仕事「とりあえず見といて」をなくそう
今日は先生の仕事についてお話ししていきたいと思います。「とりあえず見といて」と言う言葉に多いに引っかかったと言う話。
この記事を書いている人:
現職教員としてはたらく20代。教育改革や職場改革に奔走するも、心身不調により休職経験あり。教育についての自分の経験や科学的情報、心身安定に関する情報を発信しています。
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先生の仕事だけではなく、社会人であれば1度も耳にするセリフ。
これとりあえず見といて何かあったら意見ください。
この言葉、お互い気をつけてやめて行きませんかと言うのが今日の話です。
というのも、先日まさにその事について思うところがあったからなのです。
高校では、いよいよ来年から新学習指導要領が始まります。そのため新しい内容で教科書見本が学校に届きます。
その細かな内容を吟味しながら、どの教科書を使っていくかどんな授業構成にするか、そういったことをいろいろ詰めていく時期に差し掛かっているのです。
各社から教科書見本が届いたと上司からきかされた時、発せられたのは次の言葉でした。
今後話し合っていくと思うので、とりあえず見といてね。終わったら回してください。
すごく細かい話になってしまうかもしれませんが、私はこの言葉の真意を図りかねました。
とりあえず見といてと言うが、パラパラと見て次に回せば良いのだろうか。
というかパラパラっと見ただけだと、印象や感想しか手に入れられないから、むしろこの見ると言う時間自体がもったいないなぁ。
他の先生たちももっと忙しいからこの大量の教材を回すのだけでも時間が欲しいんだと思うんだけどなぁ。
何を見てどういうことを決めていきたいのかそこを共有しておかないことにはこの回すと言う作業自体無駄だなぁ。
そこで私は聞いてみました。
これってどういった点を中心に見ていけばいいですか?
例えば会議でこういうことを話すために、見て欲しいだとか、何かそういう事はありますか?
すると、
教科書選定の時期はこのぐらいだからこのぐらいまでには話し合っておかないといけないね。
そのために、どういった点を検討しないといけないのかを考えるための材料集めをしてほしい。
と言われました。
まぁここにもいろいろ思うところはあるのですが、とにかくとりあえず見といてよと言う全てがふわっとした状態から少し話を進んだのかなと思います。
このように、この作業は何のためにするのかと言う1つの疑問を持つ事は、その作業時間を有意義に過ごせるかどうかの分かれ道なのではないかと思います。
もし先程の質問していなければ、きっと私はとりあえずパラパラ見てあーこうなったのかと言う感想で終わる。もしくは失礼な話ですが、特にこの先決める事は何も聞いていないのでどうせこの先一緒に見ることになるのだから、と次の先生に回すだけになっていたかもしれません。
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自戒をこめて、「とりあえずやっといて」と言う言葉には、仕事の生産性を考えると敏感になっていくと良いのかもしれません。
先生に限らず、社会人のみなさん、そういった事はありませんか?
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