄くなってしまった。
そのため、個人的に新しい映画体験を得られた映画がTOP10に選出されたように思える。
毎年恒例ではあるが、感想というか自分の中であらすじを整理しながら、あのシーンが印象的だった、みたいな脳内整理をしていく。
そのためネタバレありきの感想メモになることをご了承頂きたい。

■2022年映画TOP10一覧

①アンビュランス
②ゴースト・フリート 知られざるシーフード産業の闇
③RRR
④NOPE
⑤女神の継承
⑥トップガン マーヴェリック
⑦モガディシュ 脱出までの14日間
⑧シルクロード.com-史上最大の闇サイト-
⑨牛久
⑩スパークスブラザーズ

①アンビュランス

マイケル・ベイ監督の救急車ノンストップカーアクション活劇。
本作はどうやら、デンマーク映画「25ミニッツ」(2005)をハリウッドでリメイクした映画のようである。
映画タイトルのアンビュランス(ambulance)は、救急車の意。
救急車両という密室空間で救命措置が施される中、登場人物たちの立場やパワーバランスがシーン毎に入れ替わりながらのノンストップカーアクションが見どころであり、その中での会話劇も傑作。
4人の男女が救急車で逃走劇を繰り広げることになる。救急医療という命のやり取りをしている緊迫度も大変迫力があるのだが、会話でのコミュニケーションでどうにかこの状況を打破しよう、というそれぞれの思惑が画面に見え隠れするのが、痛快。ある種のシチュエーションコントのように感じる部分もあるが、それでも常に一定以上の緊張感があり、それが映画としての美徳を生んでいた。
主な登場人物は以下。
(1)ダニエル(ダニー)・シャープ(ジェイク・ギレンホール)
 退役軍人で、妻の癌の手術費用が必要になり、義兄弟のウィリアムを頼り、一緒に銀行強盗をする覚悟をする。演じるのは「ナイトクローラー」(2014)での好演が印象深い、ジェイク・ギレンホール。
(2)ウィリアム(ウィル)・シャープ(ヤーヤ・アブドゥル=マティーン2世)
 父の犯罪組織を継承し、銀行強盗などを計画、実行している犯罪者集団のトップ。仲間とともに、銀行強盗を画策していた。犯罪者特有で、口が悪く、暴力的な思考を持つが、義理堅い。
(3)カミーユ(キャム)・トンプソン救急医療隊員(エイザ・ゴンザレス)
 救急車に乗り、救急医療を仕事にする女性隊員。腕はピカ一。最善の処置をしながら患者を病院に届けることまでが自身の仕事の領域だと考えている。そのため、病院へ運んだ患者のその後には興味がなく、職場からはドライな性格だと思われている。事件に巻き込まれてウィル&ダニーの逃走劇の人質になる。
(4)ザックLAPD巡査(ジャクソン・ホワイト)
 警官。銀行強盗から逃走の事件を担当し、その中でダニー&ウィルに発砲される。キャム同様に人質になるが、銃撃による致命傷を受けているため、救命処置を車内で受けることになる。

まず、ダニーの境遇が実にアメリカ的。退役軍人で自身の傷病保険が降りず、仕事もなく、お金がない。妻は癌となり、高額な医療費が必要となる。米国社会問題を下地にキャラクター像を描いており、ハリウッドリメイクとして共感を呼べるような作劇になっている。
そして組織犯罪を生業としている義兄弟のウィルの登場。銀行強盗計画から、逃走劇になる展開は犯罪映画の王道。そしてマイケル・ベイ監督によるカーアクションへの期待度を高めてくれる。良き市民であるはずの退役軍人が、どうにもならない社会問題を元で家族を守るために、犯罪組織の中に取り込まれていく過程も丁寧に描かれている。
また、本作の視点は様々で描かれ、キャムの救急医療隊員としての仕事のスタイルを描いたり、LAPDの中でダニー&ウィルの逃走を追うことになるロス市警。そして、ダニー&ウィルの逃走を手伝うことになる裏社会のボス。それぞれがそれぞれの立場で事件を追い、目まぐるしく展開は変わっていく。視聴者はそのスピードに振り落されないように画面に熱中することになり、そこに奇妙な緊張感が生まれる。
(1)ダニー
 ・キャムやザックを巻き込んでしまった後悔
 ・警官に発砲してしまい、持ち前の良心からこの生命を救いたいと感じる
 ・元退役軍人ということもあり、救急措置の心得がある
(2)ウィル
 ・銀行強盗&逃走で、他の仲間を殺された怒りを抱える
 ・義兄弟ダニーだけはどうにか救いたい
 ・キャムやザックの人命の優先度が低く、ダニーと対立するが、出血多量のザックのため、輸血の協力をする
(3)キャム
 ・どうにかこの場を納めるため、ダニーの良心に訴えかけて、ウィルとの共謀をやめるように説得
 ・ザックの命を救うために、逃亡劇中に仲間の医師に連絡を取り合い、緊急の手術を成功させる
(4)ザック
 ・逃走劇や手術中はずっと記憶を失っている
 ・かすかに残る意識の中で、ダニーとウィルが自分の命を救ったことを知る
 ・正気があるあ間にキャムに拳銃を渡すなどの役割を果たす

上記のような心理的な駆け引きと逃走劇に次なる展開が読めないワクワク感が極上。そして命を救うという行為に対する犯罪者たちの良心に対する葛藤が絶品。その中で行われる罵声の投げ合い、説得のシーンが個人的に刺さった映画だった。
逃走劇で沢山の警察車両に追われて、銃撃されている中で、かつ、人命を救っているという緊急事態の中でも、口悪く罵り合う義兄弟やそこに仲裁をしにいく女性隊員の会話劇が兎に角、この映画特有で、大変素晴らしい映画体験になった。逃亡に利用していた救急車の塗り替え、裏社会を仕切るボスとの交渉、義兄弟の絆、銀行強盗で得た現金の行方などの見どころも多く、様々な視点の楽しみ方ができるエンタメ映画であるように感じた。

②ゴースト・フリート 知られざるシーフード産業の闇

人間の奴隷化と海洋資源の二重搾取構造の闇に追ったドキュメンタリー映画。
本作は、2017年ノーベル平和賞にノミネートされたパティマ・タンプチャヤクルたちの活動を追う映画である。タイ国内で人さらいにあい、目覚めれば、そこは周囲が海しかない海の孤島。しかもタイから遠く離れたインドネシア沖合の遠洋漁業が行われている漁船の上だった。そこで24時間365日、奴隷のように働かされる生活を強いられた男/ゴーストたち。その漁船で際限なく漁獲される海産物は、持続可能性を無視した海洋資源の無限搾取が行われ、国内だけではなく、国外にも流通していくことになる。 公式HPの映画の謳い文句や作品解説を読むだけで、その闇の一端に触れることができるだろう。
公式HP: https://unitedpeople.jp/ghost/

<奴隷労働5年、7年、12年…今日も東南アジアの海で「海の奴隷」が私たちの食卓に並ぶ魚を捕っている。>

公式HP:https://unitedpeople.jp/ghost/

この一文だけでも想像を絶する現状を垣間見ることができる。
今でもこのような社会問題は存在しており、強制的な奴隷労働が10年以上続いているケースも存在する。その事実はあまりにも想像ができない。沖合漁業のため、漁船は陸に停泊することはない。定期的な周期で大型船が漁船に近づき、そこで収穫した魚の回収、燃料や食料の補給が行われる。そのため、奴隷たちが逃げる手段は陸地のみえない海に勇気を持って泳ぎ出ることだけである。これほど人権が無視された奴隷生活が現在にも行われているなんて、この映画を知るまで想像できなかった。まずこの事実を受け止めなければならい。 だが、この奴隷労働は実に巧妙な複数の犯罪と事実が発覚しにくい環境が折り重なって成立していることが本作で提示される。
人さらいの現場はタイ国内。失業者、仕事を求めてやってきた海外からの労働者が「良い仕事があるから、興味が無いか?」と声をかけられる。勿論、そうした人たちにとってはその人は救いの神のように思えたのだろう。そこから、バスなどの移動手段で長時間連行された挙げ句に、密猟業者に二束三文で売られることになる。陸上での人攫いビジネスの延長線上に、人身売買があり、その最果てにはこの奴隷労働がある。 船に強制的に(もしくは寝ている間に)連れていかれた奴隷たちはタイから遠く離れたインドネシア沖合に閉じ込められることになる。勿論、海に向けて脱走する者もでてくるが、奴隷はまた補充されてくる。運良く脱走出来た者たちも、漂着先はタイとは言語も異なるインドネシアの島々。だからこそ、この犯罪がタイ国内で表立って現れることなく、その巨大な闇に飲み込まれてしまっていた。
本作は、この運良くインドネシアの島々に漂流した人々を探し出し、タイ国内に帰国したい人を募り、タイ国内の家族に合わせるというパティマさんの命がけの活動を追った映画である。奴隷労働をしていた期間は人によって異なり、数ヶ月で奴隷生活を脱した人もいれば1年以上、最長では10年以上の人もいる。その過酷さには言葉を失ってしまった。 そして漁船から逃げ出した男たちは、インドネシアの各島に漂流し、命からがらに小さな漁村などにたどり着くことになる。言葉の違いはあるものの、数年以上の月日が流れた結果、地元の女性と結婚し、子供を産み、新しい家族として迎え入れられた人もいたりした。
こうした人達を探し出して、パティマさんが当時の様子を慎重に聞いていく。男たちは涙を流しながら、人攫いにあった状況や奴隷生活の実情を話し、それがこの大きな闇の複雑な構造を解き明かしていくのである。 映画内では、タイ国内にいる家族とその場で携帯電話を通じて連絡を取るような場面もある。 そのシーンが個人的にはとても印象的だった。 タイ国内の家族にとっては、何年も前に行方不明になった息子から突然、電話がかかってくるのである。奴隷となった彼は社会的には存在せず、世界から弾き出されてしまった存在になっていた。まさに家族にとっては<幽霊>(ゴースト)であり、劇中内でも「まるで幽霊とあったようだ」といったような表現をしていた。
話が変わるが、私が2022年に読んでいた本に神谷美恵子著「生きがいについて」(1966)がある。 その一節には、以下のように語られていた。

” ひとたびこの世からはじき出されたひとは、はじき出された先でどこへ行こうとも、この世に対しては一種の亡霊的存在である、といえるのではないであろうか。フランス語で幽霊のことをrevenantというが、これは再び戻ってくる者、という意味のことばである。たしかに人間社会からひとたびはじき出されたひとは、べつの世界からふたたびそこへもどってくる亡霊ともいうべき存在なのである。 ”

神谷美恵子著「生きがいについて」(1966)

ゴースト・フリートで語られた<幽霊>という表現も、まさにrevenant=再び戻ってくる者という意味が内在していると感じた。奴隷制度は人の存在をこの世界から消し去り、別の世界に強制的に引きずり込む度し難い悪行である。そした過程で、幽霊となってしまった=人権が剥奪されてしまった幽霊たちを救う海軍を組織したタイ人女性を追ったのがこのドキュメンタリー映画/ゴースト・フリートだったようにも感じられた。
また、パティマさんの境遇や行動の原理を紐解く鍵も「生きがいについて」にヒントがかかれていたようにも思えた。 パティマさんは若いうちに癌を患い、子供を生むことが困難な身体になってしまった。ある種の「生きがい」を失ってしまったといえる。そんな彼女は「もしも(この手術で)自身の命が救われたら、人を救うことをしたい」という強い思いにかられていった。こうした「生きがい」の転化は、その人に献身的な使命感を生み、何かを世の中では困難とされることを成し遂げるための原動力となる。そんなようなことが人間社会で発生することについて、神谷美恵子著「生きがいについて」にも記されていた一例だった。 こうした個人的な読書体験と強烈に紐付けられたのが本作であった。
最後に、IUU漁業についての「WWF(世界自然保護基金)ジャパンリンク」を紹介する。
※WWFジャパンは本映画への特別協力をしている、とのこと。

◆IUU漁業について
https://www.wwf.or.jp/activities/basicinfo/282.html

”IUU漁業とは、Illegal, Unreported and Unregulated漁業、つまり、「違法・無報告・無規制」に行なわれている漁業のことです。IUU漁業には、いわゆる密漁だけでなく、不正確および過少報告の漁業、旗国なしの漁船による漁業、地域漁業管理機関(RFMOs)の対象海域での、認可されていない漁船による漁業も含まれます。現在、世界の海では、このIUU漁業が海洋の環境を悪化させる大きな要因の一つになっているため、WWFではその規制と管理強化の支援に取り組んでいます。"

IUU漁業について:
https://www.wwf.or.jp/activities/basicinfo/282.html

③RRR(アール・アール・アール)

インド流の火の呼吸、水の呼吸のハイパースペクタクルアクション映画。
RRRの意味はRISE/蜂起、ROAR/咆哮、REVOLT/反乱から取られており、本作はまさに蜂起と咆哮と反乱をメインのテーマとして描かれる。

物語の主人公は二人の男。
・コムラム・ビーム(N・T・ラーマ・ラオ・ジュニア)
 幼い少女を救うため森深い村から都市部にきた正義感と野性味溢れる男。
・A・ラーマ・ラージュ(ラーム・チャラン)
 英国政府の警察として忠実に使命を全うし、”とある野望”のために組織内での昇格を目指す野心家。
舞台は英国が植民地支配をしていた時代のインド。
英国軍という悪の帝国からインドを取り戻すという蜂起の物語。誰もが魅了されるわかりやすい勧善懲悪のシナリオであるが、その反乱を起こしていく火蓋を切るのは主役の二人である。まずこの性質が異なる二人の男が出会うシーンが最高。人助けのために、自らの危険を顧みずに少年の危機を阿吽の呼吸で救出する。
このシーンだけで映画のクライマックスと思えるほどではあるが、それはこの物語のほんの序章である。
出会ってからお互いのことを知っていく友情のシーケンスも素晴らしく、笑顔が溢れるシーンや、圧倒的なダンスのシーンも魅力的。誇大しすぎるほどの映像演出や劇伴は、インド映画のこうした誇大さを求める観客に対して最高のエンターテイメントが提供されている。それが気持ち良い。
だが、主人公の二人は英国への反乱と英国国家の犬という形で対立することになる。
この対立構造が実に見事であり、ビームは田舎育ちで都会慣れや社交場には慣れていない。だが、身体的に優れており、情に厚く、水(WATER)を連想させる性質を持つ。一方、ラーマは都会の警察組織に組み込まれて、英国植民地時代の都会にも慣れ、社交的な素養を身に着けているが、組織内の昇格のためならいくらでも冷酷になれ、火(FIRE)を連想させる性質を持つ。
このWATERとFIREにも、Rが使われており、RRRというタイトルの魅力を一層に引き立てている。
映画を観た後に調べたところ、コムラム・ビームとA・ラーマ・ラージュは実在の人物であり、それぞれはそもそも歴史上では交わらない二人であった。ビームはインド国内での革命の指導者だった。ラーマは政治家だったが、投獄された後にインド独立運動を率いることになる人物だった。
きっとインドにとっては英雄であり、この物語はその英雄の力を借りた、植民地支配からの脱却を描いた物語であることがわかる。その上、物語の後半では二人は神話の中の神様のような演出がされて、実在の事物が次第に神話になっていくようなシーケンスで描かれている。
これも調べたところ、RRRはヒンドゥー神話の2大叙事詩『マハーバーラタ』『ラーマーヤナ』から大きく影響を受けているという。ビームは『マハーバーラタ』のビーマに相当し、ラーマは『ラーマーヤナ』のラーマに相当するようである。ビーム/ビーマは怪力の持ち主で、野性味溢れる身体的な強さを持っている特徴と一致する。そしてラーマ/ラーマは終盤では弓矢を使い、次々と敵を射ていく。これは神話におけるラーマが弓矢を扱う神であり、そうした特徴も物語に反映している。
すなわち二人はいつの間にか、反乱を導く神話の神になっていっているのである。
そうした目配せもありながらも、対立する二人が和解していくシーンも丁寧に描いていく。また、ラーマが冷酷に警察組織の仕事を請け負っていた”とある野望”のことを知ったビームは、いかに自分が小さい人間であったかを悟り、咆哮する。単なるインドアクション映画だけではなく、そこには人間的なドラマがあり、それを想像を超えた映像演出でこれでもか!と魅せてくる。
インドにおける英国植民地時代という現実、そして実在に存在した登場人物たちが史実を越えた出会いをし、最後は神話となり、インドを英国からの支配から解放する二人の英雄を描き出していく。総じて、このような物語の描き方とその過程が実に見事な映画であったといえる。
188分という長尺の映画ではあるが、すべてのシーンが一級品のエンタメ映像であり、二人の男の英雄譚を浴びるように見れるため、活力が湧いてくるエンパワーメント映画である。

④NOPE

恐怖に打ち勝つすべは、勇気のみにあらず、己の職で獲得した技術も活用するべし。
ジョーダン・ピール監督によるホラー映画。
個人的には同監督作品の「ゲット・アウト」や「アス」よりも娯楽要素が多めで、視聴者にとってもわかりやすい映画となっていた印象がある。更には、ホラー映画としての美徳に監督ならではのテーマを加算し、それを昇華させた作品であるように感じられた。
物語のあらすじ。
主人公の馬の牧場を経営しているOJ・ヘイウッド(ダニエル・カルーヤ)の父が空中から落ちてきた落下物に直撃し、死亡する事故を目撃する。その際、謎の飛行物体を目撃することになる。牧場の共同経営者である妹のエメラルド・ヘイウッド(キキ・パーマー)は、その謎の飛行物体を撮影し、金儲けをしようと提案してくる。家電量販店で監視カメラを購入時、そのカメラの設置を担当したエンジニアのエンジェル・トレス(ブランドン・ペレア)も謎の飛行物体の撮影に合流してくる。また、映画後半には有名な撮影監督であるアントラーズ・ホルスト(マイケル・ウィンコット)も協力に乗り出し、この飛行物体を映像に残そうと動き出す。
ジョーダン・ピール監督映画に一貫してあるテーマ性は、人種、特に黒人への差別の歴史への示唆である。
本作でもその示唆は多分に含まれている。特に、明らかに視聴者に提示されているシーンは、映画の起源として知られる『動く馬』に言及するシーンである。この馬の写真を撮影した写真家の白人は歴史に名を残しているが、この馬を走らせている騎手の黒人は名前も残ってさえいない。黒人が無視されてきた歴史への言及もなされているが、個人的には職業的な差別の歴史も含まれていると感じられた。
最近、私はフランスの社会学者/ピエール・ブルデューの『ディスタンクシオン』などの考えに触れたりした。ブルデューの考えは複雑であり、ここでの説明は割愛するが、概要を述べれば「階級区分は、社会的、経済的、文化的資本の程度の違いの組み合わせによって決定される」というものである。特定の階級区分になるためには、経済状況=職業にも依存しうる、という示唆をしているとも読み取れる。
この映画でいえば、映画撮影における雇用の主従関係で白人と黒人の階級区分を明らかにしているようにも思えた。OJが経営している牧場はハリウッドの撮影所に撮影用の馬を提供する仕事もしていた。映画を撮影している集団は白人たちであり、そこに雇われる形で黒人である主人公のOJが登場する。OJは元々、馬を調教するスキルは身につけているが、人とのコミュニケーションや営業能力にはやや難があった。実践的な調教スキルを獲得している専門家のOJに対して、映画撮影現場の白人たちは「お前の父は信頼できたが、お前はまだ早い」とクビを宣告されてしまうのである。この仕事における、階級における、人種における主従関係があるかのような映画撮影現場をアフリカ系アメリカ人のジョーダン・ピール監督が描いているのも、何かしらの意図があるのだろう、と思えてしまう。

謎の飛行物体を撮影しようと乗り出した3人(OJ、エメラルド、エンジェル)は、この飛行物体と未知なる現象と対峙することになり、次第にその正体に気づき始めていく。謎の飛行物体はUFOかと思いきや、人や家さえも飲み込む未知なる飛行生命体であった。そしてどうやらこの生命体は馬が好物であり、目線があう生物に対して敵意を示し、あらゆるモノを吸い込んでくる。そして、旗やビニールなどひらひらとした物体を吸い込むと呼吸ができなくなる。こうした生物の特徴がわかってくる。
未知の物体との接触という謎解き的な展開から一転して、巨大空中浮遊怪物が人間に猛威をふるうホラー映画というシーケンスがなんとも奇妙であるが、美しい。飛行物体の謎がと解けたところで、人類はこの恐怖の存在にどのように立ち向かっていくのか?というのがホラー映画としての見せ所の一つである。
この巨大生物を撮影し、お金を稼ぐという目的も勿論あるのだが、牧場を経営している以上、この生物と対峙しなければ次々と飼馬は食べられてしまう。そうした危機感もあり、この畏怖の対象に向き合うことになる。通常のホラー映画であれば、悪霊、悪魔、未知なる生物、宇宙人などには”人間的な生命力や勇気を持って挑む”という構図が多い。だが、NOPEではそれぞれのキャラクターが取得してきた職業的な実践スキルを駆使して、対峙するのである。

・OJ/調教師:巨大生物の特徴を観察し、暴れ馬を飼い慣らすかのように、生物として接する
・エメラルド/営業力:他メンバーを繋ぎ合わせ、コミュニケーションにおける司令塔的な役割
 ※OJの妹は俳優、歌手、ダンスなどで生活しており、営業力や交渉力が兄に比べて高い
・エンジェル/エンジニア:カメラの設置、アントラーズの技術的なサポート
・アントラーズ/映画監督:巨大生物を撮影するための機材の準備、ベストなカメラ位置の思案

主人公OJの牧場は父から継承されたものである。そして、その父もずっとハリウッド映画等の撮影用の馬を提供してきたのだろう。そうした職業的な階級区分が黒人の歴史上にも存在しているのだろう。だが、そうした歴史的に、実践的に研鑽されてきたスキルが本ホラー映画におけて、状況を打破するために決定的な必須スキルとなっている。こうしたOJ自身が身につけているスキルによって、ホラーの対象と対峙し、そこに人間的な生命力と勇気を持って挑戦していく、という姿が描かれていたように感じられた。
個人的には、そうしたスキル+勇気で立ち向かっていく姿が非常に印象に残る映画であったといえる。

⑤女神の継承

発展途上国の土着信仰/シャーマニズムの継承を焦点に当てたオカルトホラー映画。
本作品は「哭声/コクソン」(2017)の監督/ナ・ホンジンが原案となり、ホラーやオカルト映画好きの界隈では話題になっていた映画である。私も「哭声/コクソン」の映画の描き方やオカルト部分に言葉にならない魅力を感じていた。そのため、本作「女神の継承」を観るために映画館に足を運ぶことになった。
本作のジャンルはどうやら、タイ・韓国合作のモキュメンタリー超自然的ホラー映画という位置づけになるらしい。モキュメンタリーとは、映画やテレビ番組のジャンルで、フィクションをドキュメンタリー風に見せかけて演出する表現手法である。ドキュメンタリーの疑似ということで「モック」と「ドキュメンタリー」をかけ合わせた造語らしい。
モキュメンタリー映画ということで、本作はタイのドキュメンタリー撮影チームが、タイの東北部/ジャングルの中にある辺境の農村に訪れ、シャーマニズム文化を継承している霊媒師/ニムの日常生活を追うところから始まる。ニムは、地元の神/バ・ヤンの精霊に取り憑かれており、その力を借りて、村人たちの病気を治療したり、行動の指針を示したり、祭事を行ったりして暮らしていた。
また、ニムには姉のノイがいたが、ノイは霊媒師になることを望まず、キリスト教徒に改宗してしまった。そのノイには亡くなった夫との間に一人娘/ミンがおり、このミンが本映画のキー人物となっている。
まずはこのモキュメンタリー映画の設定におけるリアリティが個人的には印象に残った。
発展途上国、特に経済的に貧しい地方ではそこに根付いている土着信仰とキリスト教が共存する社会が生まれてくるのは世界の各国で見られている。例えば、ブードゥー教はハイチがフランスの植民地であったころ、西アフリカの人々の信仰と、カトリックの信仰とが、ハイチで習合して成立したといわれる宗教とされている。キリスト教の浸透は歴史的には植民地支配の影響もあるが、キリスト教の布教はどの国でも精力的に行われており、特に経済的にも資源的にも厳しい環境にいる辺境の村々に根をはることも多い。だが、その土地には既にシャーマニズムなどの土着信仰や文化があり、それと混在する文化圏が生まれることがよくあるらしい。
そうしたところに着眼点をおいて、映画の脚本に組み込んでくるセンスに感心してしまった。
また、それをモキュメンタリーという形式で表現した点も優れた映画表現であった。基本的にはドキュメンタリー映像を撮影しているていのため、霊媒師/ニムや異常行動を起こし始める娘/ミンと距離感の近い、密着した映像が視聴者たちに提供される。また、カメラのピントのブレや固定されたカメラワークの中で発生するホラーシーンに妙なリアリティを生じている。この手触りの恐怖感を表現している点も優れた映画表現であった。
さらにモキュメンタリー風の映像演出に加えて、夜間に暴力的な奇行をし始めるミンを固定の監視カメラ/暗視カメラで撮影する場面もある。近年のホラー映画でも多用される演出手法であるが、そうした角度を変えたホラー映像演出もされていることが、この映画の緊張感を促進している。この点も個人的には評価できる。
また、本作の見所の一つが「哭声/コクソン」にもみられた、豪華な祈祷の儀式シーンである。本作では複数の祈祷師たちが集まり、破邪の儀式を執行していくことになる。その映像的なワクワク感は「来る」(2018)とも似た感覚があった。
本映画はモキュメンタリー映画の文脈から、ドキュメンタリー風のインタビューから映画が始まる。ミンの異常行動をカメラが撮影し始めたら、祈祷氏一族の血縁や因縁関係が次第明らかになっていく。ミンの兄はバイクで事故死をしており、その謎も明らかになっていく。この部分は非常にミステリ小説の要素があり、視聴者をぐいぐいこの映画の中に引き込んでいく。更には霊媒師が代々継承してきた地元の神/バ・ヤンの精霊は悪霊であるのか?真にだれがこの巫女の素質を継承したのか?というテーマを描いていく。最終的には、ミンの凶暴化と異常行動がクライマックスに向けて、暴走するのように加速していく。ここには多分にホラー映画の要素が含まれていき、ラストに向けた緊張感がMAXになっていく。そして終盤の儀式シーンが壮大。複数の祈祷師vsオカルト的な悪霊というバトルになり、誰もがある種に望んでいたような絶望的なラストに突入していく。
こうした映画のジャンルを繋ぎ合わせながら緊張感が継続する映画は、映画表現的に豊かであり、個人的な好みと合致することを再認識させられた。

⑥トップガン マーヴェリック

伝説的映画「トップガン」(1986)の続編。続けてみたら、極上の映画体験になる。
私は2022年まで1986年に上映された伝説的映画「トップガン」は未視聴だった。だが、映画史において「トップガン」がトム・クルーズとセットで語られていることは知っていたし、主題歌の「デンジャー・ゾーン~TOP GUN THEME」の存在は流石に知っていた。けれど、それ以外のことはほとんど知らずに育っていた。そもそも1986年の時、私には自我がなかった。
というわけで36年ぶりの続編ということで本作を映画館で観る前日に、動画配信サイトで「トップガン」をいったん視聴することにした。その予習が本映画視聴体験をより楽しめるものにしたといっても過言ではない。
映画冒頭で、86年版の「トップガン」のOPの再現を「マーヴェリック」でもしていること再現していることにまず大興奮する。36年前の映画のリブートをするという心意気と「デンジャー・ゾーン」の楽曲的な強さで改めて脳みそをぶん殴られる。これがまず快楽的であった。

「トップガン」のあらすじ。
主人公であるマーヴェリック(トム・クルーズ)がアメリカ海軍戦闘機兵器学校(通称:トップガン)への派遣され、そこで空中戦闘機動の特殊訓練を受けることになる。その訓練中の事故で、相棒のグース/ニック・“グース”・ブラッドショウを亡くしてしまう。失意のどん底にあったマーヴェリックはこれまでの攻撃的な姿勢はなくなり、消極的な性格になり、海軍戦闘機兵器学校の中での生きがい感を失っていた。だが、なんとか戦闘機兵器学校を卒業することになるが、その卒業式で緊急出撃命令が発令される。マーヴェリックは盟友の死を克服できないままに作戦に参加することになるが、そこで奇跡の復活を果たして、見事作戦を成功に導き、仲間との絆を分かち合うことになる。

この背景を踏まえて、本作の「トップガン マーヴェリック」はマーヴェリック(トム・クルーズ)が「トップガン」における教官職についた視点で描かれる。その頃、濃縮ウランプラントを稼働させるようしている某国の基地を特殊作戦で無力化しようという計画が動いていた。その敵基地を電撃的に攻撃する特殊部隊の訓練の教官をマーヴェリックが任されるのである。その訓練生の中に、かつての相棒であったグースの息子/ブラッドリー・“ルースター”・ブラッドショー海軍大尉を見つけてしまう。
物語の中盤からはマーヴェリックとルースターの確執が描かれていく。飛行訓練と人間ドラマを丁寧に描いていく一方で、マッチョな男たちがビーチで遊んでいる姿だけで絵になる映像をこれでもか!と魅せつけられる。前作の主人公が持つ因果関係や後悔が現在に追いついてくる。ここも映画的な快楽が多分に含まれている。
そして高難易度ミッションの計画立案、シミュレーション訓練、そして本番という物語構成が見事。視聴者側も特殊作戦の計画は開示されているため、本番の場面で訓練とは異なる事態が発生し、トラブルが起きるればそれは視聴者には伝わるし、そうした物語構成が映像の緊張感をマシマシにしている。視聴者たちはいつトラブルが起こるのかを予想しながらドキドキして待つ状態が続くため、その演出が実にハマっている。
そして濃縮ウランプラントの基地の無力化に成功したマーヴェリックとルースターであるが、敵地に墜落してしまい、そこから二人で協力して脱出を試みる。ミッション成功後に、因縁のある二人の絆は深まり、お互いを認め合って、奇跡の脱出を成功した二人を仲間たちが大いに喜び、大団円となる。
莫大な予算がかけられていることは明らかであり、映画に携わっているすべての人が36年前の熱狂を再演しようとしていることが映画から伝わってくる。まさにお祭り映画的なものであるとも思われた。そして、伝説的映画「トップガン」×トム・クルーズという名声ありきの映画であり、映画史において、これ以上にお祭り的な映画はこれ以後は作られれないのではないのだろうか、と思わされるほど。そのくらいに、お祭り映画的な快楽があり、脚本、役者、劇伴がすべてが”あの頃の熱量の再演”を目指して作られた映画のように感じられた。

⑦シルクロード.com-史上最大の闇サイト-

2013年に摘発された闇サイト「シルクロード」を題材とした犯罪スリラー映画。
物語の背景とあらすじはwikipediaから抜粋。

2011年、接続経路を匿名化するソフトウェア「Tor(トーア)」と暗号通貨「ビットコイン」という2つの暗号化技術を組み合わせた闇サイト「シルクロード」が誕生した。違法ドラッグや武器の売買、殺人依頼等どんな取引でも完全に匿名で行える「シルクロード」は一大ブームを巻き起こして巨大化、「闇のAmazon(アマゾン)」とも「ドラッグのeBay(イーベイ)」とも呼ばれるほどの存在にまで成長し、社会問題化していった。

(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

闇サイトを立ち上げた天才/ロス・ウルブリヒトは実在の人物であり、2011年にこのサイトの立ち上げの背景から次第に戻れない犯罪の沼に浸かっていく過程が描かれていく。その一方で、老刑事の視点でもこの物語は展開されていく。まったくパソコンが使えない元DEA(薬取締局)老刑事はサイバー犯罪課に左遷され「引退するまでの間、何もするな」と窓際族を命じられる。だが、腐っても刑事であり、元DEAということから麻薬捜査に協力していた情報屋を経由して、立ち上げ当初の「シルクロード」のサイトを発見することになる。
犯罪映画の文脈としては、問題を起こして左遷された定年前の老刑事が執念で事件解決に挑んでいく、という姿はまま王道である。だが、この老刑事は清廉潔白な性格でもなく、必要があれば暴力も奮うし、脅しも使うし、学習機能障害の診断を受けた娘の奨学金申請を忘れる。父親としてもダメで、刑事としての誠実さもない。だが、犯罪者を追う執念はそこそこにあるので、それが物語を動かしていく。
サイト運営者のロスに対して、この老刑事が接触し、チャット上のやり取りからだんだんとロスの正体に近づいていく。このチャットでのやり取りはサスペンス調でよい緊張感があり、この映画の見所の一つともいえる。
ロス・ウルブリヒトは、物理学で博士号を取得したものの、自由で開かれた経済という思想に感化され、起業家を目指していた。この天才がだんだんと闇サイトの運営に心を蝕まれていく過程の描き方にも人情味があり、どんな人間でも犯罪行為を犯してしまうという危うさが良い感じに伝わってくる。
こうした天才からみた視点と老刑事からの視点をうまく織り交ぜながら物語が進行していくため、実話を元にした映画とはいえ、単調にならず、緊張感が続く展開が多かった。また、娘の奨学金申請を忘れてお金の工面に悩まされたこの老刑事は、この闇サイト経営者から巻き上げたビットコインを換金し、着服してしまい、FBIへの報告資料も証拠隠滅させてしまうのである。刑事も人であり、困窮する状況になったり、娘の教育のためという理由で犯罪を犯す。まさに、闇サイトが犯罪者を吸い寄せ、正義と悪の狭間にいるような人を悪の道に引きずり込んでしまう。そうした描き方もまた、犯罪映画らしいといえる。

⑧モガディシュ 脱出までの14日間

ソマリア首都モガディシュで行われた韓国と北朝鮮の外交バトル&脱出スリラー映画。
1991年、ソマリア内戦が激化し、首都であるモガディシュは反乱軍によって制圧された。空港は封鎖され、通信網も切断され、暴徒と化した反乱軍たちが街を占領し、都市機能は失われていった。現政権の打倒、反乱軍の都市制圧という歴史的な大事件が起こったのである。
こうした反乱軍により現政権が打倒がされた日からソマリア国内を脱出するまでの韓国外交官の姿を実話を元にして描いた映画が本作である。
国の機能が失われしまったら、大使館も外交官もなんの意味もなくなってしまう。これまで構築されてきた社会通念は1日で破壊され、即、命の危機につながる。この緊張感が独特だった。

そもそもソマリア(現:ソマリア連邦共和国)とはなにか?
ソマリアという国家については、私は最近、高野秀行著「謎の独立国家ソマリランド: そして海賊国家プントランドと戦国南部ソマリア」(2017)という著作に触れていた。そのため、ソマリアという国家の特徴や土地勘はかなり馴染みがあった。だからこそ、本作に興味を持ったというのもある。他の映画でいえば、リドリー・スコット監督「ブラックホーク・ダウン」(2001)もソマリアでの軍事作戦を描いた作品である。
ソマリアが語られる場合、その多くは無政府状態が長く続いた国という文脈で語られることが多い。1991年に内戦が発生し、国土が分断され、大きく分けて3つの領土に分割されてしまった。それ以降に長年、無政府状態となってしまった国であり、2012年にようやく、暫定政権による統治が認められてて公式国名が「ソマリア連邦共和国」に改称された。つまり1991年に無政府状態になった状態のソマリアからの脱出を描いたのが本作「モガディシュ 脱出までの14日間」であり、その後、1993年にアメリカ軍が秘密作戦を実行し、その失敗を描いたのが「ブラックホーク・ダウン」である。

本映画は、反乱軍が首都を制圧する前の時系列から開始される。
1990年代では、韓国と北朝鮮が国際連合への加盟を目指し、複数の国連加入国が存在しているアフリカ大陸でロビーイングをしていた。無論、この時期でも韓国と北朝鮮は外国的にも良好な関係ではなく、むしろ妨害工作さえもありうる関係であった。こうした背景がある中で、物語はソマリアに到着した韓国外交官の視点で描かれていくのである。
そのため、本作の前半は脱出スリラーというよりも、コメディ調の外交官&スパイ映画みたいな文脈が内在している。スパイ映画といっても、韓国外交官側は北朝鮮からの妨害工作が受ける側として描かれ、外交バトルに巻き込まれていく形になっている。そしてそんな外交バトルなどをやっていたら、突然、内戦が勃発し、その渦中に巻き込まれてしまうのである。
通信網は切断され、電気も停止し、食料もなくなってくる中、とうとう韓国大使館の職員たちはこの国を脱出しようと計画をする。その際、北朝鮮の大使館職員たちも同じような状況になり、韓国大使館に助けを求めることになる。
ここからは脱出スリラー映画の文脈となってくる。韓国大使館の中で、韓国と北朝鮮の間で、いがみ合いなどしながらも、緊急事態ということで食料を分けたりしながらも、共にこの困難に立ち向かっていく。事実を元にした映画のため、実際にこのような状況になったのだろう。単なるフィクションの人情噺というよりも、その事実を描いているという説得力もある。そして映画終盤の、手に入れた車を防弾仕様に変えて、危険地帯を進んでいくというカーアクションも見事だった。最終目的地は、内戦状態が起こったままでも軍事力を保持している他国の大使館施設。内戦状態になっていてもまだ機能している大使館がいくつかあり、その大使館経由で母国へ帰国するというところまで本作で描かれる。
そしてラストシーン。空港に到着した韓国大使館職員と北朝鮮大使館職員とが再び出会い、同じ飛行機に搭乗することになる。同じ死線をくぐり抜けた両国の職員たちには、言葉にし難い友情が生まれる。王道的な大団円の展開ではあるものの、両国の緊張感や互いに”言葉にできない”という状況が妙な緊張感のままに画面上に投影されている。つまり、ソマリアで起こった国内の特殊な状態と韓国と北朝鮮という特殊な状態をうまく組み合わせた映画であったといえる。

⑨牛久

茨城県の牛久にある東日本入国管理センターの実態を隠し撮りしたドキュメンタリー映画。
作品の解説は、公式HPから引用するのが妥当だろう。
公式HP:https://www.ushikufilm.com/introduction/

在留資格のない人、更新が認められず国外退去を命じられた外国人を“不法滞在者”として強制的に収容している施設が全国に17カ所ある。その一つが茨城県牛久市にある“東日本入国管理センター”、いわゆる『牛久』だ。この施設内には、紛争などにより出身国に帰れず、難民申請をしている人も多くいる。しかし、彼らの声を施設の外に届ける機会はほとんどない。

本年3月の名古屋入国管理局におけるスリランカ出身女性・ウィシュマさんの死亡事件、“入管法”改正案の国会成立断念など、日本の入国管理行政を巡る闇は深まるばかりだ。

本作は、厳しい規制を切り抜け、当事者達の了解を得て、撮影されたものである。トーマス・アッシュ監督は“隠し撮り”という手法で、面会室で訴える彼らの証言を、記録し続けた。命を守るために祖国を後にした者、家族への思いを馳せる者…。「帰れない」現実を抱えた一人一人の実像。

「まるで刑務所のよう」「これが『おもてなし』かよ」、口々に驚きの実情を面会室のアクリル板越しに訴える9人の肉声。長期の強制収容や非人間的な扱いで、精神や肉体を蝕まれ、日本という国への信頼や希望を失ってゆく多くの人々。論議を呼ぶ“隠し撮り”で撮影された本映画だが、ここに記録された証言と現実は、果たして無視できるものだろうか。

牛久公式HP作品解説より:https://www.ushikufilm.com/introduction/

私がこの映画について語るよりも、まずは作品解説を読んで気になった人は何かしらの手段で映画を観てほしい。
私が本作を映画館で観たときは、トーマス・アッシュ監督による舞台挨拶があった回であった。トーマス・アッシュ監督は元々、2000年に来日し、第一原発事故後の子供たちなどをテーマに、ドキュメンタリーの制作していた映画監督であった。いっぽう、敬虔なクリスチャンでもあり、都内の教会の役員などもしていた。そのため、入国管理センターに収監されているキリスト教徒との面会や一緒に時間を過ごすボランティアなどの活動をしていた。監督は、撮影禁止の入管センターで隠し撮りを決行したかったわけではなく、”私が撮影しなければならなかった”と語っていた。舞台挨拶時にこの言葉を聞いて、私はこの使命感に駆られるという行為は宗教を信奉するひとらしい考えと行動である、と感じた。だが、単なる宗教的な思考だけが監督を動かしたわけではなく、この入国管理センターの実情を伝えなければならい!という強い人権意識と問題意識がその使命感を後押ししたのだろう。そのくらいに、入国管理センターに収容されていた人たちのリアルな言葉は重かった。

期限のない無限に続く収監、ハンガーストライキによる体調不良や精神不安、日本政府における難民申請の徹底した不受理の状況。こうした難民申請が通っていない海外からきた人たちは数多くいて、職につくことも、帰国することも出来ず、そらにその家族も希望のない未来に苦しんでいる。単に苦しい生活をしているわけではない。この日本という国に対して、信頼を失い、希望が途絶え、この暗雲たる絶望的な沼で苦しんでいるのである。以前、私が観た「東京クルド/TOKYO KURDS」(2018)もその過酷な状況をリアルに描いており、その実情も知っているからこそ、本作に登場して声を上げている人々の声や言葉では表現できない底なしの絶望感が伝わってくる。
その言葉には出来ない声はこの映画だからこそ、伝えられていると感じられた。

舞台挨拶では、最新の入国管理センターの実情を監督が語ってくれた。
新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐために、被収容者たちに対して快釈放という形の措置が積極的に取られている。本映画で取材していた被収容者たちの全員が一時的に快釈放している状況となっている一方で、働くことを原則的に禁じられているため、希望を持っての生活は困難な状況が続いている。まだまだ入国管理関連の数々の問題は山積みではあるが、家族と会えないままに何年も牛久の入国管理センターで過ごす、という事態は避けられているのはほっとしたりした。だがしかし、コロナが収束していけば、もしかしたらまた何年も管理センターに収監される可能性もある。

最後にトーマス監督がこの問題に対して、今すぐにできることを語ってくれた。主なアクションは次の4つ。
(1)【発信】この映画やこの問題を沢山の人に知ってもらうこと
 入管問題について社会的な動きにつながるようにSNSで発信をする
 日常会話で、家族や友だちにこの入管問題について話題にしてみる、など
 本映画のTwitterアカウント/@ushikufilm / ドキュメンタリー映画『牛久"Ushiku"』
(2)【知る】イベントや勉強会に参加すること
 入国管理センターの支援団体に取り組みに参加すること
 イベントや勉強会に参加することでより問題について理解を深めることができる
 また、この問題についての裁判の傍聴に足を運ぶことなどでも実情を知ることができる
 入管・難民問題に取り組む団体・イベント一覧
 https://docs.google.com/spreadsheets/d/1YN_LgmYT-qGvdVOCwoMIC_59Y_KMsbBUg6cmpzYP-7s/edit#gid=176920054

(3)【投票】投票に行き、意思表示すること
 各政党毎に難民保護や入管収容に関してのマニュフェストが異なり、投票先に意思表示をすることで制度が変わるきっかけになる
 例:参院選2022:難民保護や外国人との共生政策に関する各政党マニフェストまとめ
 https://www.refugee.or.jp/report/refugee/2022/06/election22_2/

(4)【支援】支援団体の取り組みに参加する
 (2)のリンクに支援団体一覧が記載されている。
 イベントに参加したり、寄付したりすることで支援団体を支えることができる

監督の舞台挨拶での生の声を踏まえて、2022年で印象に残った映画の一つとなった。

⑩スパークスブラザーズ

ロック&ポップ・バンドスパークス(Sparks)の音楽活動ドキュメンタリー映画。
私は、エドガー・ライト監督作品ということで観に行くことにした。特に私は「ベイビー・ドライバー」(2017)「ラストナイト・イン・ソーホー」(2021)は個人的に気に入っており、スパークスというバンドを知らないままに本作を観に行くという形になってしまった。
結論からいえば、スパークスのことは全く知らなかったけれど、映画としてはすごく楽しめた。その上で、私に新しい世界をみせてくれた映画でもあった。映画本編は二人の音楽活動を時系列で追っていき、その間に関係者によるインタビューを挿入していくというオーソドックスな映画構成であった。
スパークス基礎知識。

スパークス(Sparks)は、アメリカ合衆国のロック&ポップ・バンド。1970年にロン(キーボード)とラッセル(ボーカル)のメイル兄弟によって結成された。最初はハーフネルソン(Halfnelson)というバンド名だった。歴史。
スパークスの歴史は約50年にも及ぶ。1960年代にロサンゼルスのクラブ・シーンで活動を始め、1970年代中期にはイギリスでファンを獲得し、1970年代後期にはエレクトロニックの実験を、1980年代初期にはアメリカでブレイクし、1980年代の終わりにはいったん映画に寄り道し、1990年代中期には音楽に戻り、ポップ・ミュージックの境界で活動を続けながら現在に至っている。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

この二人の兄弟のひょうきんさ、音楽に対する情熱と、時代や土地にあった音楽創作への挑戦が凄まじく、その熱量だけで相当に面白い。というか、この二人の人生が面白すぎて、それがそのまま画面から伝わってくる。
インタビュー形式のドキュメンタリー映画は画角も単調になるし、身内ネタも多くて、そんなに映画的な面白さはないというのが定石ではある。本作も画角は勿論単調なのだけれど、その静の画面に対して、当時の映像や二人の音楽活動のアクティブさがだんだんと伝わってきて、その静と動のバランスがとても心地よかった。
特に印象的なのは、二人が世界を股にかけて音楽活動をしていたという点である。二人はまずはアメリカで音楽活動をしたが大ヒットにまではいかず、イギリスに活動拠点を移す。イギリス的なサウンドが英国では受けたが、その後にまたアメリカに帰ってきて、アメリカ的な音楽を目指し、試行錯誤する。世界的な視点で音楽活動をして、その時代や土地に合った、そして二人が目指すべき音楽の形を追求し続ける。このグローバルな音楽活動は、中々日本国内では見られないし、そうした探究心とアクティブさを兼ね備えたバンドが30年前からいた、という驚きが個人的に良い映画視聴体験につながった。
また、この二人は日本の文化にも影響を大きく受けており、そうしたシーンも映画内で描かれていた。
この映画を観て、印象的だったスパークスの過去のアルバムなども聴いてみたが、今聴いても色あせないような音楽がそこにはあり、そうした音楽体験も含めて、個人的に印象に残った。
2022年、渋谷のWWWXでスパークスのワンマンライブが開催されたのだけれど、私がそのライブの存在を知ったのはチケットがソウルドアウトした後だった。そこだけが心残りであるが、彼らの音楽を聴いて、ライブで生のパフォーマンスをみてみたい、と思えるきっかけを作ったのが間違いなくこの映画である。

以下、個人的な感想メモ。

サイコスリラーでいえば「ナイトメア・アリー」「THE BATMAN-ザ・バットマン-」も良かった。「炎のデスポリス」は癖が強いが、まぁ娯楽作品としては及第点。
事実を元にした「クレッシェンド 音楽の架け橋」「ハウス・オブ・グッチ」も印象に残ったし、戦争映画関連でいえば「ベルファスト」「バビ・ヤール」も印象に残った。
「森のムラブリ インドシナ最後の狩猟民」はかなり特殊なドキュメンタリー映画であるが、狩猟民族、言語、近代化などの狭間にある辺境の土地映画としては見応えが抜群だった。スリラー系では「ハッチング ー孵化ー」「TITANE/チタン」「LAMB/ラム」あたりも印象的。
アニメ映画は豊作で「地球外少年少女」「ブルーサーマル」「犬王」「神々の山嶺」「映画 五等分の花嫁」「劇場版 からかい上手の高木さん」「劇場版 異世界かるてっと ~あなざーわーるど~」「夏へのトンネル、さよならの出口」「ぼくらのよあけ」「雨を告げる漂流団地」「劇場版 転生したらスライムだった件 紅蓮の絆編」「私に天使が舞い降りた!プレシャス・フレンズ」はそれぞれに美徳があり、とても楽しめた。
そこから頭が抜きん出ていたとしたら「ONE PIECE FILM RED」「すずめの戸締り」「THE FIRST SLAM DUNK」あたりは万人向け娯楽映画としての完成度の高さは異様ではあった。
個人的には2022年の一番の傑作アニメ映画は「映画 バクテン!!」だと思っていたりする。

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