生きるって出会いだ。
どんな世界観が好きなのだろうか。
そこにその人の人となりや背景が込められているように感じている。
その志向が出やすいものが映画だと私は勝手に思っている。
そんな私が何度も見てしまう映画は『世界から猫が消えたなら』である。
この映画は『億男』などでも有名な脚本家・小説家である川村元気氏の書いた小説を映画化した作品である。
この作品から私が汲み取ったものは「生きるとは?」である。
映画は主人公が病に冒され、余命いくばくかであることが分かり、落ち込んでいるところに彼そっくりの悪魔と「この世から何を一つを消す代わりに一日の寿命を約束する」という契約をするところから始まる。
スタートこそファンタジーな世界観だが、この世から何を消すことで命を得られるという考えさせられるものとなっているように思う。
そして、主人公は「電話」、「映画」などを消すことで命を延ばしが、それが喜ばしいものではなかった。この世から消えることで、それを介して出会ってきた人や思い出も消え去ってしまうのである。そこが彼を悩ませ、虚無感を与えている。
その後も作中での展開がされ、彼が生きることを考えさせられるもう一つの出来事がおこるが、それは実際に観て感じてもらうのがいいだろう。
この作品では「死」に対することで、生きることを考えさせられるように思う。
ソクラテス哲学のように「善く生きる」ことこそが人生であり、長く生きることが本質ではないことを伝えようとしているのではないだろうか。
もちろん、「善く生きる」ことの正解は人それぞれだと思う。100歳まで生きることが本質だと思う方もいるだろう。しかし、私にはこの映画の価値観が刺さった。
さらに、様々なものを介して出会った人たちとの思い出こそ、生きる本質の一つだと私は感じる。誰に出会い、どう生きるか…。人に出会うだけでなく、ものや仕事などにもいうことができる。人生において、「出会えてよかった」と思うことのできる出会いを作ることこそが、私にとって「善く生きる」ということではないかと思う。
「ただ生きるのではない、善く生きるのである」
皆さんも死を目の前にした主人公と共に、「生きる」について感じ取ってみてはいかがだろうか。
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