中野吉之伴の欧州サッカー紀行《欧州選手権でドイツを巡る旅》
はじめに
ドイツで開催される欧州選手権を最大限に楽しもう。
ある時そんなことを思った。強く思った。根っからのサッカーファンはこうしたビックトーナメントがあるとどこかに拠点を作り、そこに何日も、時に数週間も連泊。日中は観光をしたり、他の試合をファンゾーンやカフェで追いかけたり、その土地ごとの食べ物や飲み物を楽しんだりして時間を過ごす。サッカー観戦するためだけではなく、同時に休暇も楽しむためのスケジュールだ。なんだかとても素敵だ。
サッカーは文化だなんて言われることがある。いや、文化ではなくて生活なんだ、という人も言う。どちらも結局は同じことなのだと思う。生活の中で習慣化されたものが文化としてカテゴライズされるのだから。
開催国では試合会場だけではなく、街のいろんなところで、各国から集まってくる《仲間たち》のためにさまざまな楽しみを提供する。パブリックビューイングはいたるところに出現するし、スポンサーがいろんなブースを出す。ボランティアのスタッフがフレンドリーに話しかけたり、ファン同士がビールをおごり合ったり。人が集まればそこで新しい出会いが生まれ、新しい友情が生まれ、新しい関係性が築かれていく。
ドイツで大きな国際大会が開かれるのは06年ワールドカップ、そして11年女子ワールドカップ以来だ。僕にとってどちらも深く心に刻まれているけど、今振り返るともっといろんな楽しみができたかなと思う時がある。
06年はドイツにきて5年目。スポーツ紙の通信員になっていたけど、大会中は取材の仕事はなかったし、そもそもライター業を仕事としてやっていこうとも思っていなかった。国際大会でどんなことができるのかなんてまだ考えもしなかった。だから嫁さんとアメリカーチェコの試合をスタジアム観戦し、あとはパブリックビューイングにいったり、家でテレビで見たり。自分の生活感の中で楽しんでいた。
11年はなでしこジャパンの快進撃があったおかげで、決勝トーナメントに入ってからは通信員として全試合取材に行けたし、劇的な優勝の場面にも立ち会えた。優勝後の記者会見で選手みんながみせた嬉しそうな笑顔が今でも忘れられない。毎日一生懸命やることをやる。現場での仕事がどういうものかようやくちょっとわかってきたころだ。ただだからか、日本代表以外の国と触れ合う機会はそうはなかった。そこまでの余裕はなかったのだろう。
そんな僕がこうした国際ビックトーナメントで初めてある程度《本格的に》取材で関われたのは16年フランス欧州選手権。ドイツ代表の試合は準決勝でイタリアに敗退するまで全部行けたし、他のビックカードもたくさん見れた。決勝戦まで残ってパリのスタジアムでポルトガルが悲願の悲願を果たす瞬間を目の当たりにした時は、この大会のすごさを肌感覚レベルで改めて感じたものだ。前半途中に負傷退場したクリスティアーノ・ロナウドの涙も、足を引きづりながらコーチングゾーンから懸命に指示を飛ばし続けた姿も、彼が彼たるゆえんを見事なばかりに表していた。
一方で20年(開催は21年)欧州選手権はコロナ禍後と多国開催だったのと今後自分はどのようなスタイルでライター業を勤しんでいくべきかを熟考していたこともあり、取材には赴かなかった。需要と供給のバランスの中で僕じゃなければできないことってなんだろう。そんなことと絶えず向き合い続けていたのがあの頃だ。
いろんなことを考え、壁を乗り越え、そしていま、こうして開催国で暮らしながら、取材活動の経験もだいぶ積み重ね、ドイツだけではなく、周辺国を中心に様々な国のサッカー事情にも親しみを持つようになったことで、今回は試合だけではなく、スタジアムでの事象だけではなく、ファンの楽しみ方やこれまでの歴史を振り返ったりしながら、もっともっと広く深いところでこの大会を味わいながら、もっともっと充実した取材活動をしようと思ったのだ。
サッカーを通じて、いろんなことと触れあって、いろんなことを感じて、いろんな出会いが生まれる。
そんな旅に僕は出ることにした。
2016年欧州選手権以降、UEFA管轄の大会で取材活動をしていなかったこともあり、僕のUEFAにおけるメディアアカウントは一時凍結状態になっていた。メディア担当と何度もやり取りをしながら取材申請を済ませ、無事トーナメントパスの申請がおりた僕が最初に取材で向かった先がベルリン。
大会における取材活動を許可されるという意味でトーナメントパスを手にしたわけだけど、試合取材の申請はまた別だ。スタジアムはそれぞれヨーロッパ選手権用にメディアエリアも拡張してはいるが、だからと言ってキャパシティには限界がある。ドイツ中、ヨーロッパ中、世界中からメディアが集うので、見たい試合すべての試合で申請が下りるわけではない。
グループリーグ3試合申請が通った僕にとっての初陣が、このベルリンでのオーストリアとポーランド戦というわけだ。
ポーランドの国境からドイツのベルリンへは電車で1時間ばかりの距離。大きな国なので首都ワルシャワからだと575㎞。さすがに電車や車で5時間強はかかるが、ドイツのほかの街へ移動するよりはアクセスしやすい。そうした地理的なメリットもあってだろう。ベルリンにはいろんなところでポーランドサポーターが大挙していた。
ベルリンは様々な歴史が色濃く残る街だ。隣国ポーランド、オーストリアとの関係性も単純なものではない。戦争の悲劇を今に伝える博物館やモニュメントは数多くある。
それこそ試合が開催されるオリンピアスタジアムだってそうだ。ここはスポーツ施設としてカテゴライズされていない。歴史的建造物として存在しているのだ。第二次世界大戦時にアドルフ・ヒトラーが演説を起こった場所であり、その演説台は今も残されている。
歴史的建造物だから、例えば試合後ゴールをそのままにしておいてはいけない。たとえ翌日また試合が開催されるとしても、すべて元あった状態に戻すことが義務づけられている。歴史とは過去の事実というだけではなく、いまに様々な教訓を残す大事な戒めであり、絆であり、人のあり方へのメッセージなのだ。
ベルリンを歩いていると各国ファンにすぐ出くわす。ただ訪れるみんながみんな試合のチケットを持っているわけではない。それでも現地に集い、仲間とともに、チームへエールを送るために足を運ぶファンも多い。ファンゾーンが準備されているブランデンブルク門では数多くのポーランドファンが楽しそうに歌っていた。コールリーダーを中心に「ポルシュカ」「ポルシュカ」と叫ぶ。
そんな彼らのそばを対戦相手のオーストリアサポーターが笑顔で通る。「サビッツァー」のユニフォームを着た男性が、ポーランドグループの記念写真を撮り、がっちり握手して別れていく。サッカーの祭典とはよく言われたものだ。試合会場となるオリンピアスタジアム前では両国のサポーターが応援合戦を繰り返しては、互いに拍手を送り返すシーンが至る所にあった。
そういえばドイツメディアではスコットランドサポーターがドイツ人サッカーファンを探しているというニュースがあった。
ケルンで開催されたスイス戦を観戦したスコットランドファンがトイレにスマホを忘れてしまったという。気づいて戻った時にはすでにスマホはない。数万人の人が行ききする中、無事に見つかるとは思いもせず、失意に暮れるしかない。そう思っていた。
だがそうではなかった。実はドイツのファングループがトイレに忘れられたスマホを見つけてそれを警察に届けていたのだ。喜び、驚いて、無事に自分のスマホを手にすることができたスコットランドファンが写真をチェックしてみると、拾ってくれたドイツ人ファングループがセルフィを取ってにっこり。お茶目ないたずらだ。あるいは「気をつけてね」「見つかってよかったね」のメッセージかもしれない。
感激したスコットランドファンがお礼を言いたいとSNSで「このファンはどなた?」とアップ。瞬く間に拡散されている。このご時世だ。すぐに見つかるかもしれない。きっと素敵な友情が生まれることだろう。サッカーがつなぐ縁が心の垣根を取り払って、互いの世界が重なり合う。そうしたサイドストーリーがあるから、サッカーは僕らの心に様々な彩を加えてくれる。
今大会ではグループリーグ3試合取材、チケット購入で1試合観戦、決勝トーナメントに入ってからは計3試合現地でその熱を感じることができた。スタジアム以外にもファンゾーンで観戦したり、スポーツバーの大型テレビで飲みながら見たり、地元の村祭りにできた大型スクリーンで一喜一憂したりと満喫。そして今もその熱さは僕の心を温め続けている。
各地を巡るなかで起こった様々な珍事、人との出会い、過去への回顧、そして肌で感じ続けたサッカーというスポーツのすばらしさを、思うがままにつづってみたい。読んだみなさんに、『サッカーを巡る旅に出たい!』と思ってもらえたら、うれしい限りだ。
さあ、心震わすサッカーの祭典へ、あなたも飛び込んでみよう。
開幕戦 ベッケンバウアーを偲ぶ
僕はドイツ国内で行われるドイツ代表戦取材にほぼ毎回足を運んでいる。育成指導者をしているので、練習や試合、ほかの都合との兼ね合いでどうしても行けなかった試合も数回はあるし、取材した試合が原稿にならないことがある。日本メディアがドイツだけではなく、欧州サッカーそのものにさほどの興味を示さなくなっているのは知っているけど、惑わされることなく、もう10年以上ずっと現地へ足を運んで取材をし続けている。そんな日本人ジャーナリストは僕しかいない。
そんな僕だけどグループリーグのドイツ代表戦は3試合とも申請OKがもらえなかった。本大会だけではなく、前哨戦となるギリシャ代表戦もだめだった。それほどドイツ国内におけるこの欧州選手権に対する注目度は高いのだろう。普段なら取材に来ないであろう小さな地域紙や女性誌、いろんな情報を取り扱っているオンラインポータルなんかも記者を現場へ送っている。
開幕戦は嫁さんと二人でテレビ観戦をした。長男・次男はそれぞれお泊りにいき、それぞれで試合を楽しんでいる。せっかくなのでとっておいた白ワインを開けて、それに合うおつまみをテーブルに並べてのんびり飲みながら試合を楽しんだ。冷えた白ワインに新鮮な白アスパラガスが抜群に合う。
試合前のセレモニーが始まる。オリンピックやワールドカップと同様、いろんなショーが繰り広げられる。そして優勝カップをもった元ドイツ代表で欧州選手権優勝経験者のユルゲン・クリンスマンとベルナルド・ディーツとともに、一人の女性がピッチに現れた。
今年1月7日に78歳で死去したフランツ・ベッケンバウアーの未亡人ハイディさんだった。
ドイツ国内だけではなく、欧州中、そして世界中のサッカーファンにとってベッケンバウアーはレジェンドだ。彼が残した功績は計り知れないほど大きい。ミュンヘンスタジアムの大型ビジョンではベッケンバウアーのビデオが流され、そして「我々は、あなたのことを消して忘れません」というアナウンサーの声が響いた。功績をたたえ、別れを偲ぶファンの拍手が空へと向けられる。どんな思いがハイディさんの胸にあふれていたのだろう。欧州選手権優勝ポットを運び、そしてグラウンドから去り際にそっと手を口に添えてキスを天へと送った。そのしぐさがとても自然で、二人の間にあった深い愛情を感じさせるものがあった。
空の上ではきっとベッケンバウアーが柔らかな笑顔でキスを返していたことだろう。
カウントダウンからキックオフが行われると、ドイツが一気にゲームの主導権を握っていく。前半に怒涛の攻撃で3得点をあげ、終わってみると5-1の快勝。お祭り騒ぎのスタジアムには今後への大きな期待があふれていたことだろう。
大会が始まった。
ベルリン中がウキウキ
僕の初陣は6月21日(金)だ。
開催地ベルリンまではフライブルクから特急電車ICEで7時間。18時からのゲームなので朝一で出たら間に合う。でもこの日僕は夜行電車でベルリン入りすることにした。
朝早くに現地について、試合まで一日時間を有効活用することができる。それに大会初戦なのでまずトーナメントパスを受け取らなければならない。ファンゾーンの様子もチェックしたいし、街の様子を感じたい。日常生活や指導者としての活動などいろいろやるべきことがある中で時間を有効活用できる取材プランがとても重要になる。
それにホテル泊は可能な限り避けたい。シンプルに予算の問題だ。取材経費の節約はこちらにとっても死活問題、というと大げさに聞こえるかもしれないけど、実際に常に頭を悩ますテーマ。
早割で28ユーロ(4700円)でチケットは購入できた。とはいえ横になれる寝台車両ではなく、普通の座席が並ぶ車両での移動なので、身体がつかれたり、眠さが勝って仕事も手につかないようだったら意味がない。節約できても集中力が保てなくてクオリティを下げることになったらまさに本末転倒だ。
そのあたりは車内での休み方や寝方、翌日の行動の仕方をうまく調整することで、テンションも集中力も下げることなく、むしろテンションをあげて取り組むことはかなりできていると思っている。時々無理をすることもあるけど、そうした時は後日じっくり休むようにしてコントロールする。
取材活動へそうした関わり方をするようになったのはある一人のベテラン日本人カメラマンから深い影響を受けている。欧州で長年活動されていた方で、取材現場でよく顔を合わしてはサッカー談義をさせてもらった。嬉しいことに僕の話を面白がってくれ、試合前後にカフェをしたり、飲みに連れて行ってもらったりもした。ファインダーでとらえているカメラマンの話はとても興味深い。外からでは気づけないことがたくさんあるし、本質に迫る鋭い視点も多い。僕も彼との時間が好きだった。
カメラマンの方はライターの何倍もの機材をもって試合会場へ訪れるわけだが、そんな彼が夜の試合後ふつうに夜行電車で次の目的地に移動したり、家に帰ったりするのを目の当たりにしていた。別に大変そうなそぶりを全く見せず、豪快に笑って機材を抱えて電車に乗り込む姿がとにかくかっこよかった。
すごい体力だな、いつも元気だなって僕は思っていたけど、当時の通信員として交通費と宿泊費は会社持ちだったので、そこまで深く考えていなかったのかもしれない。でもフリーになってから予算のやりくりの難しさと向き合ったときに、彼のすごさがより感じられたのだ。
そして思った。予算が厳しいからしょうがなくではなく、予算が少ないなかでもこの仕事を愛して楽しめるようにポジティブな心持ちで活動しよう、と。
ベルリンについた時、僕の気持ちはワクワクでいっぱいだった。
躍動したオーストリア
現在ブンデスリーガ2部のヘルタ・ベルリンがホームとして試合をするベルリンのオリンピアスタジアム。昨季はチャンピオンズリーグに出場したウニオン・ベルリンが可能な限り多くのファンに試合に来てもらいたいという理由で、ここを利用したりもした。
そんなブンデスリーガともチャンピオンズリーグとも違う雰囲気があった。どちらのファンも熱気でいっぱい。オーストリアとポーランドが対決。どちらも初戦を落としているのでこの試合にかける意気込みはマックス。でもこの試合を心から楽しもうという様子が感じられる。
ピッチでは激しい競り合いが続く。ファーストアタックはオーストリアだ。ポーランドは国民的英雄のロベルト・レバンドフスキが負傷から復帰もベンチスタート。守備は堅いのだが、揺さぶりには弱い。
ラルフ・ラングニック監督率いるオーストリアはアグレッシブにプレスをかけ続ける通称《RBスタイル》が持ち味。ザルツブルクやライプツィヒといったレッドブル傘下のクラブが特徴としているスタイルとして有名だ。
押してダメならさらに押し込んでいけ、がその真骨頂。矢印のベクトルは常に前へと向けられ続ける。プレスに行くときもそうだ。相手の前で止まらない。飛び込み、相手の身体とボールごと押しこみ、それに連動して2の矢3の矢が放たれる。
8分にスローインの流れからオーストリアが先制に成功。左SBフィリップ・ムヴェネがクレバーなクロスをニアポストに送ると、フリーで飛び込んだCBゲルノト・トラウナーがヘディングでズドン。
ラングニックは冷静に手をたたきながら、次の展開に頭を回転させていく。
オーストリアで興味深いのはボランチにフロリアン・グリリッチを起用しているところだろう。それまでレギュラーでRBスタイルの申し子だったザヴェル・シュラーガーが負傷離脱で今大会を欠場している。ラングニック監督は同じタイプの選手を起用するのではなく、ゲームインテリジェンスに優れたグリリッチを加えることで攻撃にバリエーションとスピードの変化が生まれることを期待している。
ダブルボランチではニコラス・ザイヴァルトがフィルターとして走り回り、グリリッチは変化を担当。加えて、前がかりになるプレスで生まれるスペースをカバーできれば最高だ。ホッフェンハイムでは3バックセンターでプレーしているから適正は間違いなくある。
ただこの日は守備時のポジショニングと対応が中途半端。ラングニック監督もたびたびコーチングゾーンに飛び出しては指示を飛ばすが、4バック前のスペースをうまく埋めることができない。自分達の特徴を出せないまま、ただオープンな立ち位置に立っているだけだときつい。
ハーフタイムにラングニック監督はグリリッチを下げてコンラード・ライマーをボランチに、クリストフ・バウムガルトナーをトップ下に。右サイドにはパトリック・ヴィマーを途中出場させた。バイエルンで活躍するライマーとザイヴァルトでセカンドボールを回収し、中盤のスペースを埋めていく。不安定さはだいぶ整理された。
この修正が見事にはまり、オーストリアは3-1でポーランドに勝利。決勝トーナメント進出の可能性を高めることができた。当たり前だけど修正力って大事だ。試合終了と同時に見せたラングニック監督のでっかいガッツポーズがこの勝利の重要さを物語っていた。
悪しきを駄目だということの大切さ
好勝負に水を差す行為に気持ちのいいものはない。
オーストリア対ポーランドの試合の終盤、オーストリアファンブロックに物議をかもしだすバナーが出現した。
「ディフェンド・ヨーロッパ」
極右思想の団体がスローガンで使っているものだ。簡単にまとめると、移民、難民を排除し、母国民への支援に集中すべきだという思想になる。
移民や難民を無条件に受け入れ続けたらそれぞれの国の社会は混乱する。しかるべき対処とルール、整理と未来がそこにはなければならない。だからといって排斥して自分達させよくなればそれで問題ないという思想は時代にふさわしくないし、世界情勢を悪化させてしまう。
オーストリアサッカー協会は「厳しいセキュリティチャックがありながらもちこまれたことを深刻に受け止めている。代表チームとサッカー協会は我々社会のあらゆる分野で寛容、多様性、受け入れを支持している」と即座に対応し、声明を発表。
バナーは2分間ほど掲げられ、発見した関係者の迅速な対応でセキュリティスタッフが駆けつけ、すぐに外された。公式のオーストリア代表ファングループによるものではなく、数人の不特定な人物が行ったものと推定されている。
「人物特定に動いている。こうした過激なメッセージは代表チームのファンブロックにあってはならないものだ。オーストリアサッカー協会はずっと極右思想と対極に位置している」とサッカー協会。
オーストリア代表監督ラングニックもこの件に言及していた。
「ドイツとオーストリアでは大きな心配を抱かせる政治思想のうねりがある。両国における歴史を顧みればわかることだ。もしわれわれが歴史から学ぶことがあったら、極右やファシズムの危険性ではないか」
おりしもここはベルリンだ。あらゆる歴史のうねりが生じた場所だ。平穏とは当たり前にあるものでも、理想論でもない。常に隣り合わせにあるものだからこそ、いま一度僕らは、歴史から人の業や過ちを正しく学ぶべきなのだ。
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