正覚院(奥州三十三観音第32番札所)
奥州三十三観音第32番札所の北上山正覚院(きたかみさんしょうがくいん)は、岩手県岩手町にある天台宗の寺院です。
「御堂観音」とも呼ばれ、明治天皇が2度この地を訪れ拝礼しています。
創建は大同2(807)年、坂上田村麻呂が奥州平定の折、敵味方の戦没者の慰霊と天下泰平、五穀豊穣を祈願して一宇を建立して木彫りの十一面観音菩薩を安置し、一族の僧了慶を開山としたのに始まると伝わります。田村麻呂が安置した十一面観音菩薩は後に紛失したといいます。
また、「北上山」の山号にあるように、境内には北上川の源泉である「弓弭(ゆはず)の泉」があります。
弓弭の泉は、前九年合戦において、源頼義・義家父子の軍が飲料水に事欠き窮地に陥った際、義家が観音堂に籠って祈願したところ、霊夢があり、弓弭を持って霊夢の示した杉の木の根元を掘ると泉が湧き、勝利を収めることができたことから名付けられたといいます。
このとき、霊験に感動した義家が自らの陣中守護仏としていた千手観音像を観音堂に安置し、堂名を新通法寺正覚院と命名したと伝わります。
その後、元亀・天正年間(1570~1591)の頃、戦乱のどさくさで千手観音像が行方不明となり、いかなる経路でか豊臣秀吉の手に渡り、秀吉自ら護持仏としていました。
観音像は後に蜂須賀正勝が賜わり、蜂須賀家の家宝として代々守られてきましたが、宝永7(1710)年、蜂須賀隆長が息女春子姫の南部藩輿入れの際に、護持仏として与えたため、再び南部の地に戻りました。
以来、南部家の家宝として護持され、正覚院にはその分霊が奉安されました。この本尊は「はらみ観音」ともいわれ、子授けや安産にご利益があるそうです。
車は正覚院の向かいにある「いわてまち川の駅」の駐車場に停めます。
参道入口では目がぱっちりした目力の強い狛犬がお出迎えしてくれます。
石段を上っていくと二層の山門があります。山門の左側に寺務所があり、御朱印はこちらでいただきます。
山門の先にある本堂は、昭和40年に火災で焼失し、昭和45年に再建されたものです。
堂内には義家が寄進したという直径1mの陣中釜が伝えられています。
先に述べた弓弭の泉は本堂の裏手にあります。また、境内には北上山水神が祀られ、北上川の記念碑も建立されていました。
御朱印は奥州三十三観音の御朱印のみで、通常の御朱印帳への授与は行っていないようです。
【御詠歌】よしあしを なにといはての いわつつち まよいをてらせ くぜのちかひに
【宗派】天台宗
【本尊】千手観音菩薩
【住所】岩手県岩手郡岩手町御堂第3地割9