悪口は、なぜよくないのか。

悪口は、なぜよくないのか。

「ケアのあふれる地域社会とは何か」を探求する中で、その対概念ともいえるものに関心があります。その中でも「ハラスメントとは何か?」について考えてみたいと思いました。

ハラスメントを調べると、「嫌がらせ」という意味があり、人間の尊厳を侵害する行為の総称とされています。その中で、本屋を回っている際に和泉悠さんの『悪口ってなんだろう』という本が目に留まりました。ハラスメントの一つとして「悪口」も含まれるのではないかと考え、この本を手に取ることにしました。

「悪口はなぜダメなのか?」って難しい。

悪口がなぜダメなのかについては、現場での経験からも疑問に思っていました。例えば、相手がメンタル的に強く、「大丈夫、大丈夫」と気にしない態度を取る人もいます。また、悪口なのか、それとも単なるじゃれ合いの言葉なのか、明確に注意すべきかどうかの判断は、関わる人で意見が分かれるところです。しかし、悪口はときに「毒」のように後からじわじわと効いてくることもあります。そのため、悪口の線引きをどうすべきか、ずっと考えていました。
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悪口の本質とは?

この本を読んで気づいたことは、悪口がダメな理由は単に「誰かが傷つくから」ではなく、「比較によって誰かを劣った存在として印象づける」という点にあるということです。たとえ言われた本人が傷ついていないように見えても、悪口という行為自体が、誰かと比較し「劣った存在だ」と位置づけてしまうものであるならば、それは悪口として認識していく必要があります。

この考え方は、私にとって大きな発見でした。悪口には必ず比較が伴い、誰かを下に(または上に)見てしまうという構造がある。そして、それは民主主義社会において許容してはいけない行為だということです。
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悪口と民主主義

私たちはフランス革命以降の人権思想を受け継ぎ、すべての人が平等であるという価値観のもとに生きています。つまり、人間には本来「上下」や「ランク」はなく、存在そのものが等しく尊さ持っています。しかし、悪口はこの価値観を揺るがし、人と人との間に序列を作り出してしまいます。だからこそ、民主主義社会では悪口は許容されてはいけないのだろう、と思っています。
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具体的なケースごとに、「悪口」を考える

最後に、ここで面白いのは「どこからどこまでが悪口なのか?」という具体的な事例を挙げている点です。具体的に、「このケースは悪口に当たるのか?」と考えることは、子どもと関わる人や、人間関係・職場の悩みを抱える人にとって参考になると思います。

たとえば、
• ただ口が悪いだけの人は、そもそも悪口を言っているのか?
• けんかのように、お互いに悪口を言い合う状況はどうなのか?
• あだ名で、遊ぶのは?
• 自虐は悪口に含まれるのか?
• 悪口と非難は、どう違うのか?

こうしたケースを一つひとつ考えていく章があります。哲学的・言語学的な視点で考えていくのが、とても面白いと感じました。
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今回行き着いたところとして、悪口がダメな根源的な理由は、「人間の間に存在のランキングをつけ、序列を生み出してしまうこと」にあるのだと理解しました。そして、悪口の基準は、「相手を傷つけているか」ではなく、「言葉の内容そのもの」を見る大切さを学びました。

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