自分が一番愛されたい相手は自分
本当のわたしの声が、わたしに届くまで。
栄養療法を勉強し始めて、実践し、身体の栄養状態がいかに、メンタルに影響を及ぼすかは、自身や家族の様子で、身をもって体感してきました。
しかし、教科書通りの食事をし、質の良いサプリを飲んでいても、ストレスを抱えていると、残念ながらその大切な栄養素をごっそり奪われ、さらに血糖値を安定させてくれるホルモンを無駄遣いすることになります。
血糖値の不安定=メンタルの不安定
です。
これは揺るぎありません。
はて、その『ストレス』とは。
病気やケガはもちろん、人間関係の悩みや、
仕事、お金、暑さ寒さなども含まれる
嫌だなって感じること全てがストレスで、挙げればキリがありません。
わたしも一生懸命、そのストレスを排除してきました。
でも…でもですね。
したくない仕事から離れ、お家でゆっくりしていても、
好きなことをしていても、家族や大好きな人たちに大切にされ、たくさん笑っていても、美味しいものを食べていても、欲しいものを買えても、
何もガマンがないその幸せ(なはずの感情)が、
自分の中を素通りしていくのです。
贅沢すぎますよね。
今のあんたに何の不満があるねん!と言いたくなる。
そんな時にふと、Twitterで流れてきた
『今〇〇な時期だから、〇〇みたいになってる人、多いんじゃないかな』という投稿が目に止まり、
え?わたしのこと見てたんこの人?と、ビビッときたことをきっかけに、
Akaneさんというホロスコープ研究家の方にたどり着きました。
そして彼女のSNSの投稿や動画にどハマりします。
そのまんま、何の良いカッコもなく、心のままのその姿に電気が走り、彼女が発する言葉を身を乗り出して聞きました。
そして、彼女が一貫して伝えている
『自分が一番愛されたい相手は自分』
という言葉がとてもとても沁み入ったのです。
『親でも旦那さんでも、他の誰でもない。
"あなた"に愛されたいんですよ!』と。
自己肯定感上げようとか、あなたは素晴らしいとか、ありのままの自分を愛そうとか、自分のコップを満タンにしてからとか、原因と結果の法則とかとか…
もがいてもがいて、
何か良いこと、何か楽になること書いてないかな?
今のこの自分から抜け出せる方法はないかな?と
若い頃からずーっと、本を読み漁って、調べて調べて、
もうそんなこと、聞き飽きるほど、わかっています。
そしてついには、身体の質的な栄養失調が、様々なメンタル不調を引っ張ってきてしまうことも知りました。
でもひとつ、気づけていないことがあったのです。
『わたし、わたしの声聞いてない』
〜べき、〜ねば、は幸せから遠ざかるって、ちゃんと知っています。
でも結局、"良くなるため"には、
こうすれば良い。こうするのが正解。
これが悪かった。これが間違ってた。
だからこうしよう。これはやめてこれにしよう。
"こう思おう"
で、あたまの中がいっぱい。
出会えたたくさんの人たちのおかげで、知らない世界を知り、心の中に安心できる場所を蘇らせ、わたしを取り巻く環境は大きく変わりました。
それは本当に有難くて。
そしてできなかったことができるようになったり、
楽な場面がたくさん増えました。
でも、わたしのこころ(わたしの本当の心、感情)は
いつも置いてけぼりだったと痛感したのです。
自分のほんの小さな望みでさえも、あたま(思考)がフタをしてしまい、なかったことにしてしまう。
例えば、
《あともう少しごはん食べたいな》
『いやいやもう食べたやん。1食〇〇g越えへん方がええやん。ムリやん』
《これ美味しくないから、もう食べたくない》
『は?じゃあどうするん?残すの?自分が食べたいって言ったのに?』
《洗濯したてのパジャマやけどなんかイヤやな。ちがうの着たい》
『この前フツーに着てたやん。一瞬だけ着てまた洗濯?もったいない』
こんなほんの小さな望みすら、叶えてあげないのです。"わたし"はイヤだって言ってるのに。
もしこれを大切な人が言ったら?
『そうかそうか!ええよええよ!
おかわりしい!嫌なのガマンしなくていいよ』
絶対にそう言うはずです。
でも自分にはそうではなく、ガマンさせることがデフォルトなのです。
先ほどの、栄養をごっそり奪うストレスの大親分は、
[自分が上げている声を全く聞いてもらえていない]
ということに尽きるのではないかと思います。
だからAkaneさんの
『自分が、一番愛してほしいと望んでいる相手は自分です』の言葉に
胸を打たれまくったんだと思います。
"愛するべき"なのは知っています。
でもわたし、本当のわたしに、どうしてほしいかを訊ねたことがないのです。
どうするのが一番良いか、ばかりを訊いて生きてきました。
(本当のわたしとは、[魂]であり[こころ]であり[感情を持っているわたし]と認識しています)
わたしが長年もがいてきたのは、本当のわたしの存在は無視して、あたま(思考)が描く理想のわたしを追いかけてきたからなんだと、腑に落ちました。
そして
愛されたいと望んでいる相手に、
無視されるどころか、ダメ出しばかりをされる。
わたしの場合、子どもの頃からずっとダイエットをしてきて、自分を自分で痛めつけるようなことを繰り返してきたので、欲望なんぞは悪いもの、汚いものと一蹴され、
醜いと、痩せなければ愛さないと言われ続けてきたのも同然で、
どれだけ辛かっただろうと思います。
そりゃ、心は死んでしまうよね。病んでしまう。
なのに、
どうして!なんでこんなにしんどいの!何が悪いの!と
病んでもさらに責められる。
本当の自分と現実の自分が乖離していると、身体を使ったサインが来るそうです。
体調不良や病気やケガが、そのサインです。
これも本当に腑に落ちました。
ちゃんと居たのに。
わたしの中にずっと、一番大切なわたしが居たのに。
ずっと無視したり、いじめたりしていたから、
小さく小さくなってしまっていて。
本当にごめんね。
今わたしは、"本当のわたし"のことを、
[リトルキミエ]と呼んでいます。(わたしの名前が、きみえなので笑)
今のわたしは、リトルキミエの声をいつもいつも訊くようにしています。
小さな要望から、大きな要望まで、ちゃんと訊いて叶えるように努めています。
いつもなら、相手を傷つけてしまうような可能性が少しでもあるならば、
不安や不満があっても、まっいいか!仕方ないか!で
即終わらせるような事でも、
リトルキミエが嫌だと言うことは、必ず行動を起こして不安や不満がないように動いています。
これは本当にとても大きな変化でした。
すると、縮こまっていたリトルキミエが、少しずつ伸びをし始めて、笑顔が増えていくのです。
なんだか元気さを取り戻しているようで
取るに足らないような小さな要望でさえも、嬉しい😆と喜ぶのです。
それが本当に嬉しくて。
"わたし"は満たされるのです。
しかしまだまだ、あたま(思考)が先行してしまう瞬間は多くやってきます。
年季も入っているし、なかなか難しい。
すぐにどれが正解か、どうするのがベストかを考えずにはいられないし、良いカッコもしてしまう。
でも、この世界には、どうすればいいか教えてくれる人や言葉、学問はきちんと存在していて、
そこへ辿り着くには、"そこへ行きたい"と望めばいいんだ
と知りました。
"苦しくならないように"
ではなくて、
"苦しくなっても智慧を授けてもらえる"
ことがわかったので、あとは
『ずーっと無視してて、いじめてきてごめんな。
これからは、わたしが一番大切にする相手はわたし。
幸せにするからね。』
これを実践すればいいんだと。
なんだか簡単そうにさえ思えてきている今日この頃です。
実践していると早速、自分を幸せにするために役立ちそうなことが、向こうからやってきたりします。
ご縁がなかったと諦めていた方に施術してもらえたり、
考えるな!感じろ!的な、思考爆発のわたしとは真反対のワークショップに参加できることになったり、
本当に不思議ですね。
わたしがわたしを大切にするために必要なことが、たくさん起こるのです。
生まれてから死ぬまで、自分と一番一緒にいるのは自分なのに、
自分以外の誰かの評価を気ににしたり、誰かを満足させることを優先したり、
子どもの頃からの刷り込みで、
どうしたいかよりも、こうするべき、こうあるべきに寄せていったり。
どう感じているか、どうしたいかを、真っ先に訊く相手はすぐそばに居たのに、随分長い間、気づかないままでした。
待ってろよわたし!
本番はこれからや!
今までの分、絶対に取り戻す!
いつの日か、
わたしが本当に望んでるわたしになって、
新しい切り口でnoteを書いている姿がもう目に浮かんでいます。
楽しみで仕方ありません。
ご縁があってこのnoteを読んでくださった方にも
どうか
愛されたいと望んでいる[リトル〇〇〇]の
声なき声が届きますように。
ありがとうございました😌
最後になりましたが,
Akaneさん、
リトルキミエの存在に気づかせて下さって
ありがとうございます😊
幸せにします🧡