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自分のことって意外とわかってないねんな

わたしが、嘘偽りのないありのままの自分と現実の自分がやっと統合できた↓ 
ほんの少し前のこと。


栄養部の先輩、あすかさんの
ワークショップに参加できることになった。

https://www.instagram.com/nagahama_asuka?igsh=MzRlODBiNWFlZA==


そこでわたしは図らずも、
壮大な気づきを手にすることになる。


***

そのワークショップはノートアルターという、アートセラピーの一種。

まず初めに、とにかくピン!ときた画像をピックアップする。

考えるな!感じろ!
正解を探した時点でアウトー!!

とにかく直感に従うことが何よりも重要。

どんどんピックアップし、その中から厳選した数枚の画像をノートの表紙に貼るように一枚にまとめていく。

正しくはアルターとは祭壇のことだが、
わたしの理解は、ノートの表紙にお気に入り写真を貼り付けるイメージだった。

わたしは、この最初にピックアップする作業がたまらなく楽しかった。
手の込んだネイルや、かわいくて手の込んだお菓子、ピンク色の夕日、かわいい色のコスメ、かわいボタン。

あーもうかわいい全部貼りたい!
そりゃあもうときめいた!

わたしのノートアルター


そしてその一枚にまとめた画像を見て、何を思うか、
どんなことを感じるか。
それがセルフイメージであり、在りたい自分。

わたしは自分のアルターを見て

かわいい
ハッピー
ゆったり
癒し
芸が細かい
手が込んでいる
魅せる

の言葉が出てきた。

わたしはどの画像にも"ときめき"を感じていて、
本来、それを大切にしたい意外な自分がいた。
かわいいものも大好き。
でも、こんな年齢なのにカッコ悪いだの、
太ってるくせに恥ずかしいだの、
思考が爆発しているせいで、直感で"好き"を選ぶことは久しくなかった。


考えるな!感じろ!のアドバイスがなかったら、
わたしはわたしの年齢に合った恥ずかしくないものを選んでいたに違いない。
今考えると、恐ろしい以外のナニモノでもない。


選んだアルターに基づいて過ごす2週間についてのアドバイスが多々あった。

潜在意識と現実を結びつけれるように。
在りたい自分であるために。

わたしの今までのあすかさんの印象は、
すごーく大切なことをポップに伝える女王だったが、
予想をはるかに超えた。
彼女のケアはとても細やかで説得力があった。
ものすごーく深くて大切なことを、やっぱりサラッと伝えてくれる。
楽しくて、一生物の勉強になった。
そして、いつでも後ろにいて見守ってくれているような安心感があった。


そこからメンバーたちのミラクルがたくさん起こる。

一見、ネガティブなことが起こったメンバーのひとりは、その後二転三転し、涙が出るほど嬉しい気づきが待っていたり。

飛べるフクロウが走ってしまうくらいの焦りがあったのに、ゆったりと過ごすことの偉大さを感じたり。


迷っていたけど、やっぱりコレが好き!だから挑戦する!の彼女にステキな仲間が急に出来たりと、

こんな短期間で?!ホンマに?!なことが、
他にもたくさん起こったのだ。


かく言うわたしにもミラクルが起こりまくる。

今までデブが目立たぬようにと、黒、グレー、ネイビーの服しか持っていなかった。
でも今回、赤とかピンクとか好きやった!ってことに気づいたので、まずはときめく服を選ぶことにする。
思い切って、赤やピンクや紫の原色のニットを何着か買った。

その日たまたま、カラーコーディネーター、カラーセラピストの資格を取った友だちに診断してもらうことになったのだか、なんと!
わたしが好きなその原色たちが、ベストカラーだったことが判明する。
『絶対に顔が浮いたりしないから。絶対に似合うから、自信持って着て!!』と説得力満載の彼女が言うからには、絶対だと納得した。
嬉しかった。ときめいた。


そしてその日、わたしは長年戦ってきた、
『痩せたい』から、図らずも解放されることになる。


そのカラーセラピストの友だちとごはんを食べながらの会話の中で、
『きみえちゃんが痩せてても、太ってても、わたしらには何の関係もない。ホンマにどっちでもいい。見た目がどんなでも、きみえちゃんはきみえちゃんやから。きみえちゃんでいてくれさえすればそれでいい。』
絶対に嘘のない、決して口が上手くはないその友の言葉をわたしは珍しく、全部受け止めていた。
ノートアルターのワークでそう決めたからだった。

ズドンズドンと胸に響くその言葉を、その場では噛み締めるのが精一杯だったが、
あともう少しで何かが解けそうな気がしていた。

家に帰り、パートナーに話を聞いてもらいながら、わたしはノートとペンを出して整理を始めた。

図にすると、とてもよくわかった。

思考優先の現実のわたしは、可愛くいたいと願う自分の希望を叶えるには、痩せるしかないと思っている。
それが必須の条件だと。

確かに、"年齢を重ねてもずっと可愛くいたい。可愛いおばあちゃんになりたい"は、わたしが心から願っていることだった。

でもその友に、『痩せてようが太ってようが、どっちでもいい。きみえちゃんはきみえちゃんやから。』と言われた時の"ビビビ"から辿っていくと、

本当のわたし(嘘偽りのない、ありのままの自分)は、
可愛くありたいとは望んでいるけれど、痩せなければ可愛くいられないとは思っていなかったのだった。
衝撃だった。

まさにその友と同じで
"どっちでもいい"だった。
望んでいるのは、
『毎日ときめいてたい!気分よく笑っていたい!幸せを感じていたい!』
ってことだけだった。

それを思考優位の現実のわたしは、
痩せないと!それがないと!それを手に入れないと!
望みは叶わない!と躍起になっていた。
それはきっと人の目を気にしていたからだ。
それが理由だと思う。


わたしが本来のわたしを見た時に、
見た目などに関係なく、何でも素直に楽しんで、素直に喜べる、そういう人が可愛い人。
いつも笑顔が弾けていて周りの人をハッピーにするような、可愛いおばあちゃん。
そんな人になりたかったのだ。


わたしは大きな大きな勘違いに気づいてしまった。
そして、これもまた、ダイヤルがガチャンとハマって
扉が開くイメージそのものだった。
その時の安堵感と放心状態。
ガラスの鎧がパリパリと割れて足元に落ちていくような、
なんとも言えない、初めての感覚だった。

そしてその日を境に、わたしに40年間付きまとっていた
【食べることは太ること】から、解放されることとなる。

いつもと全く同じ食事がこんなに美味しいの?!と驚いた。
いまだに信じられないが【食べることは喜び】になった。
味わいながら食べると、何度も息を吹き返した気分になった。

突然こんなこと起こるの?といまだに不思議だ。

そしてまた次の日は、髪を切りに行く。
だってノートアルターで、ときめきを大切にして生きたいことに気づいたから善は急げ。

元々ショートだが、ずっとベリーショートにしたかったので、娘に紹介してもらった美容室にルンルンで行った。
が、結果は思てたんと違う…どころか…
梳かされ過ぎて、もみあげハゲてる。つむじのとこハゲてる。
前髪も最初に念押しした重めで、は完全に忘れ去られ、
梳かされすぎて、モンチッチ感が否めない。
そして鏡を見るたびにイヤな気分になっていた。

それなのにわたしは、
伝わってなかったってことは、言い方が悪かったんやな。
とか
パーマを急にカラーに変更してもらったしな。
とか
帰ってきて驚くパートナーに
いや、ちゃうねん、わたしの言い方がなー!とか
でもわたしすぐ伸びるやんかー?とか
もう切ってしまったものは仕方ないわ!とかなんとかかんとか。

嫌だという感情や、腹が立つという感情をいかに出させないようにするか、色んな言い訳に総力を上げていた。

で、次の日。
あすかさんのアドバイス通りにログをつけていたら、
あれ?おや?おやおや?
『そうやん!わたしこんな髪型にされて!!
イッッヤやねん!!こんなに梳かされて!!
なんやねんアイツ!!雑すぎるやろ!!!
絶対にしばく!!!』と走り書いていた。

わたし怒りたかったんやと気づいて、文字に起こしてちゃんと怒ったら、なんだかとてもスッキリした。

今までいかに、ネガティブな感情を出させないようにしていたかを痛感した。

"生き埋めにされた感情は絶対に死なない"
バイブルのような本にもそう書いてある。
そんなことよーく知ってる。

でも日常の、些細だけど自然と湧き出る感情にさえも、
ジャッジをして見張っていたのだ。

それに気づいただけで、で、それを出したとて、
なんら大したことはないことがわかって、わたしの心は軽くなっていた。

これ、ログつけてなかったら、そのまま素通りしてたよな??
え?こわ!!
え?すご!!

自分が今、何を感じているかを
自分自身が気づいてあげるってことが
本当に大切やねんでってことを教えられた。
それが基本やでって。


そしてわたしは、何度鏡を見ても気に入らない前髪を
自分でブチブチブチと切った。
眉毛がしっかりと出たその顔を見てなんだか嬉しくなった。

そして、大好きな友に会いに行く。
短く切った髪と、赤いセーターを着て、濃いピンクのマフラーを巻いて。

おしゃれな街中を歩くわたしは、昨日までのわたしではなくなっていた。

歩きながら、まさかのことに気づいていた。

今までずっと、女性らしくあらねば、きれいであらねば、わたしなんぞに価値はないと思っていた。
なんの取り柄もないから、それくらいは、と。

でもわたし、女性らしい服装も髪型も
本当は好きじゃない。
誰かの好みに寄せていく自分も好きじゃない。

まさかまさかのわたしが登場。

今日のわたしは、世間の目にも、こうあらねばの今までの自分にも全く寄せていっていない。
それが心地よくてたまらなかったのだ。

丸い体に好きな色の服をきて、前髪パッツンで歩く51歳のわたしを、わたしはとても好きだと思った。誇らしかった。

***

この間、1週間も経っていない。
この短期間の気づきが、大きすぎた。

40年間抜け出せなくて、必死にもがいてたことが
あれよあれよと言う間に、わたしの手から離れていき、

え?ホンマはコレ嫌やったん???
え?本気で言うてる???くらい
意外な自分がいることに気づいて驚くとか、

いやもうもっとある。
細かいことを言い出せば、さらにもっともっとあるけれど、なんかものすごい数日間を過ごした。

そしてその後の1週間は、たまたまでなく、きっとこのタイミングで受けることになっていたセッションでまた大きな気づきと変化を手にする。

もし、このワークショップに参加していなかったらどうだっただろう。大きな気づきを手にして挑んだから、うまくハマったのだ。
ワークショップとセッション。
同時期のこの2つが相まってわたしは、
まさかの世界に引っ越しをした。

***

この現実はわたしが呼んだものだ。
わたしがずっと、あすかさんの投稿に惹かれていたのも、全てこの日に繋がっている。

わたしグッジョブだが、
やっぱり彼女に感謝せずにはいられない。


もちろんここに来るまで、色んな人の力を借りた。
分子栄養学講師のまごめ先生はじめ、
栄養仲間でカウンセラーのさきぴょん。
ホロスコープと数秘のさゆりさん。
分子栄養学の師匠の宮澤先生。
補食の指導で助けてくれたのぶえ先生。
相談に乗ってくれた菊池先生。
自律神経の深い学びをくれた笹森先生。
除霊してくださった小池先生。
魂のセッションのAkaneさん。
そして今回のワークショップのあすかさん。

そして実践講座で出会った先輩方や仲間たち
みーんなみーんな、応援してくれた!!
マジでステキな人しかいないこの実践講座。
マジで!!!

今ではなくてはならない大切な友との出会いもあった。

こんなに幸せなことってあるの?と思う。
こんなに人に恵まれる人生って。


“縁"というものをこんなに強く感じたことは、今までになかった。
その"縁"に助けられて励まされて、ここまで来れた。


でもその"縁"は初めから用意されていたわけじゃない。
先生方のほうから、力になりましょうか?と声がかかったわけでもない。

わたしは助けてほしい人に、
助けてと声を上げたのだ。


そこからこの輪が広がり、知らない世界を知って
今に至る。


行動したわたしグッジョブ!
苦しいのガマンし続けなかったわたしえらい!
今はもう、結局そこに行き着く。
 

***

このnoteを読んでくれている人の中に、
生きるのが辛いと感じている人がもしいるのなら、
諦めないで、声を上げてほしい。

あなたが何も言わずとも、誰かが察してくれて、
助けに来てくれる日は絶対に来ない。
声を上げさえすれば、たくさんの人が振り向く。

ひとりで乗り越えようとしなくていい。
ひとりで頑張らなくていい。

この世界には
あなたと同じ苦しみを経験し、
乗り越えた先人がたくさんいる。


わたしもそのひとりになりたいって思う。
おこがましくてもなんでもいい。
わたしはこの経験を誰かの希望に変えたい。


あんなにも生き辛く、
消えてなくなりたいと
早く生まれ変わりたいと願っていたわたしに
こんな風に思える日がくることが、
希望でないはずがないから。

ーーーーーーーーー

わたしが知らなかったわたしを映し出して
導いてくれた
たくさんの人たちに感謝を込めて。

ありがとうだけでは全然足らないけれど、
本当に本当にありがとう。
ラブです🫶🫶🫶


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