知らなかったでは済まされない、日本の入管問題について感じたこと〜ドキュメンタリー『牛久』を観て
2022年2月26日から公開しているドキュメンタリー映画『牛久』。
本作は、在留資格のない人、更新が認められず国外退去を命じられた外国人を「不法滞在者」として強制的に収容している「入国管理センター(入管)」の様子を「隠し撮り」で記録したドキュメンタリー映画である。
まず、「隠し撮り」という手法に関して。なぜ隠し撮りをしなければならないのか。それは、施設内での録音・録画を一切禁止にしているためだ(この時点で、入管側に何か隠したいことがあるのではないかと疑う)。「隠し撮り」には賛否があると思う。だが、入管で起きている実態を知らせるには、隠し撮り以外に方法はない。この作品を観たうえで言うが、私は入管を隠し撮りしたことを「悪」だとは思わない。
『牛久』観賞後に、本作の監督・トーマス・アッシュさんによる舞台挨拶が行われた。そこで言われた言葉が頭から離れない。
「あなたたちは、入管の実態を知ってしまった。知る前には戻れない」
この言葉に突き動かされて、今こうして文字を綴っている。
知ってしまった。だからこの事実を1人でも多くの人に伝えたい。
今回のnoteでは、『牛久』を観て知った入管の実態、トーマス・アッシュ監督の言葉、自分が感じたこと、私たちができることなどを書いていきたいと思う。
あまりにも残酷な入国管理センターの実態
まず、入国管理センター(入管)とはどのような場所なのか。
冒頭でも述べたが、在留資格のない人、更新が認められず国外退去を命じられた外国人を「不法滞在者」として強制的に収容している施設である。
入管は全国に17カ所あり、今回の撮影地は茨城県牛久市にある男性専用施設の「東日本入国管理センター」である。
施設内には、紛争などにより母国に帰れず、助けを求めて日本に難民申請をしている人も多くいる。
大前提として、彼らは罪を犯してない。日本に来て、空港で捕まって、気づいたら入管にいた、という人もいた。
本作は、入管にトーマス・アッシュ監督が入り、収容されている9人の方(クラウディオさん、デニズさん、Cさん、ディクソンさん、ピーターさん、ナオミさん、ルイス・クリスチャンさん、ニコラスさん、アリさん)と面会室でアクリル板越しに話している様子を撮影している。そこで彼らが語っていた入管の実態があまりにも酷かった。
①暴力、恫喝
入管職員は「制圧」するために、収容者を殴ったり、蹴ったりすることが日常で起きているようだった。面会室での会話を聞いていると、後ろから怒鳴り声(もしくは、叫び声?)が聞こえてきた時があった。
『牛久』の中で、入管職員がデニズさんを「制圧」している映像が流れてきた。その映像の様子が、入管の実態がどんなに残虐なのかを物語っている。
デニズさん(1人)に、入管職員6人が抑え込んでいた。
1人は右手、1人は左手、1人は右足、1人は左足、1人は口を封じる、そしてもう1人は首元あたりを押していた。
「痛い」「やりすぎ」「死んじゃう」「助けて」と、デニズさんの声が響き渡る。職員は「もう暴れないか」など怒鳴り声をあげて、デニズさんの声を抑えていた。
1人を6人で囲い、抑えている様子を見て、いじめの構図を思い出す。
このような最低な行為が現実で起きていることに大変ショックを受けた。同時に、同じ日本人として情けない気持ちになった。この映像が、今でも脳裏から離れない。
映画の上映が終わり監督の舞台挨拶が始まると、観客から「この映像はどうやって撮影したのか?」という質問があった。トーマス・アッシュ監督は、面会室しか入れないので、この映像を撮るのは不可能なはずだからである。
監督によると、この映像は入管職員が撮影したものらしい。
入管職員が撮影した映像は、裁判でデニズさんの弁護士が開示請求をした際に証拠として提出されたものとのこと。
誰がどう見ても、これは入管職員側の悪質な行為を世の中に知らしめる映像である。
②監視下に置かれている
彼らは、自由に外に出たり、人と話したりすることはできない。外部への連絡は、施設内の公衆電話か、手紙のみである。
だが、その連絡の内容は入管に筒抜けである。
収容者が外に出す手紙は一度入管が読んでから相手に渡される。当然、不都合なことが書いてあれば渡さないだろう。収容者宛の手紙も同様に入管が読んでから収容者の手に渡るのだ。
彼らには、プライバシーの権利がなかった。この状態は人権がないと言っても過言ではない。
③ハンガーストライキ
収容者が入管にいる期間は設けられていない。
監視下に置かれるなど、入管の実態はまるで刑務所であるが(刑務所よりも酷いかもしれない)、刑務所との違いはいつまで入管にいなければならないのかがわからない、ということだ。
「病気その他やむを得ない事情がある」と認められると、「一時的に収容を停止し、例外的に身柄の拘束を解くための措置」「仮放免」が認められる。
しかし現実は、収容者が「仮放免」を入管に懇願しても、入管はほとんど受け入れない。
そこで収容者は、ハンガー・ストライキ(ハンスト)を行う。
ハンガー・ストライキとは、入管側が出す食事や飲み物に手をつけず、「食べない」ことで示威する行為である。
収容者の中には、30日間食べなかった人がいた。
ここまでして、やっと「仮放免」が認められる可能性があるのだ。
この、ハンストにより亡くなった方もいる。
なぜ命懸けで外出の許可を取らなければならないのだろう(何度も言うが、彼らは罪を犯した人間ではない)。
ハンストをして「仮放免」が認められたとしても、彼らは2週間しか自由に行動できない。2週間経つと、再び入管に帰ってこなければならないのだった。
また「自由」といっても、彼らは働くことはできない。国籍もないので、入管を出られたとしても何もできないのだ。
④LGBTQIA+の方へ無配慮な行為
収容者のひとり、ナオミさんはLGBTQIA+であるが、身体的に「男性」と判断され、男性専用施設に連れて来られてしまう。
異性に囲まれ、監視される生活はどれほど辛く、しんどいものなのだろう。ものすごく、恐ろしいことだと思う。私は想像することもできない。
これは、入管のさまざまな問題の中でも早急に対応するべき大きな問題だ。
⑤繰り返される自殺未遂
デニズさんは、入管内で何度も自殺未遂をしたらしい。
その様子を、クラウディオさんは「絵」に描いていた。「絵」でしか伝えることができない。(下記記事参照)
デニズさん曰く、自殺を図ったときの記憶はないらしい。
飲みたくない睡眠薬を飲ませられることがよくあったようで、睡眠薬の影響もあるかもしれない、と述べていた。
こんなにも、追い詰められている人がいる。デニズさんだけでなく多くの人が自殺を図っている。実際に自殺してしまった人もいる。
入管は、同じ日本とは思えない(思いたくない)ほど残虐で非道な場所なのだ。
「ここで死ぬくらいなら、母国で死にたかった」と話していた方がいた。
母国にいては殺されると思い、助けを求めて日本に渡ったのにも関わらず、
実態はこんなにも残酷である。「日本はおもてなしの国だなんて、よく言うよ。これがおもてなしかよ」という発言を聞いて、胸が痛かった。
罪を犯した人でも、守られるべき人権を持っている。だが、入管に収容されている人は、罪を犯してないのにも関わらず、人権を剥奪されてしまっているのだ。それも、現在進行形で起きているというのが、とんでもない。
なぜこのような事態が起きているのか?
上映後、監督に「なんでこの問題が起きているのでしょう?」と観客のひとりが聞いた。
トーマス・アッシュ監督は「なんでだと思いますか?」と聞き返した後、
「根本にあるのは、日本人が持つ外国人への差別意識だと思います」と答えた。
日本人が、外国人に対して「外の人間」という認識があるから、悪しき法律や場所が生まれてしまっているのだ。
「私はそんなこと思ってない」と言いたいけれど、心のどこかで「自分と外国人は考え方や文化は違う」という考えを持ち続けている(もちろん、ポジティブな意味で持っていたつもりだったが)。
この問題は、他人事ではなく私たちの問題として考えなければならないのだ。
現状を知った私たちが、これからできること
「もう、この問題を知らなかった頃には戻れない」。
舞台挨拶の最後に、トーマス・アッシュ監督は私たち日本人だからできること(日本人にしかできないこと)を提案してくれた。
「何かしないといけない、となったときに、それぞれできることをしたらいいと思います」とのこと。
自分ができることを、少しずつでも始めていきたい。
まずは、この映画の感想を友達や家族に話すことから始めようと思う。
そして、このnoteをここまで読み進めてくださった方へ。
まずは、ここまで読んでくださりありがとうございます。
そんなあなただからこそ、このドキュメンタリーを観ていただきたい、と心から思います。ぜひ、映画について、入管問題について話しましょう。
1人でも多くの日本人が入管の現状を知り、「おかしい」と声をあげ続けていくことが大切だ。