秀麓齋(奥州三十三観音第2番札所)
今回は、宮城県名取市にある第2番札所天苗山秀麓齋(てんみょうざんしゅうろくさい)です。
秀麓齋さんには奥州札所連合会事務所が置かれており、ここで納経帳(御朱印帳)をいただきます。本堂横にある庫裏で納経帳をいただきます。
秀麓齋は、「寺」ではなく「齋」という珍しい寺号です。
これは伊達政宗の書斎であったために名付けられたもので、秀麓寺から名を改めました。
秀麓齋は、延暦17(798)年、坂上田村麻呂が蝦夷征伐の際に、戦勝と天下泰平を祈願するため、清水寺の観世音を勧請したことに始まるとされています。
大同2(807)年には、最澄の弟子義貞を開祖として天台宗に属し、四天王寺(大阪府)の末寺となります。12世紀、奥州藤原氏隆盛の頃にその庇護を受け最も栄えますが、奥州藤原氏滅亡後、天台宗が衰退し、室町期に曹洞宗に改宗します。
本堂には運慶作と伝わる聖観世音菩薩坐像(像高50㎝)が安置されており、坂上田村麻呂が戦勝を祈願し、無事に蝦夷を平定したという故事に因み、「利勝観音」と称されています。
冒頭で、秀麓齋の寺号が伊達政宗に由来すると述べましたが、伊達家の祖尚宗が利勝観音に深く帰依し、寺の保護にあたるなど、秀麓齋は伊達家の庇護を受け、伊達家とゆかりのあるお寺でした。
それを示すものとして、本堂内陣の左右の欄間には、仙台藩祖伊達政宗により奉納された「千体仏」と呼ばれる10㎝ほどの地蔵菩薩像がたくさん並べられています。
秀麓齋は、JR名取駅あるいはJR南仙台駅からタクシーで10分程度ですが、広い駐車場があり、他の札所を周ることを考慮すると車で行くのがおすすめです。
【ご詠歌】もらさずの だいひのちかひ たのむかな にせのねがいも あまねさののり
【宗派】曹洞宗
【本尊】聖観世音菩薩(別名 利勝観音)
【所在地】宮城県名取市高舘吉田字上鹿野東88