「八大人覚」(5)
【仏の道:遠望・近見】 (86)
「八大人覚」(5)
【不忘念について】
五つには「不忘念」)。
亦た「守正念」と名づく。
法を守っ て失はざるを、
名づけて「正念」と為す。
亦た「不忘念」と名づく。
第五は不忘念(仏の教えを心に念じて忘れないこと)である。又は守正念とも
いう。仏の教えを守って失わないことを正念といい、また不忘念という。
仏の言はく、
「汝等比丘、善知識を求め、
善護助を求む るは、
不忘念に如くは無し。
若し不忘念ある者は、諸の煩悩の 賊、
則ち入ること能はず。是の故に汝等、
常に当に念を摂めて心に在くべし。
仏(釈尊)の仰るには、
「比丘(僧)たちよ、善き師を求め、善き保護者を求めるのなら、不忘念(仏の教えを心に念じて忘れないこと)に勝るものは無い。もし不忘念があれば、あらゆる煩悩の賊は心に入ることが出来ないのである。だからお前たちは、常に不忘念を心に念じなさい。
若し念を失する者は、
則ち諸の功徳を失す。
若し念力堅強 なれば、
五欲の賊の中に入ると雖も、
為に害せられず。
譬へば 鎧を著て陣に入れば、
則ち畏るる所無きが如し。
是れを 「不忘念」と名づく。」
もしこの念を失えば、多くの功徳を失うであろう。しかし、もしこの念の力が堅固 であれば、五欲(眼 耳 鼻 舌 身に由来する欲)の賊の中に入っても害を受けるこ とは無い。例えば鎧を着て戦場に入れば、畏れる敵が無いようなものである。これ を不忘念という。」
【語義註解】
不忘念:仏教用語の「念」は、単なる「思い」や「想い」ではなく、、サンスクリットの「スムリティ」を漢訳した仏語で、心所(心のはたらき)を意味し、かつて経験したことを明らかに記憶して忘れないこと。五根の一つとしての「念根」とも言う。気付いたことを「思い止める力」を総合的に表現した言葉。従って、「念」には既に「不忘」が内包されている。