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おみくじのルーツを探しに:エピソード6

こんにちは、吉むすびです。前回や安子が若くして亡くなったことに衝撃を受けていた良介と海ですが、今回はどうなるでしょう?

「二人ともどうしたの?大丈夫?」ミクが二人を心配するように、話しかけた。二人は我に返り、「うん、大丈夫。何でもないよ」と何か気が晴れないまま、ミクの言葉に耳を傾けた。

「この時代は良源上人様が七十歳を過ぎたある日の夜よ」ミクが話しているとき、町の家々から人々の苦しむ声が聞こえてきた。「どうしたのかしら」海は少し怖くなってきた。

 良源上人が七十歳を過ぎて、実は町には疫病が流行っていた。まるでコロナが流行っていた時のように。そして多くの民が死に、苦しんでいる者もまだまだ多かった。その病気は天然痘のほか、赤痢、麻疹、そのほか流行性感冒であった、と同時に当時はこれらの病気は悪霊である鬼が起こしているという噂が立っていた。

 「この疫病の民たちの苦しみはいかほどであろうか。どうにか、苦しみを和らげてあげたい」良源上人は一人、延暦寺のお堂に座っていた時のことだった。

 「邪魔してはいけないからこの上から、見るわよ」海と良介、ミクの三人はお堂の天井裏から見ていた。

 その日は一日天気が悪く、夜になっても雨が止まず反対に強く降り出してきた。「ゴロゴロッー、ドッカーン」
 「キャッ!」海は雷の音に驚き、思わず良介に抱きついてしまった。良介も突然の雷に驚いたが、好きな海に抱きつかれて悪い気分ではなかった。

 しかし良源上人にはそんな雷の事は全く頭になく、人々の苦しみをいかに取り除くかという事で頭がいっぱいだった。

 そしてそこへ気持ちの悪い妖怪のような者が良源上人の前に忽然と現れた。良介はまた海の叫びそうな口を押えた。雷の次は妖怪。こんなに恐い気持ちになったのは、海はもとより、良介も初めてだった

 「お前は何者だ、何をしに来た?」良源上人はその妖怪と対峙した。
 「私は疫病をつかさどる、百鬼夜行のかしらでございます。この度お上人様が厄をお受けになることとなりました故、参りました。お上人様にこの疫病を享けて頂くのは、恐れ多いのですが、どうぞお願い申し上げます」鬼のかしらは鬼らしからぬ言葉で答えた。

 「うむ。私も今、民らの苦しみはいかほどであろうかと思案しておったところだ」そして、何やら呪文を唱えて、左の小指を出した。するとその指から、疫病が入り、全身にみるみるうちに痛みが走り、ひどい熱が出てきた。良源上人は普段から修行をしており、大抵の事ならば大丈夫であるが、今回ばかりは、さすがの良源上人も「はっ、はっ。おーっ!これはたまらない」と体がまるで地獄にでもいるようだった。

しかし良源上人は、自分の体より、この耐え難い疫病の苦しみを民が受けていることを嘆きながら、また呪文を唱え、指を弾いた。すると鬼のかしらは、直ちに良源上人の体から弾き出され、這いながら逃げて行った。

 この様子を良介、海そしてミクは雷や雨の音など忘れ見守っていた。
 やっと落ち着いた良源上人は「私がこの指だけを侵されただけで、これほど苦しむならば、民はどれだけの苦しみを受けているのだろうか。なお更早く何とかせねばならぬな」と心に何か決めたようであった。

 そして良源上人は夜叉の格好をして鏡に映し、それを紙に写した。その夜叉の絵を弟子の僧に版画で刷らせ、町の民に配った。それを民の家の玄関に貼ると疫病はようやく治まったのでした。
(このお札は今でも難から逃れるために家に貼っている人も多くあります。そしてこれが由縁で角大師ともいわれるようになったのです。

このように良源上人は民の事を思いやり、延暦寺ではお堂を立て直したり、規律を作ったりし、延暦寺中興の祖と呼ばれるようになりました。

 そして九八五年の一月三日に亡くなり、天皇からは慈恵大師という名を贈られ、更に元三大師と呼ばれるようになりました。またの呼び名を慈恵大師とも言います。

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いかがでしたか?この逸話が本当かどうか分かりませんが、元三大師が民を思いやっていたことは本当なのでしょう。それゆえ角大師のお札もそのころからあるならば千年以上あることになりますよね。 
 
この角大師のお札、今ネットでも買え、うちにも一つあります。また東京都調布市の深大寺には2メートル近くもある、元三大師像があり、東京都指定有形文化財になっています。

題字、絵:瀬良田尚美

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