お金がある人が、お金を貸すのは、わからないわけでもないですが、 お金のない人がお金を貸すことは、意外とよくあることです。 一般的に、お金のない人ほど、お金を貸すことに対する心理的なハードルが低いと言われています。これは、お金に関するリスクと報酬のバランスが、貸す側にとって不利な状況になるためです。 例えば、お金がない人が他人にお金を貸す場合、その借り手が返済する可能性が低くなることがあります。 そのため、貸す側は返済しなかった場合に自分が被る損失を考える必要があります。
今日は、積み立てをすることの有効性について考えてみます。 積み立ての貯蓄は、 将来の不安や生活の変化に備えるためにとても大切なことです。 将来に備えた貯蓄をしておくことで、 お金の心配が減り、 精神的な余裕が生まれますよね。 また、貯蓄をすることで、 将来の夢や目標を実現するための資金を準備することもできます。 さらに、積み立ての貯蓄って、投資のスタートとしても非常に手軽かつ有効です。 例えば、 積立投資信託を活用することで、長期的な資産形成ができます。
有給休暇を取った。 特に用事もなく、○○日休みますと、上司に休務届を提出した。 有給休暇の届けをした後は、その日がちょっと待ち遠しくなる。あそこへ行こう、あれをしようと考えながら、その日が来る。 そしてその日が来た。 私は妻と2人暮らし。妻は普通の会社員。 妻を見送り、朝飯のかたずけと掃除をサッとして、 さあ、 何をしようか。 スマホをいじるにも限界がある。 だからと言って、読みかけの本を読み始めるような気分ではない。 どこかへ出かけようか。 これから電車か自転車に乗っ
みなさんは、全く車の通っていない道路にある小さな横断歩道の信号は必ず守っていますか。私は、どんなに車が通っていなくても、どんなに小さな横断歩道でも、信号は守ることにしています。(法律上は当然なのですが。)以前は、車が通っていないときに、信号が青になるまで待っている人を見つつ、「なんで渡らないんだ」などと思っていた時期がありました。でも、今は違います。その理由は、万一事故になった場合は保険が出ないから。みんなが渡らないから。などということではないのです。私は、信号が赤の時は、待
高校受験や大学受験の現代文の読解の文章は、程良い長さで、内容も興味深いものが多かったことを思い出す。 いつ呼んだかはわからないが、こんな内容の文章があった。 「本を読み終えて、もう一度読もうと思っているが、人は読まずに死んでしまう。また、読もう読もうと思って本棚にしまっているうちに、生涯読まぬままとなってしまう。さらには、文庫本を読もうと思ってリュックに忍ばせた本も、結局、自宅に帰るまで開けないまま持ってきてしまう…」みたいな内容だったと思う。 この世に生きてきて、読ん
お金って、何だろう。生まれて今まで、お金は私の周りで行き来していた。私を育てるために、親はお金を払って、服を着させ、食べ物を与え、私の欲求を満たせてもらってきた。学校に通い、自分が就職しても、それは生活のため、または自分のやりたい仕事のために、お金を稼いで、自分の生活のためにお金を使ってきた。さらに、自宅の購入のために、借金までして住居を購入した。その借金の返済と、給料としてのお金を受け取り、そして、自分の生活のため、欲求のために、そのお金を使ってきている。 人は一人で
どうして花はどれも個性的できれいなのだろう。私は写真撮影が趣味である。特に花の写真はよく撮ります。近くの公園や、道端、野草さえも、よく見るととても繊細で美しい。 以前、テレビを見ていた時に偶然聞いた話だ。花がなぜ美しいかというと、「虫に好かれるため」だそうだ。どういうことかというと、植物は繁殖するために蜂や蝶に興味を引かせて、中にある蜜を吸わせて受粉させなければならないからだという。植物は移動できない。自分で受粉できないから、その場でより魅力的な形になっているのだ。なる
私はたまに会社をサボる。とはいっても有給休暇だ。それは、有給取得の2週間前に「休務届」を提出する。そりゃ、サボるって言わないよ、という方もいると思いますが…。私の勤める会社は、働き方改革を推進しているこのご時世にもかかわらず、有給取得への「見えないハードル」はそんなに低くはない。 有給はいわば、サラリーマンの特権である。休みの理由は、「ちょっと私用で」である。上司は「おうっ」と言うだけである。一応人間関係はできている。ほかの社員がどう思っているかは知らない。 私は妻
50歳も半ばになると、人から褒められることが少なくなります。自分の中ではよくできたと思った行動や判断も、周りからは「当たり前」とでも思われているようです。一方、失敗をしたときには、ひどく怒られるかというと、(時と場合によってですが)軽い忠告などですまされることが多くなります。最近は、仕事上のミスや事故が起こっても、直接の原因である人を攻撃せずに、仕事のプロセスやマニュアルを改定することで、次に起こさないようにするための体制を構築するようになってきているようです。 私が小
それは、3年前の11月、福岡出張の夜、数人で小さな居酒屋に入ったときの出来事。客は隣の3人連れのグループのみであった。座敷に私たちと隣のグループの各々の小宴会である。小一時間して先方も帰ってしまったようではあるが、こちらはすぐそばのビジネスホテルに泊まるため、看板まで飲んでいた。さて、帰ろうと自分の靴を履こうとすると、見覚えのない靴が一つ。 周りを探すも私の靴だけがないのだ。先に帰ったグループの一人が間違えて履いていってしまったのか。困惑していると店の女性が、常連客から