雪の白
雪の白さを、改めて実感している。
雪が「これが白だよ」と、教えてくれているように。
だいたい毎日、お米の精米をする。
僕のお米は、白米、五分搗き、玄米と3種類から選べる。
五分搗きは人気があるが、”これが五分搗き”と決めるのは僕のさじ加減だ。
今の精米器は優秀なので、設定を五分搗きにセットすれば、機械が勝手にやってくれる。
しかし、そこは僕にとって重要なところなので、機械任せにはできない。
僕が機械の設定を調整して、”今日の五分搗き”を決めるのだ。
ポイントは、色と香りと触感。
お米の精米も、探究しようと思えば、奥行きは深い。
たまに僕のお米が、五分搗きにしては白すぎるというアドバイスをいただくことがある。
その都度、自信を持って、これが五分だという理由をお相手にお伝えする。
その時も、僕の中では、また一個課題をいただいた気持ちになり、精米について探究する気持ちになり、それがまた非常に愉しいことだと嬉しくなる。
昨日から山形は本格的な雪が降っている。
一晩にして一気に冬の銀世界だ。
外を見れば、一面の白。
しかも降り始めにしては、なんとも美しい雪である。
そんな日の精米は、僕に確信と疑念の両方を与えてくれる。
「ちゃんと五分搗き米らしい色をしているじゃあないか。」と。
「いや待てよ。果たして、この色はいつも感じている色か?今日の雪の白がこの色を際立たせてそう見えているのではないか?」と。
しかし僕に迷いはない。
全ては、自分の感性に自分が向けていることだからだ。
自分の感性を絶対的に信じているし、絶対的に疑ってもいる。
この矛盾こそが、僕の余白であり、白なのだ。
とどのつまり、やることは一つである。
「決める」こと。
今日の最高の五分搗きを、僕が決める。
それだけのことだ。
雪は白い。冬は清潔感があって好きだ。