私はたまに会社をサボります
私はたまに会社をサボる。とはいっても有給休暇だ。それは、有給取得の2週間前に「休務届」を提出する。そりゃ、サボるって言わないよ、という方もいると思いますが…。私の勤める会社は、働き方改革を推進しているこのご時世にもかかわらず、有給取得への「見えないハードル」はそんなに低くはない。
有給はいわば、サラリーマンの特権である。休みの理由は、「ちょっと私用で」である。上司は「おうっ」と言うだけである。一応人間関係はできている。ほかの社員がどう思っているかは知らない。
私は妻と2人暮らしである。妻もフルタイムで働いており子供はいない。いわゆる、古い言葉だが、DINKSだ。妻には内緒である。出勤時は通常通りにスーツを着て「出勤」。行先は会社ではないということだ。じゃあ、どこへ行くの?と思われるだろう。特に決めてはいないが、大抵は自分の故郷である中部地方か北関東、東北などである。私は新幹線に乗ることが、なんとも優越感に浸れるひと時である。朝の出勤時は、サラリーマンが出張や商談等で忙しく新幹線に乗車する風景を見るが、私は「エセ出張」だ。新聞を広げ、時間を惜しむようにパソコンに向かっているサラリーマンを横目に、ペットボトルのお茶をすすりながらのひと時である。席は窓側を好む。もし、窓側が開いていなければ、1本遅らすことにしているほどだ。
私の生まれ故郷は岐阜県である。なので、よく東海道新幹線には乗車していた。親戚は岐阜県や愛知県に多かったが、すでに祖母や祖父は他界し、叔父叔母さえもほとんどいない。しかし、幼少期から中学生時代ころまでは、夏休みなど、長期の休みになると家族で故郷に帰り、何をすることでもないが、退屈な時間を過ごす習慣があった。田舎では虫取りや田んぼでザリガニをとったり、近くの中学校の校庭で走り回ったりしていたが、何日もするとそれも飽きてきて、特に何もしないことが、そして暇なことが、当時は退屈であったが、今思うと懐かしい。特に母の実家に泊まった。お盆になると叔父叔母いとこが集まり盛大な宴会をした。しかし、今は皆、いなくなってしまった。私は、当時を思い出したいのか、最近は自分のルーツを訪ねるという名目で、「田舎」に帰っている。
新幹線を降りて在来線に乗り換え、昔、叔母や祖母などと歩いた道を一人で歩く。たまには、違う道をさまよい歩きながら、当時の親戚もこの道を歩いたのかな、などと妄想にふけりながらふらふらと歩く。思い出を噛みしめる感覚で足を踏みしめながら歩く。
適当に昼食を済ませ、再び新幹線で自宅に向かう。車中へは、ビールとつまみを買っていく。席は窓側。見慣れた車窓に思いを馳せつつ、「現実」に帰る。
こんなサボり方を1年に数回行っている。一つの病気なのか。病気でもいい。これが私のライフワークのひと時なのだから。
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