
森見登美彦先生には会えなかったが
森見登美彦先生が作家生活20周年を迎えられた。20年前なんて僕はまだ小学校に入学すらしていないし、20年経った今も学生の身分を失いぷらぷらしているが、そんなことはさておき大変メデタイことである。
先日、森見先生は新刊『シャーロック・ホームズの凱旋』を世に出された。シャーロック・ホームズは子どもの頃少し読んだことがあるが、シャーロック・ホームズはベーカー街に居を構えるコカイン中毒の探偵であるということ、ワトソン君という助手がいること以外はほとんど覚えていない。また、小学校低学年にはいささかむつかしかったので、モリアーティ教授が登場する前に読むのをやめてしまった。
ただ、ワトソン君が朝食にコーヒーでトーストを食べるシーンはやけに鮮明に覚えていて、僕が頑なに朝トーストを食べてから動き始める理由のひとつになっているから、幼い頃の読書体験というのは馬鹿にできないなと思う。
森見先生曰く、本作を読むにあたって特に予備知識は必要ない。というのも、本作は森見先生の領域展開である不思議京都を舞台とした作品であり、ホームズもスランプに陥ったダメダメ探偵という設定らしいので、「何が出てきても愉快に読んじゃる」という深い懐さえあれば楽しめるのではないかと思う。
僕が初めて読んだ森見先生の小説は『夜は短し歩けよ乙女』だった。独特の文体から覗き見える変態性、不思議なことは数あれど女の子が安心してお酒を飲み歩ける世界観、そして素敵に屈折した「先輩」に18歳の僕は完全にイカれてしまった。
それまでも小説はいくらか読んでいたが、「この人の小説をもっと読みたい」と思ったのは初めてだった。
それから森見先生の小説を片っ端から読み漁った。しかし、なるたけ楽しみを残しておきたかったので、ひとつ森見登美彦を読んだら他の小説家のをふたつ読む、というように、全作品を網羅しないように気をつけながら読んでいた。
すると、今度は万城目学が、伊坂幸太郎が、三浦しをんが気になってくる。森見登美彦を中心に、僕の小説の好みの輪がどんどん広がっていくのはとても楽しかった。
4年前の夏に『四畳半タイムマシンブルース』が刊行され、その1年後に僕は京都の大学院生になった。森見登美彦が好きすぎて京都の大学院を選ぶというほどの狂気は備えていなかったが、一切わくわくしなかったと言えば嘘になる。
しかし、理想と現実は時に食い違う。僕にとって大学院生活は苦しいものだった。アニメ映画『四畳半タイムマシンブルース』を上映する出町座を横目に通学するのはとても辛かった。大好きな森見登美彦作品を上映している趣深い劇場を目の当たりにして、自分の心がぴくりとも揺れ動かないほど疲れていることに気づいてしまうからだ。
大学院生活最後の冬、雪の降りしきる夜の京都を、「死にたいなァ」とひとりごちながら歩いていた。
しかし、どっこい生きている。
僕が生きているのなんて、所詮「もうダメかもしれない」より「生きててよかった」の数がたまたま多かっただけなので、「生きてれば良いことあるぜ」なんて言うのは憚られるのだが、「生きてれば森見登美彦の新刊が読めるぜ」くらいは言ってもいいと思う。
新刊を出された森見先生は、その後日本中の書店を飛び回りサイン本を量産しまくっているらしかった。そして、ついに大阪にも出没されたとの情報をTwitterじゃないXで知った僕は、最近甘やかしすぎてしなびたきゅうりのようになった大腿四頭筋に鞭打ち自転車を走らせた。
季節外れの豪雨に土踏まずまでびちゃびちゃにされてしまったが、天王寺の紀伊国屋書店にて無事にサイン本を手に入れることができた。
かっくいい表紙を開くと、森見先生の読みやすくもかわいらしいサインと、「森見登美彦 作家生活20周年記念」という判子があった。
森見先生には会えなかったが、いや、会っても何とお声がけすればいいか皆目見当もつかないが、僕は『シャーロック・ホームズの凱旋』を雨に濡れないよう大事に抱え、ほっこり幸せな気持ちで家路についた。
