見出し画像

【癌日記70日目】会社に癌告知しなければよかった3つの理由/ママががんになったとき/卵巣癌・子宮体癌/9月7日

この日記のマガジンは私が49歳で卵巣癌と子宮体癌に罹患した日々の自分と家族の記録。娘(高1)娘(中2)夫&猫の4人と1匹ぐらし。ワーママ。他の日記は以下のマガジンに。


今日9月7日は癌防災チャンネルの押川先生のYoutubeを一気に見た。その中でも会社に癌のことを伝える前に知りたかった情報について考えたことを、娘が書いた作文のことを思い出しながら考えた。

癌と言われてすぐに会社を辞めたり、会社に伝える必要はなかったと今は感じていることを書いておこうと思う。

補足:私の仕事は自宅勤務が可能で、オンラインで1日2,3回のMTGとスラックでやりとりしながら自分の業務を行うタイプの仕事です。

【理由1】癌ではすぐに死なない。これを知らなかったから会社に癌であることを言ってしまった後悔

取り上げられていたデータのなかで一番驚いたのが、全がん協のデータ。5年後も7割が存命で、しかも時間を経るごとに曲線がゆるやかになる。

5割というと半分は死ぬんでしょう。と思うかもしれない。だけれど逆に言えば5年後も半分は生きている。5年後を越えればさらに長く生きられるというデータだ。

引用されているのは全がん協の大規模なデータ

Youtubeで押川先生は、癌=「すぐに悲惨な死」を連想するのは、ことさら悲惨さを美しいストーリーで演出するテレビドラマや映画、小説の影響の可能性を指摘している。

私も癌だと言われたときにすぐに死ぬのかと思った。何の疑問もなく、すぐに死ななくても抗がん剤がきつくて吐きまくる地獄の日々のなかで体力を消耗して死ぬのかと思っていたから、会社のメンバーにはすぐに伝えた。

みんなに迷惑をかけてはいけないと思ったからだ。

だけれど、婚約もしていない相手と結婚します。安定期に入っていない子供が生まれますって会社に言わないし、なつにC判定だから2月に東大受かりますって学校に言わない。

癌とわかって今日で70日目、卵巣と子宮の摘出手術と2回の抗がん剤を終えたところだけれど、の傷の痛みが3週間もたつと随分消えて1日8,000~1万歩歩けるようになり、今のところ脱毛と指先と足の裏がしびれるぐらいで、吐き気や食事が食べられないということは一度もない。

あーなんで言っちゃったかなー。

こういう時ほど、自分でここが最後だと思うところまで、家族や友人には言っても会社に言うべきじゃなかった。

手術後1週間ほどで仕事復帰したものの復帰前とほぼ同じスケジュールで動けている。仕事復帰したときの気持ちは以下の記事にまとめています。

こんな感じであれば、会社のメンバーには個人的な病気のことを伝える必要はまったくなかった。私自身が癌であるという言い方ではなく、「家族の体調が悪いので1カ月は休みがちになるけれど対応できる。もしかしたら半年は続くかもしれない。頑張るから協力お願いします」ぐらいが最初のタイミングではちょうどよかった。

特にこちらの記事でも書いているように、卵巣癌や子宮体癌は癌のステージさえもわかっていない状況では伝えすぎたというのが実感。

初診から手術までの50日間に病院に通った回数は12回(実際の詳細はリンクの記事に)。週に2~3回病院にかよって検査を受けて少しずつおぼろげな姿が見えてくる。

手術してまた少し様子が見える。

手術後の病理検査結果でまた見える。

抗がん剤治療がはじまってまた見える。

抗がん剤の途中経過モニタリングでまた見える。

自分の病気の経過や様子がまったくわからない中で、しかも同じ癌でも人や状況が変わればまったく違う経緯をたどるようなので、癌だとわかったタイミングでは自分の今後について想定できる情報が少なすぎる。

もっと様子が見えた段階で、ここで言わなければ無理だと冷静に考えたタイミングで伝えるのがよかった。

このタイミングで、癌になる前に知識がなかった私と同じように、癌=死、抗がん剤=吐き気で体力が落ちてすぐに死ぬ。と思う可能性が高いメンバーに、癌の可能性を伝えることは、仕事上では自分で大きすぎるビハインドを負うことになってしまった。

自分で自分のキャリアの首をしめた。

【理由2】人は死を避け、死の気配があるものをタブー視して、スポイルする傾向がないとは言えない

少し話は変わるが、医者志望の娘は長期休みにはこども病院のボランティアに通っている。この病院に通う中で、「なぜママの病院も、こども病院も、街の中心じゃなくて、街の普通の人の生活から離れたところにあるの? 多摩全生園も、ママの病院もちょっと入るのが怖い

という話になった。子供たちの学校では1年に2回、ハンセン病の人々を集めて隔離した多摩全生園を見学するプログラムがある。プロテスタント系の中高一貫校の伝統的なプログラムだ。

私も中高時代広島女学院というの学校に通ったのだけれど中学1年生のときから3,000人を広島の沖合の島にハンセン病患者を隔離した長島愛生園の方にクリスマスカードを送り、やりとりを続けた。

そのときに娘と同じような気持ちがした。

娘の作文には、「母が癌であることを知ったとき、向き合いたくなくて距離をおいた。どうせいつかなおるんでしょう。大げさに言っているんでしょうと思った。人は知識がないことや解像度が低いことには、恐怖か逃げの態度をとてしまう。多摩全生園は隔離された大きな街で街の機能はあったけれど、人が向き合いたくないものを閉じ込めている雰囲気が怖かった」というようなことが書いてあった。

泣きそうだった。そしてそれはそう思うだろうと思った。

会社のメンバーにも、そばにいる人が癌だと知ること自体が重すぎる。そんな気がしている。

言わなければよかった。

言うことでメンバーに負担を強いるし、すぐには死なず仕事を続ける私の仕事は非常にやりにくくなる。

知識のギャップと向き合う覚悟のギャップが大きすぎるからだ。

会社に言わないと迷惑をかけるという言葉もよく聞く。

そうだろうか? 仮に1/2の確立というけれど、ポストが1つしかない場合の考え方は違う。会社にとって一番いいのは、早めに伝えて予防線を私が自分に張ることではない。

明日辞めても昨日するぐらい余裕を作っておくのが一番会社にとっていいことだ。そしてそれが私の仕事のやり方だと今は思う。

【理由3】メンバーに私と同じ癌の知識や経験を身に着けてもらえる可能性がない以上、出社する必要がなくてもなる早で出社する以外の選択肢がない

ここまで書いてきて気づいた。

状況がわからないなかで早めに会社のメンバーに最悪のけーすだけを伝えてしまったことで、元気であることを見せて自分の立場を確保しなければいけない。

1年間1日も出社しないで仕事をするメンバーもいるのに、私は自分で出社して元気なことを実物でみせなければいけない事態を招いてしまった。週明けから、週に1回の出社からはじめよう。

今は1日8,000歩は余裕で歩ける。試してみたところ1万から1万2000歩も余裕だ。

現状、毎日の体調チェックと食事内容はこんな感じ。しっかり食べて、しっかり動いている。

癌を持病として付き合っていくこと。転移があれば再度の手術や抗がん剤で対応していくことを考えると、体力作りは必須だ。

そう思うと歩数を稼げるという意味での出社も悪くない。

もちろんカラダと確認しながらすすめる。ただ、出社は抗がん剤治療の6クールが終わってからにしようと思っていたけれど、それはないな。

何でもなってみないとわからない。

ちなみに癌であることを会社に言わないことをおすすめしてはいません。
私は今、こう思っているという内容になります。

癌の闘病日記はすべてマガジンにまとめています。

いいなと思ったら応援しよう!

 T “家族で旅冒険!” O
よろしければサポートお願いします! いただいたサポートはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます!