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言葉にしてしまうと、いつも嘘になってしまう。

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言葉にしてしまうと、いつも嘘になってしまう。

私は変化に気づく力があるらしい。髪の毛を切ったら、すぐに気づくことができる。しかし、私は事実以外は言えない。例えば「髪切ったんだね〜」くらいしか言えない。「似合っているね〜」「素敵だね〜」とか言えない。それは、似合ってないから言えないのではなく、嘘偽りなく話そうと思うと、30分下さいってなる。

言葉って、自分が表現したい100%を表現してくれない。80%言い表せても、20%は嘘になる。私は、言葉にするとするほど、嘘が重なっていく。そういうもんなんだろう。だから、精一杯、毎日、言葉にしていく。

きっと、聞こえてくる言葉も、正しくて正しくない。本当で本当でない。望んでいることで望んでいない。そんな言葉に、私はどう聴いたらいいのだろうか。

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そんなことを思いながら、事務所を出ようとする。予想通りの雨だ。傘はもちろん忘れた。朝は晴れていたのに…。そんな時は、運勢占いを味方につける作戦にはしる。私はアナウンサーになった気持ちでこう唱える。「今日は、傘を持たずに雨に打たれると吉。心の汚れが洗われます。」そう言って、外へ飛び出す。

そんな大嘘をついて、児童ホームに到着する。しばらくすると、「ただいまー」との声が、いつもの児童ホームのはじまりはじまりである。

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児童ホームでは、毎日おやつタイムがある。

おやつは、不平等に配ることもある。同じ数のおやつを置いているが、おやつの種類を変えたりする。すると、子どもたちで話し合いが生まれる。「私、これ苦手だから、こっちがいいなぁ」「僕、これ好き、これがいい」「なんでもいいよー、先にとって〜」とコミュニケーションが生まれる。自分の好きを確認したり、相手を知ったり、折り合ったり、ありがとうが生まれたりする。

どうやったら、「ありがとう」が生まれるのか。それは、決めないことだと。私が大学生の頃、大変お世話になった方から教えて頂いた。

私が、おやつを全部決めていたら、自己理解も他者理解もコミュニケーションも感謝も生まれなかった。だから、うちの児童ホームでは、あんまり担当を決めない。担当を決めると、してくれることが「当たり前に」なってしまうからだ。

児童ホームの仕事として、「ありがとうをどう生むのか」は一つの大きな仕事だと思う。

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そんなおやつの時だ。今日は、フルーチェを作って、おやつにすることにした。食べ盛りの方は、3杯目、4杯目とおかわりにくる勢いだ。

けど、まだ一回もおかわりにきていない方がいた。その方をAさんと呼ぶことにする。

私はAさんに質問をした。「まだ、Aさんはおかわりしてないよね。おかわりするかい?」

Aさんは少し考えて、ニコっとして、こう答えた。「うん!!!!」

私は、丁寧に量を確認する。「これくらい?」「もう少し減らす?」
そのあと、Aさんは、もぐもぐ食べる。

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しかし、そんな時だった。
Aさんは、下を向いて私に言った。「キタバさん…残していい?」

私はびっくりした。あんなに嬉しそうにしてたのに。

そして、気づいた。あのとき、Aさんは気を遣ったんじゃないかと。私がおかわりを質問したとき、少しお腹いっぱいであることを抑えて、私の期待に応えようとしてくれたんじゃないかって。

私は悔いた。あのときに、Aさんに「ほんまに?おかわりしなくてもいいんやで〜」と、確認すればよかったなぁと。

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私は、子どもと対等な関係を結ぶことはできない。なぜなら、私は決定権が多いからだ。だから、いくらフラットに関ろうとしても、その子の本当の声をかき消してしまうことがある。

だから、丁寧に、注意深く、聞く必要がある。そんなことを学ばせてもらった1日だった。

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言葉はいつも嘘をつく。色んな影響で、本当の声じゃない時がある。だから、先に生まれた1人の人間として、「それって、本当?」「それって、あなたの声?」と確認できる人でありたい。

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