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1970年代・1980年代生まれの広島女学院中高の卒業生向けのエモい写真集

久しぶりの広島で家族と待ち合わせまで時間があったので、広島駅から母校・広島女学院中高、そして本通りまで歩きながら写真をとった。


広島駅の改札を出て右手の郵便局がオシャレなレストランが入るビルに

駅を出てまず驚いたのは、屋根のある近代的なバスセンターになっていること。

広島のメインの繁華街や平和公園が広島駅から少し離れていることを解消するためなのかな? そしてものすごくインバウンドの観光客が多い。

広島駅前のこのエリアだけ切り取ると、成田空港や羽田空港の国際線乗り場にいるような気持ちになる。

広島空港よりも広島駅のほうがインバウンド観光客は圧倒的に多いから、インバウンド観光客の皆様は新幹線利用が多いのかもしれないなーと思いながら歩く。

駅前の広島駅前のダイエーがカラオケ館に

駅前のダイエービルはカラオケ館やリーズナブルなチェーの居酒屋が入るビルになっていた。

ビル自体は建て替わってなさそうだけれど、どうなんだろう?

駅から学校までの道で、駅前の変化とダイエーがないことにまず驚いたけれどここから先は意外とほとんど何も変わっていなかった。

駅前の変貌は激しかったけれど、ここからはほとんど30から35年前と変わらない 学校への道

学校までの橋を渡る。インバウンド観光客の皆様もかなりてくてく歩いていて、どこから来ているのかな? と思ったら縮景園を訪れて駅まで戻っているようだった。

川沿いの遊歩道。ここを永遠に歩きながらただただ笑いながらおしゃべりをしていた。

いつも風が心地よかった。

寄宿舎があった場所は駐車場かなこのオレンジのビルかな?あれっ?学園のために有効活用するはずでは?

寄宿舎があった場所には何もない。寄宿舎をとりこわすときに、有効活用のアイデア募集みたいなことを黒瀬先生が言っていた気がしたけれど、それは実現しなかった様子。

30から35年前と同じものは、、、、(1)生垣

学校が見えてきて、当時と同じものはあるだろうか? と思いながら歩いた。
外国人の大柄な先生が金髪ふわふわの女の子と家族で住んでいた大きな一軒家もその前の大きなもみの木もない。

クリスマスのときにこの大きなもみの木を電飾が飾っていて、私たちは小さなペンライトを持って寄宿舎の中1から高3で練習したキャロリングの讃美歌を歌ってまわるコースにこのお家があった。

今でもときどき断片的な映像を思い出す。あんなに美しいものや、正しいものや、キリスト教的なものに彩られた時間が本当にあったんだろうか? 私の記憶の中のことだけなんだろうか? と思うけれど、キャロリングで歌った讃美歌のアルトもソプラノもちゃんと歌えるから、確かにあったんだろう。 

中高の間の道。

横浜の娘たちの学校も広島女学院と同じプロテスタント系の女子校でこんな風に道路を挟んで渡り廊下でつながっている。

とてもよく似ていて、見る度にわらってしまう。

30から35年前と同じものは、、、、(2)体育館

体育館や食堂、購買部があったたてものは変わらない。

今もこの食堂前の数段の階段にクラスごとで集まって讃美歌コンクールの練習をしているんだろうか?

讃美歌コンクールは大好きだった。冬の朝、真っ白な息を吐きながら各クラスごとの美しいハーモニーが学校中にあふれていた時間が忘れられない。

この学校に行ったから讃美歌は私と常に一緒にあって、子供たちの子守歌も母が歌ってくれたものをいくつか歌って、その後は思いつくかぎりの讃美歌を歌って寝かせていたし、今も時間ができたら子供の学校の保護者のクワイヤコーラスに入れたらいいのにと願っている。

30から35年前と同じものは、、、、(3)ゲーンスホールと高校校舎

ゲーンスホール。入学したときは、100周年記念のこのホールができたばかりだった。

窓が「100」を表しています。と言われてとても驚いた。

都内の横浜の有名中高一貫校のどこと比べても遜色のないパイプオルガンとホールの豪華さ。

広島の女子校にここまでのパイプオルガンの調べが毎日流れていることには驚く。

30から35年前と同じものは、、、、(4)藤棚

体育館脇の藤棚。この藤棚の掃除当番が大好きだった。

藤の花のシーズンには、毎日あちこちに藤の花びらだけの小山ができるぐらいたくさんの花がさく。落ちてカサカサ音がする藤の花びらを箒で集めて山にすると藤の甘いかすかな香りがする。

さっさっ。カサカサ。甘い香り。いつまででもほうきではいていられる気がした。

30から35年前と同じものは、、、、(5)女学院前の路面電車の駅

女学院前の駅。

駅前の路面電車の石畳はおそらく原爆投下時と変わらないものだと思う。

30から35年前と同じものは、、、、(6)三越、天満屋、福屋、、、だけれど天満屋はない

駅から路面電車に乗らずに本通り方面までてくてく歩いた。

ここもお店は変わっていても、たてものは変わっていない。

とても広い道路。ここを制服を着てキャッキャと笑いながら歩いていたときはその時間が永遠に続くと思っていた。

福屋や三越がのこっていることは奇跡。天満屋はないんだなー。

この3つのデパートを端からせめてどんな洋服を買ってもらおうかなって足が棒になるほど歩いた。

あんなに時間をかけて自分の気持ちに合うものを探して歩くよなことはもうない。

そういえば福屋の映画館は今もあるみたい。

ココでスタンド・バイミーをみて映画にはまった気がするけど記憶違いだろうか?

30から35年前と同じものは、、、、(7)胡子大祭の雰囲気

胡神社のお祭りの赤い看板。これもあまり変わらないきがする。

30から35年前と同じものは、、、、(8)本通り 靴下屋

本通りの中のお店はかなりいれかわっているなかに、靴下屋! こんなに小さなお店が50年近く同じ場所で営業し続けていることに驚き。

30から35年前と同じものは、、、、(9)制服購入の「いとや」

はじめて本通りに行ったのは、制服の採寸のため。広島市内のたくさんの制服を扱う「いとや」は今も健在。

30から35年前と同じものは、、、、(10)広島アンデルセン

広島アンデルセン。
アンデルセンの中は変わっているけれど、外観はそのままでうれしくなる。

定期テストの後、アンデルセンの2階でいちごヨーグルトパフェをよく食べた。

このヨーグルトパフェがものすごく冷たくて、そしてアンデルセンはものすごく冷房が効いていて、長居ができない店。

冷房をきかせすぎるぐらいきかせて長居させないようにしてるのでは? という都市伝説があるほど寒い店だったのになぜか背伸びして行きたくなるそんな店だった。

30から35年前と同じものは、、、、(11)おむすび むさし

むさしの山賊むすび。

本通り店は老朽化がすすみ販売だけのお店になっていた。

原爆資料館から帰りによって持ち帰りように購入し、車の中で家族で食べた。

30から35年前と同じものは、、、、(12)川沿いの慰霊碑

平和公園に至る慰霊碑がたくさんある川沿いの道もより整備が進んでいるかもしれないけれど雰囲気は変わらない。

高校を卒業してから、学校の周りを歩いたのは35年ちょっとの間で2回目だ。子供の中学受験が始まる前に一度、子供が中学生と高1になった今回。

中高時代を過ごした場所を歩いてまわる小一時間で普段は思い出さないたくさんのことを思い出した。

変わらないものと変わるもの。

中高時代が今も自分の価値観に多きく影響をしていること。

「守られていた」感覚を久しぶりに思い出すところもあった。

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