任せてみる。
任せてみる。
16時過ぎ、子どもが遊びに没頭してるなか、「リンリン〜♪」とベルがなる、静かタイムがやってきた。静かタイムとは、仕事(主に宿題)をする時間だ。
以前の私は、「宿題どうする?」「何分後にする?」「どれくらいする?」「静かにしようか」「5分経ったよ」と一人一人に声をかけていた。「できるだけ宿題を終わらして欲しい」という一心で声をかけていた。
でも、それって「あの子たちは、私の声かけがないとできない存在」「任せられない存在」という見方で、私は見ていたんだなぁと反省する。私は、みんなが宿題をするように監視してて、きっと子どもも監視されている居心地の悪さを感じさせたのではないかと思う。
最近は、こう言うようにした。
「静かタイム始まったけど、声かけた方がいい?」
「それとも、任せて欲しい?」
子どもは一瞬固まる。
多分、あんまり聞かれたことがなかったんだと思う。自分がどのタイミングで宿題をするのか、自分自身で決めていいんだぁと思ったんじゃないかな。
子どもの反応として
「10分後に声かけてほしい」
「自分のタイミングで宿題したい」
「任せられたい」
という答えが返ってくる。その意見を尊重することにする。
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この声かけは、私自身、勇気のいる声かけだった。
子どもを信じきれていない自分が、しかと浮き彫りになった。
ギリギリまで宿題をしない子もいて、私は焦って声をかけてしまいそうになる。でも、堪えてみる。すると、ギリギリになって宿題をし、異様な集中力で終えることがある。
もちろん、終わらない時もある。
そんなときは、「次どうしよっか」ときいてみる。その子と一緒に考えてみる。もし次の日、少しでも変化したら、一緒に喜ぼう。失敗は、そんなチャンスなのかもしれない。
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ある日のこと、2列になって、公園に向かっていた。ある子が「今、何時?」ときいてきたので、私は「ナメクジ」といつものように答えた。「キタバさん、嘘つきー!!泥棒の始まりー」とみんなに怒られた。
するとある子がこんなことを言った。
「キタバさんは、優しいから、絶対に聞いてくれるから、僕はキタバさんが嘘ついても泥棒にならんと思う」と不意に言われた。
今までの葛藤とか、迷いとか、不安があるなか、勝手ながらだけど、何か実を結んだんじゃないかって思えた。子どもに救われた言葉だった。
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任せてみる。
難しいし、今もできているか分からない、不安で仕方がない。でも、少しでも、あの子たちが「信じられている」「信頼されている」「任せてもらえる」「自分のことを尊重してくれている」と感じるのであれば、宿題ができてなくて、怒られたとしても、責任を持って一緒に謝ろうと思う。
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