観音寺(奥州三十三観音第12番札所)
福島県桑折町にある第12番札所大悲山観音寺(だいひさんかんのんじ)は、通称「坂町観音」と呼ばれる札所で、伊達五山のなかで現存する唯一の寺院です。
観音寺は、宝治元(1247)年に伊達家4代政依が亡父義広の菩提を弔うために建立、坂上田村麻呂が創建した観音堂の別当としました。また、政依は京都や鎌倉に倣い、観音寺のほかに東昌寺、光明寺、満勝寺、光福寺を伊達五山に定めましたが、時代の流れの中で盛衰を繰り返し、現在まで残るのは観音寺のみとなっています。
創建当初は天台宗でしたが、寛永13(1636)年に当時の住職が浄土門の出であったことからか浄土宗に改宗し、磐城の専称寺の末寺となりました。
観音堂の歴史は観音寺よりも古く、大同年間(806~809)に坂上田村麻呂による蝦夷征討の際に建立され、聖観世音菩薩を安置して戦没者の霊を弔ったことに始まると伝わります。また、弘仁年間(810~823)に弘法大師空海が羽州湯殿山参詣の折にこの地を訪れて彫ったと伝わる聖観世音菩薩が秘仏として奥の院観音堂に祀られています(33年に1度の御開帳です)。
境内前の道路から参道に入ります。駐車場は参道入口を少し過ぎたところに入口があり、観音寺本堂横の庫裏の手前まで上ったところにあります。
参道に入るとすぐに本堂の参道と観音堂の参道とに分かれます。観音堂の参道を少し進むと、仁王門があり、さらに数段進むと観音堂に着きます。
観音堂は、元禄2(1689)年に半田銀山を経営していた野村勘右衛門という人物が金百両を投じて再建したもので、四間半(8.1m)四面のお堂に精緻な彫刻が施された豪華なお堂です。
今からおよそ350年前に建てられたもののため、所々傷んでいたり、塗装も剥がれてしまっていますが、往時の繁栄を物語る素晴らしい観音堂です。
現在の観音堂の本尊は聖観世音菩薩で、像高255㎝、宝冠に化仏をつけた丈六仏の座像で、福島県指定文化財になっています。脇侍の毘沙門天と不動明王も2mほどの立像で、桑折町指定文化財です。いずれも鎌倉末期から室町初期の作と伝えられています。
御朱印は観音堂に隣接する観音寺本堂横にある庫裏でいただきました。
【ご詠歌】たのもしや いきとしいける ものごとに すくはんための ちかひときけば
【宗派】浄土宗
【本尊】聖観世音菩薩(観音寺…阿弥陀如来)
【住所】福島県伊達郡桑折町万正寺字坂町20