な日的記 10/23
歯ブラシを変えてみた。
日記的なエッセイ「な日的記」です。
そしてこのエッセイはランダムに選んだ5つの単語を、
奥までしっかり磨いていく企画。
使用しているサイトはこちら↓
そして今回の単語はこちら、
贖宥状
最近はめっきり免罪符が少なくなっている。「知らなかった」「お金がない」「誰かを助けるため」「誰も見ていないから」「誰にも迷惑かけていないから」なんていっても、目の肥えた衆愚の前では、「ダメなものはダメ」の一点張りの一つ覚え。
みんな心の余裕がなくなっているんだ。狭くなっていく心の隙間にはネットのアルコールしか入ってゆかない。かつて愚衆のアルコールだった文学や音楽も、安易な批判や攻撃といった麻薬の前では高尚な芸術作品に成り下がる。
誰か贖宥状をくれないか、だれも傷つけない言動の、人から聞いた作り話の、微睡の中で見た楽しい夢の、肉眼で見えないほころびを、ないものにする贖宥状を。
キャンパス
私のキャンパスライフはキャンパスで行われなかった。ほとんどの時間を自宅で過ごし、先輩の名前も後輩の名前もわからない。
でも1回しかキャンパスライフを過ごしてないから、これがどれほど素晴らしいことなのか、どれほどむなしいことなのかは知ることもない。
それでも私が送ったものがほかの人たちと比べて異なったものであるということは知っている。それでも彼らが以前までの人々と手を取って社会を築き上げている。なんとおぞましい。なんと恐ろしい。私の根はそこに生えていないのに。
ボストン糖蜜災害
紅茶と糖蜜が香る港、ボストン。
まさか糖蜜が洪水となって街を襲うことがあるなんて、だれが想像したのだろうか。人間は水しか液体を知らないから、糖蜜の中で泳ぐ方法を知らない。それに流体力学はいまだに未解決な部分が多く、蜂蜜の中でどのようにすれば泳げるかということを本気で調べている段階らしい。
競泳選手とのハンデマッチで、どこまで水の粘性を高めればイーブンに持っていけるだろうか。意外とカルピスの原液くらいでイーブンになったりして、どちらにせよ消費される片栗粉の量は計り知れない。
ライバル
自分自身が一番のライバルと言いながら、その実他人と比べたくないだけである。
他人と比べる時には、なぜその人の現状があるかを考える。環境がいいのか、努力量が違うのか、才能があるのか、ズルをしているのか、それらのバックグラウンドをみると、私と比べられないことがわかる。
だからそもそも私以外の人間をライバルにしようという試みが間違えているんだ。昨日の自分は今日の自分と同じ環境で、同じ努力量で同じ才能を持って、同じようにするしている。違うのは今日の自分があるか無いか、なら今日の自分が、勝って当然。
本屋
読書家になる一番の近道は部屋を本屋にすること、本屋には自分が読みたい本、読んだ本、興味のない本がまぜこぜになっている。それでも本がたくさんあって、居心地がいい。
家の本棚もそうしてみる。
読みたい本を買って本棚に入れる。読む時期は今じゃなくていい。明日でも来年でもいい。そして読んだ本は本棚に残しておく。
興味ない本でも本屋で興味ないと思ったということは、何か惹かれるものがあったに違いない。タイトルなのか、聞いたことがあった本なのか、安かったから?色が鮮やかだったから?なんでもいい、買ってみる、一か月たつ、半年たつ、一年たって二年たつ頃には読みたい本に変わってる。
それを何回も繰り返す。読書家になる。私はまだなっていない。
おまけ
買っちゃった。
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