ちがいがしげき。
昨日は雨だった。私が外を出ることを狙っていたかのようなタイミングで、横殴りの雨だった。いや、もはやアッパーぐらいの雨だった。朝の雨は、足元もおぼつかないひよっこみたいな雨だったのに、夜の雨は、思春期真っ只中みたいな雨だった、よ。
そんな昨日の雨は嘘のよう。太陽がおはようをしている。草木に滴る雫は、ピカピカと嬉しそうにしている。
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お昼は、ふと、たこ焼きを食べることにした。
最近知ったのだが、宇宙には、たこ焼きがあるらしい。もちろん、ほんまにたこ焼きがあるわけではない。「たこやき」という小惑星があるらしい。名前の決め方は、事前に公募された名前から子どもたちの拍手の大きさを基準として決定したらしい。
なんて素敵なんだ。「私、あの星に名前つけたんだ〜」なんてことを言える。夢のあることをされていて、素敵だなぁと思う。私も、もし星を見つけたら、児童ホームのみんなと名前をつけたいと思う。
そんなことを考えながらたこ焼きを頬張っていたら、「ただいま〜」と、みんなが帰ってきた。いつもの児童ホームのはじまりはじまりである。
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児童ホームとは、自然と異年齢の空間になっている。ウチの児童ホームは、今年度で3年目を迎える。やっと1年生2年生3年生が通うようになった。そして、異年齢が3つも揃うと、違い過ぎて、違うことが普通になる。そんな現象が起きたりする。
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しかしながら、「違い」は、しばしば面倒だ。よく衝突が起きる、違い過ぎて、相手を理解できないときもある。
急に大きな声を出す方がいる。その方をAさんと呼ぶことにする。最初はみんなもなぜ大きな声を出すのか理解できず、きつく注意したり、怒ったりしていた。私もどうしたらいいか分からず、注意する以外になかった。「違い」のまま共に生きる難しさと私は葛藤していた。
でも、ある日、児童ホーム中に寝てしまった人を起こそうと作戦会議をしていた。すると、ある方がこう言った。「あ!大きな声を出すことが得意なAさんとやろう!!」となって、みんなで大きな声を出した。「おーきーてぇぇー」と、世界のニワトリが震撼させた。
違うって面倒だけど、時間がかかるけど、ある日、共に生きててよかった、そう思える日が来るんじゃないかって思えた日だった。
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本日は『ちがいはしげき』
側転が大好きな方がいる。もはや移動手段は、側転になっているくらいだ。その方をBさんと呼ぶことにする。Bさんは、しっかりしていて、児童ホームの前で売っている野菜を買いに来たお客さんに、丁寧にご挨拶する。
そんなしっかり者のBさんは、ルールにもきっちりしている。ルールを破った人には、手を腰に当てて、「もう!!」とプンプンする。そして、Aさんは数々のルールを堂々と正面突破で破っていく。その姿を見るBさんは、Aさんに対して、プンプンという表現では収まりきれないプンプンを感じている。もうブンブンだ。
そうAさんとBさんは、よく衝突している。水と油だ。
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ある日、Bさんが華麗に側転をしていた。そんなときに、Aさんがそれを見て、「僕もやってみたい」と言った。
あぁ、これぞ異年齢の良さだと思った。学びには、ビジョンが必要だ。「こんな人になりたい!!」って心から願った瞬間、それはいつか違う形であっても叶う。そして、ビジョンはいつもいつも、関係性の中から生まれる。
きっと私が側転をずっとしてても、Aさんは心に火を灯すことはできなかっただろう。それは、遠すぎる存在だからだ。そのビジョンが途方にないように見えてしまいやる気が起きにくい。でも、身近な関係性では、ビジョンが生まれやすい。なぜなら、「ちょっと頑張れば、できるかもしれない」という期待が抱きやすいからだ。
そして、Aさんは、Bさんに教えてもらっていた。「こう?」「いや、こうだよ」「こんな感じ?」「もー、違うってばー」とのやりとりを私は温かく見ていた。
水と油は混ざらないかもしれない。でも、隣にいることはできるんじゃないかって、そんなことを考えながら。
そんな日だった。おしまい。
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