私という私だけの存在に一度なりたかったんだ
1996年に私はこの世に生まれた。
当時はこの子がどういう人生を描いていくのかなんて誰も知らない。
私は厳しくも自由という選択肢を与えられた人生だと思う。
必要最低限にいわゆる”普通”という道を歩んできた。
何不自由もきっとなかったし、それなりの幸せを手に入れることは簡単だったと思う。
でもある時から、一度家族という集団から抜け出して見えない壁から抜け出したくなったんだ。
理由も根拠もない。
けれど、全てをリセットして本当の自分を探したいという理由づけだけをして離れることにした。
そのためにも勉強をより一層して、大学を変えてまで1人になった。
今までに感じた温かさは目の前にはなかったけれど、”自分”という存在と”家族”という幸せな要素を見つけ出すことができた。
もちろん家族の望む形かはわからないけれど、人生の選択肢に対する喧嘩は何度もした。最後はいつも私が勝つ。これは私の人生なのだから。
1人でいると不思議と選択肢に対する想いは強くなる。
何も言わせないレベルに正当に準備し、それ以上は何も言わせない。
今でも思う。わがままな娘だと。
私は家族との距離を取ってから3年経つ。
実家には帰ることはあるけれど、昔のようにずっといることは当分していない。特に今に至っては海外にいるので電話越しでしか話すことはない。
きっとこうやって離れて、日本に帰れないからこそ家族の温かさと今しか会えないという現実を実感している。
もちろん私の人生は私の人生。
だけど、家族との物語はきっとそう長くもない。
もし何か起こっても私は帰ることができないし、当たり前はきっと簡単に崩れてしまうのだと思う。
だからこそ連絡の回数が増え、他愛のない会話が増えた。
家族というものはきっとみんなが思っていたよりも大切で、今しかない時間なのだ。
こういうのも実際に日本にいない間に家族を失ったことがあるからこそわかる部分もある。
見送ってもらった時の笑顔は日本に帰るときには存在していなかった。
誰もが最悪の想定をと思うけれど、それは突然とくる。
それでも海外という選択肢を選んだことに後悔はない。
このわがまま娘はこれからもわがままに自分の人生の波乱に向かって進んでいく。
会いたいという家族の思いはあるものの、私の人生は私。
だから会える少ない期間でしっかり家族の愛を感じ伝える。
今の人生は自分で選んだけれど、家族の存在があったからこその私。
お母さんの作ったご飯が恋しいけれど、きっと次に帰った時は私の作ったご飯を盛大に振る舞おう。
ダメだとわかっていながらも、半分記憶がなくなるまでワインを開けよう。
今日も家族が私に未来を預けたように、私は今日も元気にコーヒーをお届けしにいく。
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