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「尻一個」の恐怖
皆さん、こんにちわ。お久しぶりの投稿になります。
アウトプットをしていこう!と決めて、人一倍緩やかに決め事を守っております😆
あとちょっとで本当のお正月(旧正月)ですね❤️
寒い中今のところ裸足で過ごせております。
裸足でビブラムという五本指のシューズをはいてウォーキングにでかけ、いつもいく公園の周回をします。
だいたい同じメンバーに会うのですが、結構な確率でお年寄りの方なんですね。
公園の周りを歩くと、どうしてもわたしのほうが早いので、後ろ姿を見つける→追い抜く、を繰り返しますから、
何度も彼らの歩く後ろ姿を見つめることとなります。
職業柄なのか、わたしのフェチなのか
人の身体の使い方に目がついついいってしまうので
あー、この方、数年で歩けなくなるな
とか
この方、左右差の代償運動でうなぎみたいな背骨だな
とか
まぁ、よく見ております。
そして、その公園のお年寄りの方々は、
98パーくらいの確率で、
尻が一個です。
尻が一個とは。。。。???
そもそも、お尻って、なんで真ん中で割れ目があるとおもいますか?
そうです!想像は容易いとおもいます。
割れ目のところは動いて別々の運動ができるようになっているから、ですよね??
つまり、歩くときには、腸骨(いわゆる骨盤)が左右に前回転し、足のモモウラを伸展し、地面を蹴り出すことで、上半身が前に押し出されること、がおきますよね。
上半身が倒れるという軸移動に足がついてくるイメージ。
軸移動の連続性で、歩く、わけです。
(足をあげて前に踏み出して歩いているというヒトがぃますが、それは厳密にいうと間違い、というか、構造上無理があります、そして我々はそう小学校のときに習い、ここから体が壊れ出します、それはまたの話)
なので、骨盤の前回転が起きたとき、左右に差ができた運動に備えてあるかのようにお尻は割れておるわけです。
言い換えれば、
普通に歩くとお尻は割れて足の延長のように使うのが普通です。
がしかし、
公園の老人たちからは、まるで割れ目が生まれつきなかったように、お尻は固まって、一個の物体化しています。
これじゃあ股関節は曲げられることを忘れて
足の付け根の下だけを筋肉だけで動かして歩き
腰を固めることによって背骨やその周辺の筋肉組織に力が伝わりません。
カラダが壊れるということを具体的にいうと
本来の目的どうりに使っていない
使いすぎている
使わなさすぎている
食べすぎている
食べなさすぎている
など、「適正」から逸脱している。ということ。
お尻がふたつに割れている理由はきちんとあるわけです。
別れて使われることが前提であり、
使われてはじめて適正なのです。
声をかけて
「すいません、お尻一個おとしましたか?」
と聞いていませんが、本当に一個しかない人はいないとおもいますので
多くの人が、お尻一個化してるやばい現状なわけです。
この壊れかけのカラダ、壊れるような力がかかった関節で、この方々は、公園を歩いて、より負荷をかけて運動していらっしゃるんだということ。
運動しなきゃ。
運動不足だから。
運動はカラダにいいから。
しんどいのは運動不足がたたったのだ。
痛いのは年だから。
そう思って、左右チグハグな筋肉で、歩くために本当は使わなきゃいけない筋肉、関節を無視して
やみくもに運動するのは
本当にカラダ壊しますよ!
とわたしはいいたい。
お年寄りの楽しみ、頑張りが、
怪我につながったり、より腰痛を悪化させ、代償運動で別の関節痛になっていくのをわたしは阻止するお助けマンであるべきだと思った2021年でした。
わたしの住んでる町のお年寄りは
お尻がぷりーん、と割れていて垂れてない!
颯爽と歩く、つまづきそうになっても、ステップで回避するお年寄りばかりですよ❤️
っていう風に、する!!!
2022年もカラダを開発していきましょうね😍