人生は不条理
実際のところ、人生は一見不条理に満ちている。
美人と不美人では世の中での扱いが違うとか、親がお金持ちや貧乏という格差が最初からあって、そのせいで生活やなれる職業が限られた、とか。一生懸命勉強しても受験に失敗したり、就職に失敗したとか。正義感から友達をかばったら自分がいじめの対象になって、学校に行けなくなってしまったとか。平穏無事な家族のように見えても、「女の子だから、男の子だから、長男だから、長女だから」といった言葉で傷ついたり、自己否定するようになっていたり、とか。
「どうして?」「なんで私がこんな目に合わなくちゃいけないの?」と世を恨んだ人は多いだろう。「〇〇〇であったら幸せなのに、神様がいるならなぜこの不公平な世の中をそのままにしているんだろうか?」
では、不公平とか不平等を解消するために、無理やり平等な社会を考えてみる。同じ家に住み、同じ洋服を着て、同じご飯を食べる。人より頑張っても、年齢で配給されるお金が決まってたり。これってどこか崩壊した国の制度みたい。
年金だって、たくさん納めても少し納めても、受け取る額が同じだったらみんな嫌だ。今も親世代と子供世代で貰える額が違うだろうって言われて、皆納める気持ちが失せている。
平等を追求しすぎたらむしろ苦しくなる。だけど、自由にやると現代社会のように格差が生まれて、不満が蔓延する。結局、この世には全部につじつまが合う平等や公平ってないんだな、「人生は不条理なものなのだ」そう考えたら腑に落ちた。
人生が不条理でいつも不平等や矛盾を抱えているのが世の常だと納得すると、自分の人生が思い通りにいかない時、ほかの人もそうなんだと思えるから、人を妬んだり羨んだり、だれかのせいにすることがくだらなく思えてくる。皆が矛盾を抱えて生きているんだから、一人だけ他人のせいにしていることができなくなる。
「人生に期待するな」「最初から最悪を考えていれば傷つくことはない」とか、そんな誤魔化しみたいな考え方こそ無駄。スタート地点はまちまちだけど、それぞれが今ある中でどう生きるか、どういう心持で生きるか、ってことが大切なんだと、人生を折り返してみてつくづく思う。そして、人生がこの世限りではないと考えるともっと奥行きのある考え方ができる。この世限りだと報われない努力が無駄に思えるけど、あの世にまで人生が続いていると考えるなら、無駄なものは何一つないのだと、勇気づけられる。
神様のご利益をこの世だけで求めるから恨みたくなるんだけど、神様は実はもっとながーーーい目で物事を見ていることに気付く。