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会社員だったから得られた5つのこと

ベンチャーや外資系企業ならともかく、
老舗の日本企業に属することは何のメリットがあるんだろう?
昭和思考から抜け出せない40・50代が、
若者からやる気を奪ってばかり。
こんな会社にこれ以上居たところで、
自分のためになるのだろか?

そんなコトをふと考えるときがある会社員生活。
給与も休みも安定してるけど、
精神的な安定が続くわけではないよね。
でも雇用条件に不満が無いほど、
同じ会社に長く居るほど、
そう簡単には辞められない。

私は昨年末で会社員を辞めたけど、
何度も迷って悩んで、その都度
「辞めるのはもう少し先」と判断してたら25年も経ってた。
その間、沢山のことを得たと思っているので、
忘れないうちに整理しておきます。


1.個人では得られない信用、そして選択肢の多さ

誰もが名前を知っている企業に所属していることは、
親が安心し喜ぶことはもちろん、
印籠を懐に隠し持っている感じに似ている。
「初めまして」の名刺交換では、
いつも臆する事なく相手に提示できた。

大きな会議の場、
自分だけ明らかに若造でも、
■■社を代表して出席しているきみどり、として扱ってもらえた。
個人では知り合えない人に出会い、
個人では絶対にできない仕事にたくさん巡り会えた。

大切な人との食事会の店へは、
「■■社のきみどりです」と言っておけば、
フロアの末席に案内されることは無かった。

クレジットカードを作るときも、
大きな買い物をするときも、
難なく信用が得られた。

賃貸ではなく、●●年の住宅ローン契約をして家を買ってしまおう、とか、
幼稚園や小学校から子どもを私立に入学させよう、とか、
未来も安定収入が約束されているからこそ
選択肢にあがってくる事柄って結構ある。
(過去記事「お受験するか?をいっぱい考えて結局どうなったか?」

未来の収入をあてにできるのは、
所属している会社の未来が明るいからだ。
いつ潰れるかわからない!なんて思ってたら、
自分の首を絞めるような選択肢は最初から並べないよね。

個人名で得ることが困難な社会的ポジションと選択肢 を、
若干22歳で持つことができた

入社させてもらえて有り難かったと心から思う。

2.ユニーク人材との出会い、個性の理解

クリエイティブを発揮して稼ぐ業種には、
尖った人、突き抜けた人も多く集まり、
あることをさせると圧倒的な力を発揮するけれど、
別のことをさせると全く使い物にならない人がいたりする。

勉強が超得意な人もたくさんいた。
高学歴だからといって、仕事ができるとは限らないし、
優れたバランス感覚で業務をこなし周囲を圧倒させる人が、
高学歴とは限らない。

人はひとりひとり、みんな違う。
秀でた部分がどこかに必ずある。
強さと弱さを両方持っている。

無理をすれば壊れる身体と心を持っている。
この会社にいたおかげで、
個性を活かすとはどういうことなのか?がわかった。
ユニークな人材に出会えたことは私の財産になった。

さて経営陣のみなさん。
会社はteamであり、人でできている。
適材適所、ダイバーシティ。
社員ひとりひとりの顔をきちんと見てますか?

3.広い業務経験で自分を知る

会社員に人事異動はつきもので、
希望した職場にいけるとは限らない上に、
寝耳に水の「社内転職」を強いられる。

心の準備もままならないまま、
慣れない仕事をするのは辛い。
でも苦しさの向こうには、
必ず新たな自分の発見
があった。

私の場合、
全く希望していなかった部署での経験が、
会社を辞めて新たな未来に向かう自分に導いてくれたし、
入社当時に希望した部署には行けず仕舞いだったけど、
お陰で幅広い職種を経験できた。
変化を恐れていたら成長はない、と実感できた。

会社員は、雇用形態が変わらないまま、
多様な業務に就くチャンスがある
、と捉えるのが良い。
この職場は合わないなと思ったら、
まずは異動希望を出してみたらいい。
会社を辞めるのは最後の手段。

4.産休育休、そして復帰を経て得た大きな課題感

1997年、男女雇用機会均等法が改正されて、
募集・採用・配置・昇進から定年・退職・解雇に至るまでのさまざまな雇用上の差別が「禁止事項」になった。(「男女雇用機会均等法改正の流れ」おかんの給湯室)

その当時のうちの会社の男女比は8強:2弱、くらいかな。
「24時間働けますか?」の時代に、
男性に食らいついて働く女性は、想像以上の苦労をしていたはず。
そんなパイオニアの方々でも、
出産〜育児中はバックオフィスに異動するのが定番のルートのようだった。

不安定な妊娠中に、大切な命を守りながら働くことの難しさ、
産休・育休で会社を離れて感じた世間とのギャップ、不安と葛藤、
育休明けの身体のしんどさと、人に頭を下げつづける生活への徒労感、
パートナーとの協働で深まる家族の絆。

当時、人事にいた私は、
何より自分自身が働きやすい環境を作りたくて、
そしてこれからライフイベントを迎える若者たちが思う存分働けるように、
老若男女みんなに働き方を見直してもらいつつ、
在宅勤務制度の立ち上げを模索した。
制度利用を定着させる道のりはそれなりに険しいけれど、
日本全体が同じ方向に向かっていたから、
うちの会社もきっと変われる!と勇気をもらって頑張れた。

あれからもうすぐ10年。
育児期社員の立ち位置は根本的に変わっていないように思う。
コロナのお陰で、働き方は大きく変わったように見えたけど、
日本の制度構成も、未だ中途半端なまま。
さまざまな負担を背負うのは、未だ女性が多いまま。
(過去記事『「女だから」「男だから」で家の中の役割を決めない』

少子化危機がいよいよだ、異次元の政策だと騒いでるけど、
そんなの随分前からからわかってたコトじゃない。
あぁ、またここから10年かかるのか。
気が遠くなる。

会社員のまま人の親になったことで、
これまで見えなかった世界がよく見えてきた。
解決しないといけないことが、まだまだある。

5.キャリアに悩み続けた経験が未来を作る

  • 22歳、希望した部署に行けなかった。

  • 24歳、仕事が面白くなってきた頃にジョブローテーションという名の納得感の無い異動。

  • 26歳、異動希望が通らず、リスタートするために退社意思を人事に報告。(結局辞めずに並行して学ぶ道を選ぶ)

  • 35歳、ワークライフバランスが取れて充実した日々に寝耳に水の異動。ハードワークへ。

  • 41歳、育休後の働き方に違和感を覚えたまま悩み続ける。

  • 46歳、最後の部署にしようと決めて異動、1年半で退社。

この行間には苦悩の日々がたくさん詰まっている。
幸い、忘れるのがとても得意なので、
嫌な感情はやんわりとしか覚えていないけれど、
どっちの方向へ進むか?と
頭の中でぐるぐると考え整理して、
自分で選んできた内容はよーく覚えている。
だから、
会社のせいにして不満ばかり言ってた20代前半を除いては、
全く後悔してない。

この経験は、
会社員としてのキャリアを悩む人たち、
これからキャリア形成をする若者たち、
未来を作る子どもとその親を支援するときに
きっと役に立つはず。
いや、役だてるための努力をしていくと決めた。


「会社員」 なってみる価値は大いにある

25年も経ってしまったけど、
失ったと思うものは無く、
どれもこれも、今の自分に必要な25年間でした。

人生は一度しかない。
長いようで、きっと短い。
自分の頭で考えぬいた道を進もう。
会社員も、人生で一度くらいは経験してみて良いのでは?

そして会社員になったならば、
そのメリットを最大限活かして、
与えられた仕事にやりがいを見つけて、
もらったお金と休暇を自分のために使い、
双方をより充実させるために生産性を高めていく

これを目指して毎日を大切に過ごせば、
おのずと次に進むタイミングが見えてくるはず、と思っています。

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