言語はツールに過ぎないのか?
Hi ya! What are you after?
こんな英語過去には今まで使ったこともなかったのに、今では日常的に使ったりする。
1年前の私、どう思う?と尋ねたい。
英語は正直言うとめちゃくちゃ嫌いだった。
そのせいで英語の勉強は嫌いだったし、成績もそこまで。語学を学んでいることが勉強になって言語が嫌いになり、海外も英語なしでは行けないからと無意識に海外も嫌いになっていた。
それでも進学校にいたから多少はできていた方なのもあって、TOEICは解きまくれば形式がわかるし、平均よりダントツにいい成績は取れていた。
そんなものはただの肩書きだと気付いたのはその後。。。
利便性から気付いた語学の大事さ
仮にも旅や旅行で海外にいるときは、基本的に最低限の英語ができたらいい。それはあながち間違いではない。
初めてヨーロッパに行ったときは家族といた。
英語はそれなりに話せると思っていた私も、いざ日常的に聞かなければならない英語っていうのはどうやって言えばいいのかわからなかった。
そのときはアメリカに1ヶ月半くらい滞在してた兄を尊敬した。
それでも私にも勝てる部分があった。
レストランに行くと、メニューを見ても料理の写真がない。困ったものだ。
英語、イタリア語、フランス語、チェコ語でしか書いてなくて、正直読むのにも時間はかかるし、案外英語でも食材の名前っていうのはわからない。
当時はイタリア料理の店で働いていて、オーダーの注文がイタリア語だったりして食材の名前はイタリア語で結構知っていたし、料理の想像もできた。そのときだけは、私が料理の説明をできたのでイタリア語ができてよかったと思う場面だ。
そう、緊急でなくても意外とレストランで困る思いをしたのがいい結果だったのかもしれない。
言語はツール、でも想いも8割
ワーホリに来てから言語の壁はたくさん乗り越えてきた方だと思う。
もちろんその国に行くということは、その国の言語に従わないといけないから当然のことなのだけれど。最初の頃はほうれん草の言い方もわからない、パクチーがコリアンダーのことだったなんて知らない。どっちも海外の言い表し方じゃないか。
多分というか今でも子供にはボコボコにされるくらい言語は負ける。
でも、頑張って伝えることが大事なのだと今ではわかる。確かに言語はツールの1つかもしれないけれど、伝える努力と知ろうとしてくれているという面で想いが8割を占めている。だって私たちは日本語がネイティブで英語が第二言語なのだから。
正直英語を話せる人は世界的にめちゃくちゃいる。そして日本はダントツで話せない国と思われていて、話せない=日本人と言われる。まぁ間違ってはない気がする。シャイになりすぎて焦って通じないのはわかるし。
でも英語が少しでも話せるという理由だけでとてもみんな親近感を持って接してくれる。
せっかく話しかけてくれたのに通じないのと、通じるのではかなり違う。
それは日本で海外の人と話しているときに日本語で話せたら感じることと同じ。
絶対に話せるように英語を取得するべきだとは思わないけれど、想いの割合がかなり変わってくるのではないかなと感じる。
日本人は完璧を求めてしまうし、できない人が多いのになぜか完璧を求められる。それが不安にさせてくる。
けど、海外にいると日本人の英語は数ある中の英語にすぎなくて、それぞれの国の人が自分の英語に対して自信を持ってる。
それを見たときになんて誇らしいんだろうと心から思った。
旅とことば
言葉はなくとも”笑顔”があればそれは最大の言語ツールだと思う。
全世界の言葉を覚えるなんてできないし、挨拶は覚えることはできてもそれ以上覚えようとしたら頭がパンクする。多分言語が嫌いになる。
けど、それでも英語だけは第二言語でも話せる人が多いから、片言であれど話せるようになろうと思う。
緊急時にも困らないしね。
でもそれ以上に暮らしに目を向けた旅をしたいから、言語はツールではなくて想いを伝えるために今日も私は頑張るんだ。