沖縄ー遺伝子に眠る太古の神々ー
こんにちは。橘吉次です。
生まれて初めて沖縄に行ってまいりました。その記事なのですが…。
ただの旅行記じゃありません!
これは吉次の<生まれ直し体験記>
そう私、生まれ直しちまったのですよー
ニライカナイ=常世は魂の故郷
沖縄の海を見て「スゴイ!綺麗!美しー」と思う人は多かろうが、涙がでるような「懐かしさ」を感じる人ってどれぐらいいるのだろう?
「ああ、ここだ…」
「そう、この場所だ…」
という、深ーい納得感や郷愁の感覚
脳みそで感じる「なつかしー」ではなくて、もう心の奥から、身体の全細胞から湧き上がるような「ナツカシサ」だ。
そうだ!この感覚を歌ったそんな詩があったぞ!
子供の頃、意味もわからず歌っていた「椰子の実」
こんな素晴らしい歌詞だったのか…
この詩にある「異郷」とは現世のことだ。
いつか帰ろう!と思う「国」とは、あちらの世界のことだ。
あちらの世界は、いのちの故郷。
ナツカシイ…魂の故郷なのだよ…
ニライカナイ
この言葉は聞いたことがあるだろう。
ニライカナイとは、沖縄あたりで信仰された「他界」の名前なんだけど、理想郷・死者の国・いのちの源というニュアンスもある概念なんよ。
この海の向こうに、いのちや魂の故郷があって、
死ぬと魂はニライカナイに帰り、新しい生命はニライカナイからやってくる!
だから沖縄は風葬文化だったし(魂は風にのってニライカナイに往く)、お墓はニライカナイへの通路である「母の子宮」を象徴しているものがあるのだよ。
でもこの他界観は、沖縄限定じゃないんだよねー。
ニライカナイは神道でいうところの「常世」なのである。
常世って知ってる?
最近、常世という言葉の認知度は高まっている!
なぜなら、新海誠監督が「すずめの戸締まり」で常世の概念を取り上げたからである。
主人公すずめが、常世とこの世の境い目である扉を必死で閉じる物語なのだが、非常に日本古来の思想を反映している映画で、超おススメなのである。
(きちじの観賞感想は下記からどうぞー)
常世は、地下にあるとも言われているが、海の向こうにある!という思想もあるのだよ。
例えば、誰もが知っている伊勢神宮。
天照大御神は伊勢という土地にたどり着く前に、鎮まる場所が定まらず各地を転々と移動していらっしゃる。
それを元伊勢っていうんだけど、
やっと伊勢の土地にたどり着いた時にこうおっしゃった!
「この土地いい!サイコー!だって常世からの風と波がバンバンくるじゃん!ここに決めた―!」
正確には天照大御神がおっしゃったのではなくて、倭姫命に託宣されたのだけど…。
とにかく、海の向こうの常世を感じて鎮まられたのだ。
海の向こうに「この世」とは異なる世界がある。
それはユートピア。
安らかな眠りの場所でもあり、いのちの源泉、魂の故郷でもある。
この思想は怖ろしく古い。
おそらく(おそらくだよ)、アフリカをでた原人類が長い年月をかけて、南方経由で日本列島にやってきた時以来の思想だろう。
南の島から黒潮にのって海を渡って来た原日本人。
海洋民族であった時代の古ーい記憶が、僕たち日本人のDNAに組み込まれているのだと思う。
吉次は、神道や民俗学を学んだから、ニライカナイや常世の概念は知っていた。
でも知っていただけだった…
沖縄の渚に立った時、DNAに眠るこの記憶がドバアァーっと溢れ出したのだ!
だって!
あの空、あの雲、あの海、あの風!
植物も、砂も、島影も、波音も、ぜぇーんぶ、私だったのだ!
神々に抱かれて生きる
ワンネスとか、悟りとか覚醒とか言葉は色々あるけれど…
あの世界との一体感を吉次なりに言葉にすれば「神々に抱かれる」である。
ここでいう「神」とは、神社の本殿御扉の奥に鎮まる神ではない。
もっとダイナミックな原始の神である。
自然の波動そのもの。
いのちのエネルギーそのものの「神」
原神道の「神」である。
この原始の神々に包まれて、私のDNAに眠っていた神々が目覚めたんよ。
響きあう!
私という身体を通して、神々が交流する!
もうサイコー!である。
「いのちは全てつながっています」と教えられて、
「そりゃーそーだろー」と思っていても、電車で隣に座った見知らぬ人とつながっているとは思えないよね…。
でもあの海でなら、実感できた。
隣にいる知人も、遠くに見える親子連れも、みな神々に抱かれて生きる同じ種のいのちだ!と無条件に腑に落ちた。
これが神の御恵なんだよなー
ダラダラと涙を流しながら忘我状態だった、吉次が感じたことは
「あっ、魂がぬけてくー…」だった。
「イッテシマウ…」
どこにイクのか?は、わからないが、言葉にするとそうなる。
あー、これがエクスタシー(恍惚)ってやつなんだねー
生まれ直しちまった、翌日
沖縄の美しい海で、魂が抜ける体験をしてしまった私は、どこか脳の回路が変わってしまったのだろう。
翌日、ひとりフラフラ、大した目的もなく歩いてただけなのに、
まあ、たどり着くたどり着く!
どこにたどり着くって「行きたいナァ」とボンヤリイメージしていた場所にたどり着くのよ…
一般的には、
<行きたい場所がある(自覚)→行き方を調べる→そこへ行く>
っとなるでしょうが、
脳の回路がおかしくなった吉次の場合、
<行きたいかもなぁ(イメージ)→フラフラ歩く→たどり着く>
という感じだった…。
これがもの凄ーく、不思議で面白くて愉しかった!
翌日の出来事、そして帰りの飛行機で起こった不思議な体験は次回に回します。
ホントに…あの飛行機での体験は何だったのだろう…
まあ、次回をお楽しみに…
最後までお読みいただきありがとうございました。
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