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#2 はてしない旅だから見つけたもの|読書ノート

ミヒャエル・エンデ『はてしない物語』(岩波書店,1982)

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主人公の少年バスチアンの見た目は醜悪、中身もグズグズで自信が一切ない。家庭では母が亡くなり父は抜け殻な崩壊状態。ある日、いじめられっ子たちのいる学校に行くことができず、ある古本屋に逃げ込む。そこで偶然見つける『はてしない物語』という本を読みふけるうちに、本の世界に入り込み、大冒険に出る。
本の世界「ファンタジーエン」では大きな危機が訪れていた。物語の世界が「虚無」におかされ、そこに生きるものが「無」に帰していくという危機。

その世界のバスチアンはなんと、見目麗しい救世主になっていて…。

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感想を簡単に言い表せない。

まず、本の外装とか活字そのものにも工夫があって鳥肌が立つ。この作品は、ハードカバーじゃないとダメな作品!!!
なぜかは本を読み終わるとわかる仕組み。これは後に話します。

物語の内容について。私自身、空想の中で同じ構成の物語を考えたことはあった。物語の中で物語に入り込むというメタ的な構成。(最近は結構普通のシナリオだったりしますよね。転生ものとか。)でも、こんなにもきれいにこの構成を物語に落とし込む作者は天才だと思う。


なんて、はてしない物語なんだろうか。ファンタジーエンの物語にはA~Z章まで存在する。ファンタジーエンで仲間になったアトレーユという人物が、それぞれの章の結末「けれどもこれは別の物語、いつかまた、別の時に話すことにしよう」を、終わらせる旅をするのだ。バスチアンが「ファンタジーエン」からいなくなった後、私たち現実世界の『はてしない物語』が完結した後に。

そしてその旅そのものがまた物語となってその先には…はてのない物語が広がっていくのに違いない。320ページにこんな一文がある。

「その約束は守れなかったことが、バスチアンにはわかっていなかった。ずっとずっとあとでバスチアンの名においてやってきて約束を果たしてくれるものがいるのだが…」

この言葉こそ、アトレーユのその後の旅を暗示させる、伏線なんだと思う。
唯一はっきり言えることは、バスチアン自身の物語をバスチアン自身が終わらせたのだ。作者エンデが書いた『はてしない物語』が完結したことによって、読者はそのことに気づく。なんと壮大なんだろう。


さらに、この本一番のトリック。それは、読んでいる読者である私自身が、また人間界に戻ってきて、ファンタジーエンから帰り、「ファンタジーエン」と『はてしない物語』の世界」の両世界を救うのだ。なんと大掛かりで壮大。なんちゅう本なんだ。読み終わって本を閉じて表紙に戻って見る。すると表紙の絵を見ることでこのことに気づくんです。すごいんです。
物語の中の「はてしない物語」と私たちの世界の『はてしない物語』がリンクしているんです。何を言っているわからない人は、ぜひ読んでほしい!!!!


この本で一番ガツンときたフレーズがある。

「ぼうやはそれまで、自分とはちがう別のものになりたいといつも思ってきましたが、自分を変えようとは思わなかったからです」

これだ。ぼうやとはバスチアンのこと。彼は自分がグズだったり、お母さんがいなかったり、見た目が悪かったり、お父さんに無視されていることから逃げて、自分ではない誰かになりたかった。何者かになりたかった。でも、真の意志は別のところにあるとようやく気づく。

それは、「自分自身を愛し、誰かを愛したい」ということだった。

「ファンタジーエン」から父親のもとに帰った彼は、彼を本気で愛する言葉をかける。父親はその言葉と行動に救われていく。

私はこの箇所を読んだ時、涙が止まらなかった。

もし薄い物語の中でこのフレーズがあったら、何も感じなかっただろう。しかし、この『はてしない物語』は、物理的にもはてしない。なんと、全590ページある。バスチアンが「ファンタジーエン」に入ってから、映画が何本も取れそうなくらいにたくさんの冒険をしている。こんなにも長い間、バスチアンが本来の自分とはかけ離れた姿で、みんなの救世主という偉大な立場で、歩んでようやく最後にたどり着けた答えだったからこそ、本人は真の意志だと気づけた。

自分は誰かに愛される自分だからという理由がなくても、

自分のままで誰かを愛したいんだって。


大人こそ読むべき物語。
もう一度読むと発見があるに違いないと思える本。

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