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いのちの希望を携えて

二宮敦人さんの著作、『最後の医者は雨上がりの空に君を願う』
から心に響いた文章がある。


誰かを覗き込むことで、火が燃え移る。消えた灯火も、ついている灯火も、火を受けては渡し合い、互いに瞬き揺らめきながら、大きな一つの炎を描く。それを生命と呼ぶのだろうか。まるで窓の向こうに広がっている星空のように。

二宮敦人『最後の医者は雨上がりの空に君を願う』、TOブックス、2018


あなたの中に希望がないなら、そばにいる誰かの中に、希望はこっそり隠れている。

二宮敦人『最後の医者は雨上がりの空に君を願う』、TOブックス、2018


なんてきれいな表現だろうか。

人によってどんな表現の仕方が心に響くか、どんな表現の仕方が目の前に情景を広がせられるかは違う。

私にとって、この表現、文章は感動的なものだった。

自分の中に希望がなくても、誰かを覗き込むことで、希望を見つけることができる。
その人の希望をもらうことでそれが自分の希望になる。

消えてしまった火を自分で灯すのは難しい。
それを自ら消してしまったのならなおさら。

でも、誰かの中にある火で灯すことはできる。

火を分け与え、繋がっていく。
それがいつのひか、大きなものとなり、かけがえのないものとなっていく。




全ての人は救われるために生まれてくる。そして、全ての人は救うために生まれてくる。

二宮敦人『最後の医者は雨上がりの空に君を願う』、TOブックス、2018


きれいごとだなと思う人もいるかもしれない。
でも、きっと違う。
わたしたちは生きていることで誰かを救っているのかもしれない。
また逆に、誰かに救われているのかもしれない。

自分の存在が誰かの幸せに。
誰かの幸せが自分の幸せに。

そんな単純なことでなないだろうか。




いのちといのちがであうとき、別れは必然だが、そこに必ず希望も生まれている。

二宮敦人『最後の医者は雨上がりの空に君を願う』、TOブックス、2018


人は生きている限り必ず死が訪れる。
誰かの死を見送らなければならないし、自分の死を誰かに受け入れてもらわねばならない。

別れとは確かに悲しいものだが、そこにあるのは悲しみだけではない。

そこには確かな希望が存在する。

死にゆくものは、別れの際、残されるものに対し希望を与えることができる。
残されるものは、死にゆくものに対し希望を与えることができる。

その希望が消えることはないだろう。
彼らの間には目では見ることができないが、確かに繋がる何かが存在する。




願わくば全ての命が、希望をその手に携えて、歩いていけますように。

二宮敦人『最後の医者は雨上がりの空に君を願う』、TOブックス、2018


希望とは抽象的で分かりにくいかもしれないが、必ずどこかにあるはずだ。

それを手にして人生を歩む。
自分の、誰かの希望を手にして。


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