flannel / ネオンネウロンについてのディスクガイド
ネオンネウロン、つまり僕、木田昨年が、かつてマスターピースと呼んだ本アルバムについて、少し書く。
いや、聴き方のはなしではなく、この音楽との関わり方を木田昨年から提案する。
本作は8曲構成で、合計で24分。アルバムの基準には本来満たない。おおよそ一、二曲分、足りない。
そのぶんを補完する作品がぼくのなかに存在していて、それが木田昨年の短歌連作『銃身と花束』である。
第65回角川短歌賞予選通過31作に選ばれたこの連作は木田が21歳の冬に編んだものだ。
あらすじとしては、二人の男が深夜にテレビを見ている。かれらは友人同士である。ローカル・ニュースではかれらの自宅付近の"できごと"が報道されており、それがどのような性質のできごとなのかについては読めば容易に想像できる。少なくとも軽い事柄ではなかったようで、その場に立ちこめた気まずい空気を打ち消すようにかれらはコンビニへと出かけ、煙草を買い、灰皿の前で買ったばかりのそれを吸う。けむりの方向に気を遣いながら。(火の先端がかれらに近づく過程は精密に、短歌作品の中で描写されている。)
このようなあらすじなのだけど、この短歌連作と『flannel』を併せて聴いてもらえると、僕がいかに人と関わることを、丁寧に恐れているかが伝わるかと思う。
『flannel』の音響空間は特殊であり、低音はなぜか攻撃的だ。反してピアノやオーケストラはまろやかで美しい旋律を奏で続ける。ボーカルは奥まって埋没しかけており、同時に高い音にピッチされ、中性的な声になっている。
コンプレッサがかけられてわかりやすく聴き取れるような音楽ではまるでなく、「なにかの目的があり、こうつくられている」と感じ取ってくださるリスナーもいらっしゃるだろう。
僕は聖人君子ではない、ろくでもない、かすなのだから、人を傷つけるし、努力してもどうしても、わざとじゃなくても、傷つける。同時に、だれかに傷つけられる。あたりまえのことだろ。
それでもフランネルでつくられたハンカチをだれかに恐れながら差し出しつづけることが、ぼくの唯一できることなんだと信じて、このアルバムを必死に編んだ。
仄暗い、仄明るい、どちらともいえる温度と質感のアルバムができた。これは、僕の抱えてきたテーマの一つの達成であり、マスターピースの第一弾だとリリース後一年経った今でも言える。
木田昨年が作ったジャケットアートワークは当然に四角くて、きれいなハンカチみたいだ。
あなたへ、それが差し出されていることに気がついたなら、それを受け取るか叩き落とすかどうかはあなたが決めるといい。
↓『flannel』 / ネオンネウロン (2023.10.1 release)