「八大人覚」 (6)
【仏の道:遠望・近見】 (87)
「八大人覚」 (6)
【禅定を集するについて】
六つには「修禅定」。法に住して乱れず、
名づけて「禅定」と曰 ふ。
第六は修禅定(坐禅を修めること)である。寂静の法に住して乱れないことを 禅定という。
仏の言はく、
「汝等比丘、若し心を摂むれば、
心 則ち定に在り。 心定に在るが故に、
能く世間消滅の法相を知る。
是の故に汝等、常に当に精進して、
諸の定を修習すべし。
【語義注釈】
◉ 世間消滅の法相:この世間の止まることのない有り様
仏の仰るには、「比丘たちよ、もし坐禅によって心が治まれば、心は禅定にあるのである。そして心が禅定にあるから、よく世間の消滅の法の有り様を知ることが出来るのである。だからお前たちよ、常に精進してあらゆる禅定を習い修めなさい。
若し定を得る者は、心則ち散ぜず。
譬へば水を惜しむ家の、
善く提塘を治むるが如し。
行者も亦た爾り。
智慧の水の為の故 に、
善く禅定を修して、
漏失せざらしむ。
是れを名づけて定と為す。」
もし禅定を得れば心は散乱しない。例えば水を大切にする家が、よく堤防を管理するようなものである。修行者もまたその通りである。智慧の水を守るために、よく禅定を修めて失わないようにするのである。これを修禅定という。」
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