2025年、お節からカレーまで。
年末年始の恒例行事が終わって安堵している。
安堵、すなわち気抜け状態はかれこれふつかに渡っているのだけど、そろそろ重い腰を、ってならない。
せめて光合成(日向ぼっこ)くらいはと危惧しつつ、適しているのはせいぜい午前十時までの太陽光らしいが、なってこった!十時まで余裕で惰眠を貪っておる。
がしかし、わたしは睡眠に至高の喜びを見出すことが出来るし、なんなら好きな言葉は「二度寝」かも知れないくらいだから、「なんて怠惰な暮らしなの」と、自責の念に囚われるのはもうやめにした。
その分、たっぷり動いたではないか。
というのは、大晦日のお節を拵える時間のせわしさよ。
NHKラジオで紅白歌合戦を流しながら刻々と仕込み。
それは年に一度の醍醐味。
別段、誰に頼まれたわけでもないが好きが講じて、それが思いがけず貴方のささやかな口福に寄与したならそんな佳いことはない。
合間に年越しそばをチャッチャと作り、じーちゃんばーちゃん含む総勢7人でズズッと啜る。
さっとゆがいた菜の花と深谷葱の焼いたもの、そして柚子の皮をのせた簡素なそばにした。天ぷらは無し。
ラジオから聞こえる懐かしい歌&今の歌。
玉置浩二の歌唱に震え、イルカ(海にいない方)の情緒にしんみりし、藤井風は極寒のNYから生中継で、椎名林檎の巻き舌は健在であった。
ILLITの「magnetic」ではyou,you,you,youと意気揚々と小躍りし、高橋真梨子の「foy,you」では日本国民の90%が嗚咽したと察す。
とにかく、黙作(黙って作ることの略)した。
一段目
紅白なます、黒豆、栗渋皮煮、ターンムディンガク、ドゥルワカシー、牡蠣と焼き葱のオイル漬け、タマン昆布〆、
二段目
干し椎茸旨煮、小芋煮、綱こんにゃく、結び昆布、瓢箪&♡人参、ソーキ煮
三段目
車海老酒蒸し、田作り、金柑蜜煮、酢蓮、胡麻牛蒡
四段目
伊達巻、スーチカ、鶏ハム柚子風味、鰤煮付け
全部を野田琺瑯のタッパーに納め、元旦にお重に詰める。
伊達巻はパプア海老と白身魚で作っていたけど、今年は「鈴廣」の「すり身パウダー」なるものを見つけて嬉々と購入。原材料は魚と塩のみ。
すり身パウダーに出汁、みりん、醤油、玉子を加え、玉子焼き器でごくごく弱火で焼く。
パウダーの塩分を考慮せず、いつもより味濃いめに仕上がってしまった。
食感はむっちり。
あけて元旦、初日の出とは無縁のゆっくりした朝。
まずは両親と一緒にお節をつまんだ後、友人たちが手土産携えやってきた。
独身女子五名ゆえ、煮物の♡(人参)をくれくれ言って可愛いったらありゃしない。わたしが甲斐性がある漢なら全員嫁にほしいくらい。(コンプラに抵触するのか?)
で、ちびちび日本酒を呑みながらなんとなく火星の話をする。
火星をうまく使いこなしたいと思うけれど、スポーツもしないし、喧嘩は論外だし、なら推し活か!?あ!発熱したから火星使ったかも!とか。
次の日は同じ村内の友人たちがご来店。再び日本酒。ストーブのうえで燗をつけた。
三日はフリーマーケット。
たくさんのひと、ひと、ひとでごった返していたけど、みんなおのおのしっくりくるものをちゃんと発見発掘していた。「赤い糸で繋がっている?」ってくらいに。
ごっつい包丁を二丁出品。意外にどちらも買ったのは小学生であった。
フリマ終了後は、残ったお節で打ち上げ。わたしは野田琺瑯を作業台に置くだけで、後は友人たちが勝手に大皿にどんどん盛り付けてくれた。飾り葉もきれいに、大船に乗った気分。
葱を焼く女、ソーキを温める女、鶏ハムと伊達巻を切る女。
出来る女たちが厨房にすくっと立ってひしめき合っている様は、市川崑の「黒い十人の女」みたいであった。
お節も底を尽いた今日、大根と豚肩肉と島豆腐のにんにく煮込み。
(なぜか無性に大根の面取りがしたくなり)そこに焼いた玄米餅を入れて食べた。
昼は自然に手羽元のルーカレー。
「お節に飽きたらカレーもね」の概念がしっかり植え付けられて久しい。
佳きいちねんでありますよう!
写真 西郡哩来