718セッションズの恒例元旦パーティーのために作った1分動画について
「2021年を意識して明るくポジティブで楽しく着飾ったりもして、、、」と、このパーティーのプロモーターであるベニーからの要望も転送されていた。果たして、このノートに載せたその動画を観たアナタへ、そのような印象を与えることができたたろうか。
コロナ第三波が押し寄せる中、注意勧告してもクリスマスに向けて人々が集うだろうことを想定したニューヨーク市長であるデブラジオは、その祝日後14日間のステイホームを呼びかけた。そんな真っ只中、近所の郵便局かスーパーマーケットへ行く以外、基本、着替えもしない日々を続行するワタシ。
そんな今の我が日常に「おめかし」というリアリティーはもうとっくに存在しなかった。逆にヤラセで着るのが正直なところかなり自分自身にウソっぽかった。なのでその要望がとても滑稽に映っていた。そういえば、久しぶりに訪れたマンハッタンのローワーイーストサイドにあるQさんの店で髪の毛もバッサリ切ってもらっていた。
コロナの予防接種は始まっているものの、用意したハズの数が全く足りていないのがアメリカの現状。新たなウイルスも広がっているので、今使われているワクチンが果たして効くのか、近所のダイナーのおじさんは副作用のことも心配していた。
そして718のパーティーのDJであるダニー・Kが訪れた様々な国のダンスの現場も壊滅的な打撃を受けていると推測した。その各フロアへ惜しげもなく足を運ぶダンサーという私の知っているお客さんのひとりひとりを想った。追い込まれている人達も少なくないとも察している。
そんな複雑な想いでたどり着いたいわゆる『明るいビデオ』への自分なりの解決策を見出した。それは、あえて無理矢理ゲンキなライブ動画ではなく、718ファミリーの愛おしい顔ぶれを振り返りながら、このコロナ禍に新年を迎えて、与えられた命を祝うこと。
そこで、ダニーのパーティーを追っかけ各地でこの6年の間に撮影したグループ写真を一秒単位で編集した。やはり気持ち的に、このパーティーだけに向けた内容だけではおさめきれなかったのだ。
普段は撮影側なのだが、パリピ友人がたまに私を撮影してくれた写真は逆に含めた。撮られた側の立場から改めてみつめ返せば、何気なくその場で互いに交換しあったあたたかいエネルギーをその写真からも感じ取ることができるからだ。やはり他人との肉体的かつ心理的距離をコロナ前は意識しなくてもよかったパーティーというソーシャル・ギャザリングは大きい要因。ソーシャル・ディスタンシングが『ニュー・ノーマル』となって以降、「ダンスフロア」が私にとって更なる「聖域性」を帯びてきている。
「懐かしさベース」の「生きる力」からもう一歩踏み出した「生き抜く力」を、あえて音楽軸でいま語る必要がある気がしてならないでいる。
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