中年危機に贈る|人生三度目の「自立」
こんにちは。橘吉次です。
今日は真面目に「自立」について書いちゃいましょーかねぇ…。
「自立」この言葉には苦い思い出がある。
思い起こせば30数年前、22歳の吉次は「自立」という言葉に憧れてキャリアウーマン人生を選んだのでした…。
・働いて収入を得ること
・一人で生活すること
・誰にも頼らず独りで生きること
これが「自立」だと思っていた「あぁ勘違い人生」を歩いて来たなぁ…。
還暦を前にしてやっと「自立」の本当の意味が理解できたので、書いてみましたよー!
「あぁ勘違い」は雇用機会均等法に始まった!
1986年に施行された男女雇用機会均等法。
雇用における男女の不平等をなくしましょー!というお題目でスタートした「女性の社会進出」キャンペーンは、新しい時代の到来を女性たちに告げたのだった!
それまでは、男性だけに許されていた職業に女性でもなれる!
女だって社会に出て男性と肩を並べて競い合うことができる!
男女平等だ―!バンザーイ!
それまで「女だから」という理由で拒絶されていた扉が開いたし、「女だから」という理由で不当に低賃金だったことが改善されたのだから、あの法律制定には意味があったと思うよ。
でもね…
・しなやかな感性で誰にも頼らず生きるカッコイイ女性になろう!
・自立はいい女の必須条件
・大人の女は自分で人生を切り開く!
なーんてスローガンに踊らされて「自立」の意味もわからんままに、
独り暮らししなきゃ!
自分の意見を主張しなきゃ!
いい女にならなきゃ!
と、必死こいて、丸井のカードローンでブランドスーツを買いまくる「あぁ勘違い女」を量産したことも事実なのだ…。
わたしもその一人でしたよー!
そうなのよ。
20代のあの頃…「自立」とは、
・親元を離れて一人暮らしをすることが経済的自立
・人の意見に耳を貸さず自分の主張を押し通すことが精神的自立
だと思っていた…。
お恥ずかしい限りであるが、それが成長であると勘違いをしていたんだよねー。
女性の自立フォローの風が吹きまくっていたあの時代は、あぁ勘違い女を諌める人もなく、あっちゅー間に『丸井ローンに追われる鼻高々のゴーマン娘』が出来上がった。
まぁそれでも、失恋したり仕事で失敗したり、予算に苦しんだり、上司や仲間に助けてもらったりしながら、段々収まるところに収まって…。
「スンマセン…私、自立なんてしておりませんでしたー」と素直に認めたのは30代になってからだったかな…。
そこで初めて、
誰にも頼らず独りで頑張ることは「自立」じゃない、「孤立」だわ…と気付き、「自立」って人に頼られて、人に助けてもらって、かろーじて立っている自分を客観的に発見することなのねー…。
と、自分で「自立」を定義することができたのでした。
はじめて自分の脚で立つ!
トップの写真は58年前の私である。
まーっカワイイ!
手を叩いてニッコリ喜んでいるのは、初めて自分の脚で立つことができたから…だそうです(当然ですが記憶にございません)
それまではハイハイで地上20㎝程度から世界を見ていたのに、自立したトタンに視野は広がり、世界がドワーっと開けた!
その喜びはいかほどであったか…
(当然ですが憶えておりません)
これは人類の夜明けを再現している。
はじめて直立歩行を達成した人類は、その解放感に魂が震えるほど喜び、そしてその不安定さに、明日に向かって歩くことに恐怖に似た不安を抱いたことだろう。
我が二本の脚で立つ。
何かにつかまることをせず、自分の骨と筋肉だけの力で立つ!
まさに自立である。
そう、この日から私たち人間は自分の人生を2本の脚で歩いて行く運命を受け入れ、その数年後に生まれる自我によって「さてどの道を歩こうか?」という選択を迫られることになるのだ。
人は誰でも、生れて一年ぐらいで人生最初の「自立」を体験し、社会にでて人様世間様にもまれて人生二度目の「自立」を経験する。
そして、ミドルエイジになって人生三度目の「自立」を果たさねばならないんだねー。
えっ?三度目の「自立」って何かって?
はいはい、この記事はそれをご説明申し上げるために書いているのだよー!
自我を超越したい!って欲求なのか?
下図は「マズローの人間欲求の5段階」に一つ逆三角をプラスしたものである。ご存じの方は多かろうと思うが、一応説明申し上げる。
人間は生まれた時から根源的な欲求を達成しつつ大人になっていく。それがピラミッドの底部から上部に向かっての成長段階。
まず「食べたい・眠りたい・排泄したい」という生理的欲求を満たし、「危険なく安全に生活したい」という欲求を満たす。
そして「仲間が欲しい」という社会的欲求に進み、「仲間や社会に認められたい」承認欲求に苦しみながら、「なりたい自分」になるべく努力をして、いわゆる「自己実現」をはたしていく。
わかりやすい…まさにそのとーりである。
ところがだ!
ミドルエイジになると、この成長のUターン現象が生じてしまう。
定年退職や養育義務終了などによって「承認欲求」が満たされなくなっちまうからなのね。
「はい、あなたはもう必要ありませんよー」という無言のお役御免宣言を受け取ることによって、人生がガタガタを崩れていく…。
「私は人様から必要とされていない人間となってしまった…」
この認識が人から自信を奪い、生きる活力を奪い、人生の意味を奪っていく…。はい、典型的なミドルエイジクライシスですねー。
多くのミドルエイジが陥る人生ターニングポイントでの落とし穴なんだけど、乗り越える方法は、モチロンある。
それが、頂点に描かれた逆三角形の「自我超越欲求」なのだよ!
へっ?自我?
自我超越?
そんな欲求ございませんが…
多くの人はそう思われるであろう。
はじめて己の脚で立ちあがった日から、数年経たずして生まれてきた「自我」
もう50数年以上、私が「これが自分」だと思ってきた「自我」だものね。それを超越したーい!なんて欲求は自然に湧き上がるものではござんせんよね。
そうなんですよ。
これに至るには、ちょっと智慧が必要なんでござんすよ。
人生三度目の「自立」
マズローの欲求段階の下段は「生物」としての欲求だけど、社会的欲求・承認欲求は、これ「自我」の欲求なんだよね。
居場所が欲しい!認めて欲しい!理解して欲しい!
大事にして欲しい!愛して欲しい!必要だと言って欲しい!
もーっホントに厄介な「自我」の欲求なんですよ。
この自我の欲求が概ね満たされている人って、幸せなんですよね。心に余裕がある。
でも、満たされていない人は渇望感に苦しむことになるのよ。
どーして認めてくれないの?なんでわかってくれないの?
どーして愛してくれないの?なんで私を必要だと思ってくれないよー!
その昔「くれない族」という言葉が流行ったが(昭和すぎてスマナイ…)、他者に自我欲求を満たして欲しくて仕方がない「クレクレ星人」の一族のことなんだよね。
賢明な読者ならば、既におわかりであろう。
そうなのだよ。
「人生第三の自立」とは、この自我欲求を自分で満たすことなのですよ。
自分で自分を承認する
自分で自分を愛する
自分で自分の居場所を創る
他人や社会に承認を求めるのではなく自分に求めるーこれが本物の「自立」ってやつなんですよねー。
「自我の欲求」を自分で満たすことが、自我を超越することなんだと、57歳で気づいた吉次でございます。
自我を超越することは、ちっぽけな自我を超えてもっと大きな「自分」に出逢うことでもある。
自我を超越すると、どーなるのか?
めっちゃ幸せになります。
他人からどう思われようと、社会が自分をどう扱おうと、全く揺らがない幸せを手に入れることができます。
だって、完全自給自足してますからね。
ミドルエイジは是非この境地に到達して欲しい!
っていうか、到達せねば、ずーっと渇望感に苦しむ人生後半を生きることになってしまうよ。
自我欲求を自分で満たすことができる人って、どっしりと落ち着いています。そーゆー人のところには仕事も人も集まってくるもの。
人間社会ってそーゆー風に、既に出来ているものですよ!
最後までお読みいただきありがとうございました!
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